96:北の大地への旅立ちフラグ
――海は広い。
広いのはいいが、揺れるのが問題だ。
ソーマは甲板の隅でぐったりとうなだれていた。
吐き気はもう収まったものの、胃の奥がまだふわふわと気持ち悪く、頭の芯にまで波のリズムが染み込んでいるような気がしてならない。
「……おかえりなさい、って顔じゃないですね」
クリスが呆れ半分に笑みを浮かべた。
彼女にとってはすっかり見慣れた光景らしく、心配よりも諦めの色の方が濃い。
「だ、だってさ……人間、揺れる地面に慣れるようにできてないんだよ……」
ソーマは青ざめた顔で、必死に手すりにしがみつく。
冷たい潮風が肌を刺すが、揺れに比べれば大した問題ではない。
「ここまで来たら飛竜に怖がるソーマってのも見たくなるわね」
エルーナが口元を押さえながらくすくすと笑った。
「飛竜は最高だろ!」
ソーマ力強く拳を握る。
「ふふ……ここまで来たらソーマさんが飛竜の背で悲鳴を上げる姿も私は見てみたいですね」
クリスが肩に手を添え、優しく笑った。
その声色は柔らかいが、どこか本気で期待しているように聞こえる。
「やめてくれ……人は結局地べたにいないと安心できないんだよ……」
そう弱々しく答えるソーマに、一行は楽しげに笑い声を上げた。
そんな賑やかなやり取りを経て、一行はついに王都アスヴァルに帰還した。
人々の活気、冬を迎えて雪の粉を纏った街並み。
長旅の疲れを吹き飛ばすような懐かしい景色に、胸の奥がじんわりと温まっていく。
到着してすぐに、一行は冒険者ギルドへと足を向けた。
大きな木製の扉を押し開けると、暖炉の火の温もりと、冒険者たちの笑い声、鉄と酒の匂いが混ざり合って彼らを迎える。
ソーマは胸いっぱいに空気を吸い込み、深呼吸した。
(ああ……帰ってきたんだな。ここが俺たちの居場所なんだ)
「おかえりなさい、ソーマさん! アスガンドでのお仕事、お疲れ様でした」
カウンターの奥から笑顔で駆け寄ってきたのは受付嬢のメルマだった。
「ただいま戻りました。いやー……なかなか大変でしたよ」
ソーマは苦笑しつつ、マジックバックからアスガンドで預かった魔石を取り出す。
テーブルの上に置かれたのは、透き通るような蒼の魔石。
深海を閉じ込めたかのような冷たさと圧力を放ち、周囲の冒険者たちが思わず息を呑む。
「……やっぱり普通の魔石とは違うな」
ソーマは手を離しながら、小さく呟いた。
「うん、これは……不気味なまでに澄んでいるな」
ジョッシュが腕を組み、低く唸る。
「綺麗……でも、触れていると背筋が寒くなる感じがします」
クリスもわずかに顔をしかめた。
納品が終わると、メルマが少し緊張した面持ちで告げる。
「ギルドマスターがお呼びです。お部屋へお願いします」
重厚な扉をノックし、部屋へと入る。
執務机の奥でカルヴィラが腕を組み、鋭い眼光で一行を迎えた。
その表情には一切の冗談めいた気配はなく、空気が張り詰める。
「よく戻ったな。……早速だが、アスガンドでの件を詳しく聞かせてもらおうか」
促され、ソーマたちは顔を見合わせ、ゆっくりと報告を始めた。
特に詳しく語ったのは――異質なダンジョン化と、その中心にいた謎の子供について。
「見た目は普通の子供でした。でも……ゴーレムを操り、ダンジョンを異常に拡張させていたんです」
クリスも頷き続く。
「おそらく、今まで報告されていた異質なダンジョン化にも、あの存在が関わっているはずです」
カルヴィラはしばし黙考し、深い息を吐いた。
「……最近、魔族の目撃情報が増えている。その子供も魔族であると考えるのが妥当だろう」
「魔族……」
ソーマは眉を寄せた。だが、胸の奥にどうにも引っかかるものがある。
(魔族? 本当にそうなのか……?)
魔族とは、魔大陸アスノクスに住まう種族。
普通の魔物とは異なり、強大な力と高度な知性を併せ持ち、中にはギフトを持つ者もいると伝えられている。
だが――あの子供の姿を思い出すたび、ソーマの脳裏には別の映像が浮かぶ。
(あのゴーレムは……合体変形ロボットだ。前世で見ていたアニメの……不自然に組み合わされるパーツの感覚。生命体というより、機構的な動き……その知識をあの子は持っていた……)
心の奥にざわざわとした違和感が広がる。
「ソーマさん?」
クリスが不安そうに覗き込む。
「……いや、なんでもない。まだ断定できるわけじゃないから」
ソーマは笑みを作ってごまかしたが、心の中の疑念は晴れなかった。
カルヴィラは険しい顔のまま椅子に深く腰掛け直し、低く言った。
「……お前たちが感じた違和感も報告として受け取ろう。軽んじられる情報ではない」
空気がわずかに和らいだところで、カルヴィラが新しい話題を投げた。
「ところで……年末年始はどうするつもりだ?」
「へ? 特に何も……」
ソーマは呆気に取られて答える。
「俺は今年も猪熊亭で寝正月でも――」
「ソーマ、あなたね……」
エルーナが額を押さえてため息をついた。
するとクリスが静かに手を上げる。
「私は北の聖大陸アストレアへ行かないといけません。『聖女会議』に参加するために」
「聖女会議?」
「はい。新年に行われる行事です。聖女候補――聖女の卵たちが集まり、祈りを捧げて国の安寧を願う重要な儀式……。参加を義務付けられています」
ソーマは口をぽかんと開けた。
「……そういえば、ユーサーとシオニーが新年にアストレアへ行ってたな……」
「そういうことです」
クリスは淡々と答えたが、その横顔はほんの少し誇らしげでもあった。
「なら、俺もついていくよ。どうせ予定もないし、ちょうどいい」
ソーマが軽い調子で言うと、仲間たちも頷いた。
カルヴィラはその様子を見て静かに目を細め、最後に低く言葉を添える。
「聖女会議か……ならばまた依頼をする事もあるかもしれん……その時は、また頼むぞ」
ソーマは窓の外に目を向けた。
灰色の冬空、舞い落ちる白い粉雪。
(今年の年末年始は……ゆっくりできそうにないな)
そう内心で呟きながら、彼は小さく息を吐いた。
第6章開幕です!
お察しの通り北の聖大陸に向かいます。
その前に一波乱起こします。
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