番外編 名も残らなかった判断(王国・元評価局職員視点)
その報告書を見たとき、正直、拍子抜けした。
異常兆候:なし
被害報告:なし
特記事項:なし
それが、今日一日のすべてだった。
「……つまらんな」
思わず、そう呟いてしまう。
王都評価局。
かつては、山のような緊急報告と、責任の押し付け合いが日常だった。
だが最近は違う。
仕事は減った。
残業もない。
混乱もない。
――何も起きていない。
「問題なし、か」
同僚が苦笑する。
「最近そればっかだな」
「平和ってやつじゃないか?」
誰も否定しない。
だが、胸の奥に、言葉にしづらい違和感が残る。
私は思い出す。
あの会議室。
戦後調整官廃止の議題。
「成果が数値化できない」
「問題が起きていない以上、不要」
私も、うなずいた一人だった。
正しいと思った。
合理的だと思った。
だから、彼の名前を――
資料の片隅に追いやった。
今、王都では大きな事故は起きていない。
結界も、ぎりぎり保っている。
魔獣被害も、増えてはいない。
だがそれは、
何もしていないからではない。
報告書の書き方が、変わったのだ。
判断理由:
観測値は基準内だったが、
人流の集中が見られたため先行対応を選択
こういう文言が、
最近は当たり前のように並ぶ。
名前はない。
称賛もない。
だが、以前なら
「余計な判断」として弾いていた内容だ。
「誰が決めてるんだ、これ」
私は、思わず口にする。
「さあな」
同僚は肩をすくめる。
「でも、誰も困ってない」
それが、すべてだった。
昼休み。
私は、古い資料庫に足を運んだ。
理由は分からない。
ただ、気になっただけだ。
埃をかぶった箱の中に、
一つのファイルがあった。
戦後調整記録
担当:A.C.
胸が、少しだけ痛んだ。
ページをめくる。
数値は少ない。
結論も曖昧。
だが、そこには
判断の理由だけが、丁寧に書かれていた。
今は異常がないが、
兆候は出ている
だから処理する
今の報告書と、
驚くほど似ている。
「……続いてる、のか」
誰が始めたかは分からない。
だが、確実に、
考え方だけが残っている。
それでいいのだと、
初めて思った。
午後。
新しい報告書が届く。
異常兆候:なし
私は、静かに判を押した。
胸の中で、
誰にも聞こえない声が浮かぶ。
「……あなたの仕事は、
ちゃんと続いています」
名前を出す必要はない。
きっと、
それが一番正しい形だから。
その日も、王都では何も起きなかった。
そして私は知っている。
それが、いちばん難しい成果だということを。




