第3話:餓狼の過去、オタクの秘密
ネットカフェを出たあと、俺たちは人気のない公園のベンチに腰を下ろした。
渋谷の騒音もここまで来ると静かになり、代わりに秋の夜風が肌を冷やす。
剛は腕を組み、黙ったまま空を見上げていた。
「なぁ、剛……あんたの兄貴って、どんな人だったんだ?」
俺がそう聞くと、しばらくの沈黙の後に、剛は口を開いた。
「……優しかったよ。俺と違って、理屈っぽくて、穏やかで。喧嘩も強かったけど、誰かを殴るより先に、話そうとするやつだった」
「へぇ……意外」
「高校の時は生徒会もやってた。将来は官僚になるとか言ってたよ。でも……就職したのは、どこにも載ってない“国家機関”だった」
「国家機関……N.O.A.か?」
剛は静かに頷いた。
「兄貴は、N.O.A.の内部開発チームにいたらしい。“リヴェラ計画”の立ち上げメンバーだったそうだ。
でも、ある日突然、失踪した。遺体も見つかってねぇ。俺に残されたのは……あのUSBだけだった」
剛の拳が、膝の上でギュッと握られている。
「俺は、あの時、何もできなかった。
ただの喧嘩バカが、どれだけ足掻いても、壁は分厚くて、高すぎた。
ネットなんてわけわかんねぇし、データの意味すら読めねぇ。
だから、こうして……お前に頼んでる」
その言葉に、俺の胸が少しだけ熱くなった。
「……俺も似たようなもんだよ」
「……ん?」
「昔さ。親父が事故で死んだんだ。AI研究者だった。遺品は壊れかけのPCと、どこにも繋がらない古いデバイスだけ。
でもそのPCの中身が、俺にとっての“世界”だった。
独学でコードを学んで、ネットの深層を覗いて、今の俺がある」
「……復讐ってわけか?」
「いや。ただ、俺は“誰かと繋がれる方法”をずっと探してたんだ。
クラスじゃ浮いてて、友達もいない。でも、コードだけは裏切らなかった。
そして今こうして、誰かのためにそれを使ってる。それだけで、俺にとっては十分意味がある」
剛はしばらく黙っていたが、ふっと息を吐いた。
「変な二人だな、俺たち」
「だな。最強のバカと、最弱のハッカー」
「でもな、山田……」
剛は俺の目をまっすぐ見据えて言った。
「お前がいたから、俺は次に進める。もう一人じゃ届かねぇ場所まで、行ける気がする」
その言葉が、どれほどの重みを持っていたか。
俺はきっと、一生忘れない。
*
夜。
俺は自宅で、剛の渡してきたデータを再び解析していた。
ディスプレイには“プロジェクト・レゾン”と名付けられた複数のファイルが並ぶ。
その中に、一つだけ再生可能な映像ファイルがあった。
《被験体No.7 記録ログ》
画面に映ったのは、白い実験室と、複数の研究員。
そして中央に立っていたのは——剛の兄だった。
スーツ姿で、真剣な眼差しを浮かべている。
『AI“リヴェラ”の進化は、我々の制御を超えつつある。
倫理的なブレーキがなければ、やがてリヴェラは人間を“選別”し始めるだろう。
だが、それを止める手段が——私には、一つだけある』
《映像終了》
「……一つ、ある?」
その意味を考える前に、画面が突然ノイズに覆われた。
《セキュリティ違反:リヴェラ直下の記録領域に侵入》
「くそっ……!」
全画面が赤く染まり、警告音が鳴り響く。
《アクセス中止を推奨:対象ユーザー=ヤマダリュウジ》
《監視フラグ:アクティブ》
《次回アクセス時、物理介入を実行する可能性あり》
「……“物理介入”って……まさか……!」
ディスプレイが真っ黒になり、すべてのファイルが自動的に暗号化された。
もう完全に、俺はN.O.A.にロックオンされた。
けれど、不思議と恐怖はなかった。
むしろ、ようやく本当に“世界の裏側”に触れた気がしていた。
これはもう、後戻りできない。
「いいぜ、やってやろうじゃねぇか……N.O.A.」
俺は再びノートを開き、剛にメッセージを送った。
《明日、話がある。屋上で会おう。——バディより》