9:戦いの余韻と見えざるフラグ
森の中に、かすかな焚き火の香りと、湯気を立てるスープの匂いが漂っていた。
ソーマたちは鍋のそばに腰を下ろし、簡素ながら温かな食事を分け合っていた。
「……ふぅ。あっという間だったな。なんか夢みたいだ」
ジョッシュが木の幹に背を預け、カップを置いてぽつりとこぼす。
「夢ってほど甘くはなかったけどな。魔球、すごかったな」
スープをすすりながらソーマが言うと、ジョッシュは鼻をかき、照れ隠しのように笑った。
「へへ。……でもさ、囲まれた時はマジで心臓止まるかと思った。ソーマが声かけてくれなかったら、絶対固まってたわ」
ソーマは一瞬黙り、傍らに立てかけた剣へ視線を落とす。
柄に刻まれた細かな傷跡が、過去の記憶を呼び起こす。
「……親父に叩き込まれたんだ。『戦いは一対一じゃない。数で囲まれることを想定しろ』ってな。一対多数で何度も実戦させられた。毎回ボロボロだったけど……あれがあったから、今日冷静でいられた」
「マジかよ……鍛錬っていうより拷問じゃん」
ジョッシュが目を丸くし、クリスは小さく息をのむ。
「でも……今は感謝してる。あの訓練がなきゃ、仲間を守れなかった」
ソーマがそう言うと、クリスはそっと笑みを浮かべる。
「……私も助けられました。支援魔法、うまく機能したのはソーマさんの誘導のおかげです。……少しずつだけど、私も戦える自分になれてきてる気がします」
紅潮した彼女の頬を見て、ソーマも優しく笑い返す。
「二人とも頼もしかったよ。あの連携がなかったら危なかった。……ありがとう」
焚き火の音だけが、しばし三人の沈黙を埋める。
やがてスープを飲み干したソーマは、ポーチからギルドカードを取り出した。
青白い光が揺らめき、討伐記録が浮かび上がる。
「便利な時代だよな。今じゃこうして記録される」
「昔は牙とか切り取って持ち帰ってたんだっけ? ……うわ、想像しただけで臭そう」
「そう。しかも重いし、報酬に見合わない。今は本当に楽になった」
そんな軽口の応酬に笑い声が生まれる。
ぎこちなかった関係は、戦いを共にしたことで少しずつ確かな絆へと変わっていた。
やがて鍋が空になり、焚き火も静かに燃え尽きる。
「……そろそろ行こう。ゲシュ町には夕方には着きたい」
ソーマの声に二人も荷をまとめ、立ち上がる。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
森を抜けると、視界の先に石造りの城門が見え、商人や冒険者のざわめきが混じり合っていた。
人の営みの気配が、三人を次なる舞台へと迎え入れる。
――だがその背を、誰にも気づかれぬ影が森の奥からじっと見つめていた。
人ならぬ気配を纏い、動かぬその影。
冷たい視線の先で、かすれた声が漏れる。
ギギ……ギギギ……
次の瞬間、影は音もなく闇に溶けた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ゲシュ町に足を踏み入れた瞬間、ソーマたちはそれまでの静けさが嘘のように思えた。
商人の呼び声、子どもたちの笑い声、行き交う人々のざわめきが空に跳ね返り、照りつける陽光と相まって——街そのものが生きているようだった。
「……王都とはまた違った賑やかさだな。こういうの、久しぶりだ」
ソーマがぽつりとつぶやくと、ジョッシュは少年のように目を輝かせた。
「おいソーマ! あの旗見ろよ、『地酒あります』だって! 絶対あとで寄ろうぜ!」
通りに並ぶ旗は鮮やかで、大胆な書体が風に揺れている。
ソーマは思わず微笑みながら、それに目を留めた。
「……俺が王都で提案した宣伝旗が、もう他の町でも使われてるのか」
胸の奥に、不思議な感慨が広がる。
自分が蒔いた小さな種が、こうして形を変えて芽吹いている。
それは達成感というより、未来への静かな手応えだった。
三人は人波を抜け、冒険者向けの宿屋に腰を落ち着けた。
受付の女性も慣れた手つきで対応してくれた。
荷を下ろしひと息ついた後、三人は次の目的——ダンジョン調査の情報収集のため、ギルド本部へと向かった。
ギルドは町の中心部にある、重厚な石造りの建物だった。
王都では三大ギルドごとに別の建物を構えていたが、地方ではひとつに統合され、マスターも兼任するのが通例だ。
「思ったより活気あるんだな」
「地方のギルドって初めて来ましたけど……情報量も多いですし、設備も整ってますね」
クリスが感心するように呟き、ソーマは頷いて受付へと進む。
「王都ギルドより依頼を受けて来ました。周辺でのゴブリン増加を受けて、ダンジョンの有無を調査する任務です」
落ち着いた声に、若い受付係が目を細めつつ確認を始める。
「……はい、確かに王都からの依頼です。ソーマ様ですね。直近の調査記録ですが……」
彼の口調が僅かに渋くなる。
「一週間前の定期パトロールでは町の周囲十キロ圏を探索しましたが、ダンジョンは発見されませんでした。ただ……ここ数日、ゴブリンの発生数は異常に増えています。討伐依頼も連日出されていますが、追いついていないのが現状です」
「……失踪者は?」
「今のところはいません。ただ、負傷者は増えています」
空気がわずかに重くなった。
「その調査をしたパーティーに直接会いたいのですが、可能ですか?」
「確認いたします。……はい、ちょうど先ほど報告を終えて近くの酒場で食事中とのこと。紹介いたしますか?」
「お願いします」
三人は受付係に礼を述べてギルドを後にした。
外に出れば、夕陽が街を橙色に染めている。
賑わいの残る通りの奥には、夜の気配が静かに忍び寄っていた。
「……じゃあ、次はそのパーティーに会いに行こうか」
ソーマの言葉に、二人も頷く。
鐘の音が遠くで鳴り響き、夕暮れの空気を震わせる。
——まるで何かの幕開けを告げるかのように。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ソーマたちはギルド近くの酒場へと足を運んだ。
中はほどよく賑わっている。
木製のテーブルを囲んで冒険者や地元の客が杯を傾け、肉を焼く匂いと香辛料の刺激的な香りが漂っていた。
「いらっしゃいませ! 三名様ですか? ……ああ、ギルドからですね。こちらにどうぞ」
案内された先の円卓には、四人の冒険者がいた。
装備は実用的で無駄がなく、場慣れした雰囲気が漂う。
そのうちの一人、金髪の女性がこちらに気づき、ジョッキを掲げて笑みを浮かべた。
「おう、あんたらが王都から来た調査パーティーか」
声は飾らないが、瞳の奥には冒険者としての鋭さがある。
「私はラチーナ。Bランクパーティー【オクトヴィア】のリーダーだ。拳一つで大抵の敵はぶっ飛ばす。で、こっちが私の仲間だ」
紹介された三人はそれぞれ軽く会釈する。
握手を交わして席につくと、ソーマが名乗る。
「王都から調査依頼を受けて来ました、ソーマです。パーティーは結成したばかりで……名前もまだなくて」
「へぇ、妙に落ち着いてるじゃないか。新人っぽくないな」
ラチーナはにやりと笑い、すぐに表情を引き締めた。
「さて、本題だ。ゴブリンの異常増殖についてだな」
卓の中央に広げられたのは、使い込まれた地図。
折り目はすり切れ、幾度も調査に使われた跡がある。
「ギルドからも聞いてると思うが、先週の時点では町の周囲を二日かけて回っても、せいぜい十匹程度。……だがな」
ラチーナはジョッキを置き、低く言った。
「三日前は十匹。昨日は二十匹。そして今日は四十匹だ」
ソーマたちの表情が硬くなる。
単なる増加ではない。
指数的に膨れ上がる異常さに、場の空気が冷えた。
「倒しても、倒しても……湧いてくるんです」
低い声で言葉を継いだのはサブリーダーのカッセル。
抑制の効いた口調の奥に、焦りがにじんでいた。
「しかも群れの動きが妙に整っている。まるで訓練された兵士みたいに」
「ゴブリンがそんなに統率取れるのかよ?」
ジョッシュが思わず声を上げると、魔法担当のタオナが震える声で答えた。
「……まるで誰かに命令されているように、見えたんです」
ソーマの眉がわずかに動く。
「……指揮役、か」
その言葉を拾うように、前衛のレスクが革ポーチから鉛筆を取り出し、地図に印をつけ始めた。
遭遇地点、進行ルート、異様な気配を感じたエリア——その手は迷いなく動き、南の森の奥を指し示す。
「前回の調査で踏み込めなかったが、怪しいのはここだ」
「助かります。具体的な情報が欲しかったんです」
「気にすんな。どうせ私たちも、しばらくここに腰を据えるつもりだったからな」
ラチーナが息を吐き、再びこちらを見た。
「正直、このままだと討伐依頼に追われて調査どころじゃなくなる。あんたらが来てくれて助かってる。お互い協力しよう」
——地図を囲んでの協議は長引いた。
やがて行動計画の大枠が固まり、酒場は夜の静けさを取り戻しつつあった。
席を立つ間際、クリスが深々と頭を下げる。
「今日は本当に……ありがとうございました」
「気にするな。私たちも問題は解決したいんでな」
ラチーナは笑みを浮かべながらも、その瞳は冴えていた。
互いの健闘を願い、ソーマたちは酒場を後にした。
夜の帳が町を包み、遠くで犬の吠える声がこだまする。
宿へ戻り、荷を整えた後——ソーマは窓辺に腰を下ろし、月を仰いだ。
「……何が待っているかはわからない。でも、進むしかない」
その声は誰に向けるでもなく、夜風に溶けて消えていった。
そして——夜が明ける。
新たなフラグの幕が、静かに上がろうとしていた。
ソーマは前パーティーでは引きつけ役がメインだったため個人の討伐記録はあまりカウントされていないのもあってDランクに収まってるという事にしておきます。
ラチーナさんの服は赤色は右目が紫、左目が緑のオッドアイいう設定です。
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