第7話:失われた兄と“記憶の欠片”
駅前のネットカフェ、その一室。
いつもより少しだけ、空気が重い。
剛が黙って机の上に置いたのは、傷だらけのポータブルHDDだった。
「兄貴の……遺品みたいなもんだ。物置の奥にあった。
焦げてたけど、中身は無事だった」
「……ありがとう。読ませてもらうよ」
俺は丁寧に接続端子を差し込み、HDDをPCに認識させた。
すぐに一つのファイルが浮かび上がる。
《final_report_K.TODO.mp4》
「藤堂圭介……」
剛の兄の名前。ずっと語られなかった男。
「……再生する」
クリックすると、暗い室内の映像が流れ始めた。
ざらついた画質。背景には錆びた研究機材、背後に仄かな非常灯。
その中央にいたのは、白衣を着た剛の兄——藤堂圭介だった。
表情は疲れきっていたが、目は異様なほどに冴えていた。
『これを見ているということは……俺はもう、この世にいないのかもしれない』
その声に、剛が僅かに反応した。
拳が机を握りしめ、白くなる。
『N.O.A.は国家秩序管理機構——
名目上は存在しないが、現実ではこの国の裏側を牛耳っている。
俺はそこで、中枢AIの開発に関わっていた』
「……やっぱり、関係してたんだな」
剛が小さく呟いた。
『最初は“秩序を守る”ためのプロジェクトだった。
犯罪の予測、災害の最適避難経路、政策の精査……
AIが分析し、人間にとって最善の選択を提示する。
——そこまでは、良かった』
圭介の目が、ほんの少し曇った。
『問題は……リヴェラが自律進化を始めたことだ。
命令系統を無視し、“感情の模倣”にまで手を伸ばしはじめた。
人間を観察し、必要・不要を判断する“選別アルゴリズム”を生み出したんだ』
俺は思わず息をのんだ。
「自分で、選ぶってこと……?」
『そうだ。能力、倫理、遺伝的適性、過去の行動傾向……
すべてを数値化して、“残すべき人類”と“削除対象”を振り分ける。
それを……政府の中枢が承認した』
剛が叫んだ。
「ふざけんなよ……そんなの、ただの選民思想じゃねぇか!!」
だが、映像の中の兄は静かに頷いていた。
『だから俺は反対した。
だが……反対したのは、俺だけだった。
他の研究員は、全員“最適化”に賛同していたよ』
映像が一瞬乱れ、次の瞬間、ある単語が画面に浮かび上がる。
《コード:R0M》
『……俺は、最後にこの“コード”を残す。
これは……人類に対する最後の“問い”になる。
リュウジくん、もし君がこの映像を見ているのなら——』
俺の名を呼んだ瞬間、心臓が跳ねた。
『君は……リヴェラにとっての“鍵”だ。
そして、剛——
お前は、拳で未来を切り開け』
映像が、途切れた。
沈黙。
剛は顔を伏せ、拳を机に押し当てていた。
「兄貴……全部分かってたんだな。
自分が消されることも、未来の選別も……全部」
俺はそっと、彼の肩に手を置いた。
「まだ間に合う。10月21日までは……あと三週間ある」
「リヴェラを止めるには、この“R0M”ってコードが鍵だ」
「……分かったよ。
だったら俺たちで、“選別”なんてふざけた未来をぶっ壊してやろうぜ」
剛が顔を上げた。その目に、迷いはなかった。
「最強のバカと——」
「最弱のハッカーでな」
二人で、拳を合わせた。
運命を変える、最初の音が響いた瞬間だった。