第2話 問題の起きない場所で
王都を離れて三日後、アレイン・クロウは辺境領フォルンにいた。
城と呼ぶには小さく、砦と呼ぶには開けすぎた建物。
それが、この地の領主ディアス・フォルンの政庁だった。
「で、君が王国の戦後調整官か」
机に肘をついたまま、ディアスは遠慮なくアレインを眺めた。
値踏みというより、単なる確認に近い視線だった。
「正確には、元です」
アレインは訂正する。
「ふむ。クビか」
「整理です」
「同じだな」
ディアスは笑った。
嫌味のない、乾いた笑いだった。
「で? うちに何をしに来た」
「仕事を探しに」
それだけ答えると、アレインは持ってきた書類を差し出す。
履歴書、資格証明、過去の従事記録。
だがディアスはそれを一枚も読まなかった。
「一つ聞く」
彼は椅子にもたれ、指を組む。
「この領地で、最近おかしなことが起きてる」
アレインの目が、わずかに細くなる。
「魔獣は増えていない。
作物も取れている。
結界も動いている」
「はい」
「だがな、嫌な感じがする」
ディアスはそう言って、窓の外を見た。
遠く、なだらかな丘と畑が広がっている。
「説明できない違和感だ。
数値にもならんし、報告書にも書けない」
アレインは、静かに息を吐いた。
「調べても?」
「頼みたい」
その一言に、条件も契約もなかった。
その日の午後。
アレインは一人で領地を歩いていた。
結界柱、地脈点、古い戦場跡。
どれも致命的な異常はない。
――ない、が。
「……残っている」
誰にも気づかれないほど微細な魔力残滓。
戦争中に生じ、沈静化された“はず”の歪み。
完全には消えていない。
ただ、抑え続けられていただけだ。
アレインは地面に片膝をつき、指先で地脈に触れる。
「王国式……効率優先か」
短期的には正しい。
だが、長期的には負債を溜め込むやり方だ。
彼は何も言わず、調整を始めた。
派手な光はない。
詠唱もない。
ただ、歪みが“元に戻る”。
夕方。
政庁に戻ると、若い女性が待っていた。
「あなたが……アレインさん?」
控えめな声。
「はい」
「私、リシェル・ノインといいます。
治癒補助と、書類仕事を少し」
彼女は少し緊張した様子で頭を下げた。
「領主様が、あなたの仕事を手伝えって」
「……助かります」
アレインは正直に言った。
「私の仕事、分かりにくいですよ」
「知ってます」
リシェルは即答した。
「分からない仕事ほど、後回しにされる。
でも――」
彼女は一瞬だけ言葉を探し、
「問題が起きていないなら、誰かが抑えてる」
そう続けた。
アレインは、ほんの少しだけ目を見開いた。
その夜。
フォルン領では、何も起きなかった。
魔獣も出ない。
結界も揺れない。
人々は平穏に眠る。
王都でも同じだ。
いや、王都の方がよほど平和だろう。
――だから誰も気づかない。
問題が起きていないことが、
すでに異常だという事実に。
アレインは灯りを落とし、静かに報告書を書き始めた。
誰にも求められていない、
それでも必要な仕事を。




