第12話 一人では足りない
フォルン辺境領に、珍しく雨が降っていた。
強くはない。
だが長く、静かに降り続く雨だ。
アレインは結界塔の最上部で、雨に濡れる地脈観測盤を見下ろしていた。
「数値は、問題なし」
隣で記録を取るリシェルが言う。
「ええ」
安定している。
ここは、今も。
だが――
「ここ“だけ”ですね」
リシェルの言葉に、アレインは否定しなかった。
この数日で届いた報告は、すでに十を超えている。
隣国。
遠方の自治領。
小国同士の戦後紛争地帯。
内容は似通っていた。
戦後、結界が不安定
兵士の疲弊が抜けない
魔獣の挙動が読めない
そして、決まってこう続く。
「そちらでは、問題が起きていないと聞いた」
「全部は、見られません」
アレインは、地図を前にそう言った。
赤い印が、静かに増えている。
「私が行けば、その場所は安定します。
ですが――」
指先が、地図の端で止まる。
「私が離れた場所は、必ず不安定になる」
それは、すでに経験済みだった。
フォルン領に来て最初の月。
一度だけ、近隣の小村の依頼を受けたことがある。
わずか三日。
だが、その間に
政庁周辺の地脈が、目に見えないレベルで揺れた。
誰にも被害は出なかった。
だが――
「偶然ではありませんでした」
継続が途切れた瞬間、
世界は正直に反応する。
リシェルは、少し考えてから言った。
「……全部をやろうとしなくていいんじゃないですか」
「?」
「アレインさんが“やる”んじゃなくて、
“残す”方向で」
アレインは、彼女を見る。
「残す?」
「考え方です」
リシェルは言葉を選びながら続けた。
「手順じゃなくて、
判断の基準とか……
“どういう時に手を入れるか”とか」
それは、
今まで誰も口にしなかった方向だった。
「教えられますか」
アレインは問い返す。
「……分かりません」
リシェルは正直に答えた。
「でも、今のままだと
世界の方が先に壊れます」
沈黙。
雨音だけが、結界塔を叩いている。
「私は、再現性のない仕事をしてきました」
アレインは、静かに言った。
「経験と勘、積み重ねた失敗。
教科書にはできない」
「それでも、です」
リシェルは譲らない。
「全部は無理でも、
“考え方”は残せるはずです」
アレインは、初めて迷った。
王国を出た時よりも、
辺境に来た時よりも。
これは、
誰かに任せるという選択だったからだ。
その夜。
アレインは、一冊の古い報告書を開いた。
王国時代のものだ。
そこには、数値も結論もない。
ただ、こう書かれている。
「異常が出なかった。
だが、出る可能性はあった」
当時は、
自分にしか意味の分からない記録だった。
だが今なら、違う。
「……残せるかもしれないな」
彼は、ペンを取った。
数値ではなく、
手順でもなく。
“判断理由”を書くために。
翌朝。
アレインは、ディアス領主を訪ねた。
「一つ、お願いがあります」
「ほう?」
「この領地で、
失敗してもいい場所を作りたい」
ディアスは、目を細めて笑った。
「やっと、そういう話が出たか」
フォルン領の片隅。
小さな施設の建設が始まる。
派手な看板はない。
公式名称もない。
ただ一つの目的だけが、そこにあった。
――後始末を、続けるために。
雨は、いつの間にか止んでいた。
結界は安定している。
だが世界は、
次の形に移ろうとしている。
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