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あなたの婚約者は私です。

掲載日:2025/12/19

 本作品を見つけていただき、誠にありがとうございます!

 落ち込んで、周りの視線や声にすごく振り回されるのがきついとき、その気持ちを吐き出して、ちょっと笑えたら良いなと思って書いてみました。

「あなたの婚約者は、わたくしですわ!」


 しん、と静まり返る空気にハッとしたナタリアは辺りを見回すこともなく青ざめた。


や、ややや、やってしまいましたわーっ!


 目の前にいる美丈夫が、いつもと何も変わらない様子で、大仰に叫んだナタリアを見つめている。

彼の名はジークヴィルド・フォルト・カヴァレリア侯爵。現在、31歳の若き侯爵は、8年前に父親を看取り、当主となった。豊饒の大地のように美しく波打つ金髪に、紺碧の海のような深い蒼の瞳。8年前までは騎士として名を馳せたジークヴィルドは、今や国王の覚えもめでたい政治家である。次期宰相とまで呼び声高い美青年は、異性からは黄色い歓声を、同性からは羨望と憧憬を集めている。

 ジークヴィルドが歩けば雑踏が道をあけ、止まれば人だかりができ、ため息をつけば政治が滞るとまで言わしめる麗人である。いつも冷静沈着で動じることはなく為人も穏やか。

 完璧と謳われる彼は、長らく独身であった。


 三十路を迎えようとする侯爵に、兄弟や子どもはおらず、跡継ぎを案じた国王が、結婚を勧めた。群がる令嬢や積み重なる釣書に困惑していた侯爵は、流石に逃げ場無し、と判断し、1人の令嬢に婚約を申し出た。


 それがナタリアである。


 ナタリアはリンデルベルグ伯爵家の長女だ。長女だが第4子で、上には個性豊かな3人の、年の離れた兄がいる。ナタリアの長兄、クラウスがジークヴィルドと同級生で王立学校で親しい友人だった。その縁があり、13歳の年の差があったが、婚約者となったのでえる。

 初顔合わせは、ジークヴィルドの美貌というよりも、年の差に緊張しすぎて、何を話したのかも、ほとんど思い出せないナタリアではあるが、共通項である兄・クラウスの昔話に笑い転げたことは記憶に残っている。兄妹として過ごすには年の離れすぎたクラウスが、自分と変わらない年の頃には、自分と同じように大人から叱られたこともあったのだと聞けて、楽しかったことは覚えている。


 週に1、2度、家を訪ねてくるジークヴィルドの物静かながら、知的で紳士的な態度に、好感をもったナタリアは、まだ当時12歳。恋愛のれの字も知らぬような少女だったが、兄の友人と名乗るジークヴィルドと家族ぐるみで時間を分かち合い、16歳になった日にプロポーズを受けた。

 その頃にはジークヴィルドの美貌や地位、職責も理解できるようになり、不安もあった。年の差も手伝って尻込みはしたのだが、赤毛にチョコレート色の目をもつ、大して特徴もない地味娘にこれ以上ない縁談であることも理解できたので、3カ月悩んで承諾した。


 それから2年の間、ナタリアは、平凡な少女なりに淑女教育に励み、ジークヴィルドの母から侯爵家の女主人としての振る舞いや仕事を学んでいる。


 しかし、完璧すぎる美貌の侯爵の婚約者は、荷が重すぎた。

 年端のいかない小娘に、憧れの侯爵を奪われたと感じた女性たちからの、僻み、嫉みを雨のように浴びせられ、男性たちからは、子守を任されたジークヴィルドを揶揄するような言葉が矢のように突き刺さった。


 焦り、惑い、苦しむたびに空回り、まだ年若かったナタリアは、社交界で嘲りを受けるようになった。長兄のクラウスには、何度となく、

「お前にはもっと相応しい相手がいるよ、ナタリア」

と肩を叩かれたものだ。


 17歳の少女としては妥当な流行のドレスを着れば、侯爵に並ぶに劣る小娘と笑われた。

 大人びたドレスを選べば、品のない背伸びだと笑われた。

 唇を噛んで俯けば、小娘は泣いて逃げると窘められ、言い返せば、生意気で気が強いと煙たがられた。


 もはや、立ち居振る舞いもわからなくなるナタリアに、ジークヴィルドは

「ナタリア、君は何も変わる必要はない。」

「言いたい者には言わせておきなさい。」

「君は18になれば公爵夫人となる。この事実は変わらない。胸を張っていなさい。」

と微笑んで繰り返した。


 しかし、女性たちは夜会の度に、ジークヴィルドに擦り寄り、群れてナタリアを見下した。

 クラウスの縁がなければ、見向きもされぬ小娘だ。ナタリアとて自覚はある。

 ジークヴィルドはナタリア以外の女性と踊ることこそなかった。しかし大人の色気漂う美丈夫が、自分の婚約者であることに、他ならぬナタリアが、1番不安だった。


「侯爵様、頂戴したドレスを着て参りましたの。」

「ああ、よく似合っているよ、ナタリア嬢。」


「婚約指輪は、侯爵様の目の色のサファイアが欲しいの。」

「そうか、ならば結婚指輪は君の髪に似合うルビーにしよう。」


「17歳になったので、キスしてくださっても結構ですわよ、侯爵様。」

「それは光栄だよ、姫君。」


 いつも、ナタリアから発信して、ジークヴィルドが受け取る。ナタリアが望めば、ジークヴィルドはどんな物も言葉も態度もくれるが、ナタリアはいつも不安だった。


 だからこの日、かつてジークヴィルドの恋人だったと広言していた美貌の未亡人が、身勝手にもジークヴィルドに腕組みをして体をもたれ掛からせて妖艶な笑みを浮かべる姿に、ナタリアは、唐突な我慢の限界を迎えたのだ。


「…まあ、あなたにはわからないわよね?婚約者の目の色を身につけて、あたしのものよって喜んでいるお嬢ちゃん?」

その前の会話など、笑顔を浮かべるのに必死で何も聞こえてはいなかったが、この呼び掛けは、胸につかえたというか、腹に据えかねたというか、つまりは頭にきた。

 いつもならば、笑顔で往なして、悪役令嬢の笑み、とまた陰で笑われるのを耐えたところだろう。しかし、この日のナタリアは、我慢の限界を超えたのだ。


 婚約者から送られたドレスも、宝石も、靴も。

 すべて大人びて、綺麗で、華やかで。

 何一つ、自分に見合ってなんかいない。

 どれも、ナタリアが欲しいと願って、ジークヴィルドが送ってくれたものばかりだ。

 31歳の知的で紳士的な、美貌の婚約者に並び立つために選んだ、婚約者の目の色の深い蒼のドレスは、赤い髪の、まだ子どものような自分に、何一つ似合っていないことなど、よくわかっていた。

 けれど、ナタリアには必要だったのだ。

 こんな苦しい世界で、立って歩くためには、ジークヴィルドの気配が必要だった。不似合いでも、不格好でも、見窄らしくても、ナタリアには、ジークヴィルドの蒼い目が、自分を見つめてくれることが必要だった。

 色だけでも似せて、寄り添っているのだと、自分への暗示が必要だった。

「あなたの、蒼いドレスもよくお似合いですね。」

かろうじて言えた自分を誉めてやりたいとナタリアは思う。

「ありがとう、お嬢ちゃん。似合っているでしょう?色も。」

言いながら首を傾げた未亡人は、さながらジークヴィルドに甘えるように、その腕に額を寄せる。


「色も?も、って何よ。他の何が似合うのかしら。」

ポツリとナタリアが呟き、ジークヴィルドが兄であるクラウスと話していた顔を、くるりとナタリアに向ける。クラウスも呆然としているのはよくわかった。


「は?」

明らかに怒りの表情を浮かべる未亡人を、ナタリアは無表情に眺めて言った。

「旦那様が亡くなって1カ月も経たないのに、婚約者のいる男性の腕にしなだれかかって、婚約者よりも自分の方が、蒼いドレスが似合うだなんて笑う女性の、どんなところを侯爵様に似合うと言うのかしら?デビューしたての小娘にマウントを取って喜ぶのが、そんなに愉快?私があなたの年になったとき、そんな楽しみしかないような年の重ね方はしたくないものですわぁ。」

「なんですって!?」

鬼のような形相になった未亡人の指が、ジークヴィルドの腕を掴んでいるのを冷たく見遣り、ナタリアは年だけでなく身長もかけ離れた高い位置にあるジークヴィルドの顔を見上げて、呆れたように言った。


「いつまで、そうなさっておいでなの?」

「?」

不思議そうなジークヴィルドに、ナタリアは呆れたように視線を逸らしてから笑うと、つまらなさそうに肩をすくめた。

「幼い婚約者など眼中にもないのですわね。」

「…」

きょとん、と自分を見下ろす美丈夫があまりにも何も感じていないのがわかり、ナタリアは笑い出した。クラウスが青ざめた。

「…な、ナタリア?どうしたんだい?お前らしくもない。社交界の花と謳われるお前が、こんな…」

「社交界の花???この、わたくしが?傑作ですわぁ!」

ほほほ、と思わず笑う声に、周囲の視線が集まるのを感じたが、もうナタリアに止める術などなかった。

「お兄様も侯爵様も、本当に、わたくしのことなど、どうでも良いのですわね。わたくしは、社交界の花などではありませんわ。この会場の皆様は、わたくしのことを誉れある侯爵様を振り回す我が儘な悪役令嬢と蔑んで笑っていらっしゃるのに!」

「そ、そんな不躾なことを言うのは何処の誰だ!誰に言われたんだい?ナタリア!いつのことだ!」

怒りに震えるクラウスに、ナタリアは言う。

「よくご覧になってくださいな、お兄様。わたくしを社交界の花と言ってくださる方が1人でもおいでなら、この高慢な未亡人が、婚約者のいる男性に纏わり付くのを、とがめてくださるのではなくて?あら?あらあらあら?」

呆然とするクラウスに、ナタリアは艶然と微笑んだ。

「お兄様も、窘めてはくださいませんもの、仕方がありませんわね?」

「な、ナタリア…それは、」

「………侯爵様も、いつまで、そうなさっておいでなのですか?」

「?」

不思議そうに首を傾げるジークヴィルドに、ナタリアはたまりかねて言った。

「婚約者の目の前で、いつまでそうやって他の女をぶら下げておいでなのですか?」

「………」

いつもと何も変わらないジークヴィルドに、ナタリアはきっぱりと言った。


「あなたの婚約者は、わたくしですわ!」


水を打ったように静まり返る会場の中で、急激に我に返ったナタリアは、心の中で絶叫した。やってしまった、と。

 だが、もう、時既に遅し。

 発された言葉は消えてなくなるというのに、何故かなかったことにはならないという、面倒極まりない代物である。

 床を見つめて、わなわなと震えながら、ナタリアは視界が滲むのを自覚した。


「…ああ、そうだね。」

場違いなほど穏やかな低い美声が、頭の上から降ってきて、ナタリアは一瞬、後悔と絶望で冷静になったものの、怒りが再燃してきたのを感じた。

「君の婚約者は、間違いなく私だし、私の婚約者も間違いなく君だよ。」

「またそうやって、わたくしの我が儘を聞き届けようとばかりなさるのね!だから、年下の小娘を手懐けようとしているんだって笑われるのですわ!」

顔を上げると、涙がこぼれた。目を見張ったジークヴィルドが、不思議そうに言う。

「何故、笑われるの?」

「な、何故?何故って???わたくしがこんなに怒っておりますのに、そんなことをおっしゃらないでください!わた、わたくし、ばかり、侯爵様のこと、好きになって…」

泣きながら訴えるナタリアが指差す自分の左腕を見遣り、ジークヴィルドが首を傾げ、ナタリアを見つめ直した。

「ああ…ナタリア、嬉しいよ。やっと、両想いだね。」

「な、何をおっしゃってますの?わたくしがこんなに、嫌だって申し上げておりますのに、そうやって、まだ、他の女をぶら下げて!」

「何が?」

「…え?」

「ジーク、やめろ、やめておけ。本当にナタリアに嫌われるぞ?」

クラウスが青ざめてジークヴィルドに縋り付いている。

「…何か、いる?ここに?」

にっこりと笑う美貌の貴公子に、会場の誰もが絶句する。ナタリアも同じくである。未亡人も、驚愕の表情でジークヴィルドを見上げた。


「基本的に、私は…ナタリア以外、見えていないし、石ころや虫けらと変わらないんだ。何か、ついてる?」

「「え?」」

ナタリアと未亡人が、ジークヴィルドの麗しい顔を見上げていると、無表情になったジークヴィルドの蒼い目が、永久凍土の下の海より冷たい色になって未亡人を見下した。

 読み仮名は「みおろした」ではない。「みくだした」だ。そっちが合っている目だった。

「…何かついてるなら、気持ち悪いね?」

「っ」

声もなく3mは遠ざかった未亡人が、青ざめを通り越して紫色になっているのを見向きもせず、ジークヴィルドはにっこりと微笑んで、ナタリアに言った。

「…で、何だっけ?最愛の婚約者に振り向いて欲しい一心で、望みを全て叶えようという私を、笑う不届きな輩がいるのだっけ?ふふふ、愉快だね。誰だろう?」

カツン、と何故か靴音がする。


 あらら?おかしいですわね?

 舞踏会の会場なのに、どうして靴音が響くのかしら?


「私の色を身に纏いたいと言ってくれる、可愛すぎる婚約者に、この目をくり抜いて送りたいのを我慢しているのに。」

「そうだな、妹が失神するからやめてくれと、再三、ぼくが言い続けているからな!」

クラウスが涙目で訴え、ジークヴィルドが呆れたように言う。

「君に窘められたからじゃない。ナタリアが私を嫌いになると、お前が脅してくるからだろう。」

「一般的に婚約者の目玉を送られて喜ぶような妹はいないだろう!ナタリア、考え直すなら今のうちだぞ!こいつは、本当に外面だけは良い、恐ろしく冷淡で鬼畜のような男なんだ!ずっと言っていただろう?お前には相応しくないと!」

「えーっと、まさか、そっちの意味だとは思ってもおりませんでしたわ、お兄様。」


 カツン、


ひっ、と思わず出そうになる声を飲み込んだのはナタリアの本能だ。

「でも、好きだと言ってくれたよね?」


ずっと憧れてきた蒼天のような目が、うっそりと細まっている。


 あら?何故かしら、返事ができないわ?

 ああ、そう。侯爵様の長い指が、私の顎をしっかりと押さえていらっしゃる。

 痛くも強くもないのだけれど、動けないのはどうしてかしら?


「あなたの婚約者は私です。」

「ひえぇ…」

「ん?」

「ま、間違えましたわ。はい、です。はい、の間違えです。」

「ふふふ、いい子。我慢して良かったなぁ、嬉しいなぁ、両想い。君と想い合えたら結婚して良いって言われていたんだ、君のご家族から。」


 おぅふ。

 わたくし以外の家族は、どうしてか、この不安な状況を予期していたのですわね。


「世界で君だけを愛しているよ、私のナタリア。」


 な、何かしら。

 夢見ていたはずなのに、ちょっとニュアンスに齟齬がある気がしますの。

 気のせいではないわよね?

 お兄様は泡吹きそうなほど青ざめて震えていらっしゃるし。


 ナタリアが答えあぐねていると、がっしりと上を向かされて囁かれた。


「君だけだよ、ナタリア。愛している。ああ、なんて可愛い瞳だろう。チョコレートみたいだ。」


 あらあら?そういえば、侯爵様の大好物はチョコレートでしたわね。

 え?チョコレート、ですわよね???


「…わ、わたくしも侯爵様のこと、お慕い申し上げておりますけれども。」

「けれども?」


 うぐ、顔が良い。

 だけど負けるわけにはいきませんわ。


「わたくしのことを、世界で1番愛してくださいませ。」

「え?」

驚いたようなジークヴィルドに、ナタリアは続ける。

「わたくしだけを愛されても困ります。わたくしも、侯爵様の家族を愛し、いずれ出会えるかもしれない、あなたの子どもも愛したいのですもの!」

「……………子ども…私と君の?そうだね!流石は私のナタリアだ!」

イケメンの至近距離笑顔に被弾しつつ、ナタリアは、打ちひしがれる兄を見遣ってから、されるがままに抱き竦められ、キスの嵐を受け止める。


 なんだか、思っていたのと違うのだけれども、本当に大丈夫かしら???


 がっちりと抱き締めてくるジークヴィルドが、幸せそうにナタリアに頬を寄せ、耳元で確認するように囁いた。


「あなたの婚約者は私です。」


呪文を通り越して、怨念のようなものを感じたナタリアは、煌びやかなシャンデリアを見上げて心の内に呟いた。

 ああ、たぶん、わたくし、

 逃げられなくなりましたのね。


 それでもなんだか嬉しくなって、ナタリアは長身のジークヴィルドを抱き締め返した。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

恋愛ものの初投稿です。誤字、脱字、不思議表現がございましたら、大変申し訳ありません。

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