75:揺れるフラグの行方
潮風が甲板を吹き抜けていく。
真っ青な空と群青の海が、果てまで続いているように思えた。
だがソーマはその美しい景色に浸る余裕もなく、船の手すりに突っ伏して呻いていた。
「……うぅ……やっぱり、どうしてもダメだ……」
胃の奥が波に合わせてひっくり返る。
身体の芯まで船に支配されている感覚。
ソーマはぐったりしながら息を吐いた。
「もう、また顔色が真っ青よ。ほら、ちゃんと息を整えて」
隣でエルーナが心配そうに覗き込む。
細い指がそっと背中に触れ、さすってくれる。
吐き気が和らぐような、優しい感触だった。
「……ありがと。でも、慣れないな、これは」
やがて船は無事にアスヴァルの港へ到着した。
石造りの防波堤に船が接岸し、安堵と共に地面に足をつけた瞬間、ソーマは膝に力が抜けそうになる。
「はぁ……やっと終わった……」
心底ほっとした声を漏らすソーマを見て、ジョッシュがにやりと笑った。
「だらしねぇな。これから飛竜に乗るんだぞ?」
数刻後、飛竜便に乗ったソーマは、見違えるように背筋を伸ばしていた。
翼が風を掴み、空を駆ける。
大地がどんどん遠ざかり、眼下に広がる景色は雄大そのもの。
「……おぉ、やっぱり飛竜は最高だな!」
声に弾みが混じる。
潮風に苦しめられた顔はどこへやら、すっかり元気を取り戻していた。
「ちょっと、さっきまで船で死にかけてた人が何言ってるの?」
エルーナがじと目を向ける。
「そうだぞ。港で吐きそうになってたくせに……」
ジョッシュも呆れ半分に口を尖らせる。
「ち、違うんだ。飛竜はこう……風に乗ってる感じで気持ちいいんだよ」
ジョッシュが豪快に笑う。
「ははっ! 船酔いするくせに飛竜で元気に大声あげるなんて、相変わらず規格外だなお前は!」
仲間たちの笑いに囲まれても、ソーマは苦笑するしかなかった。
(……みんな、元気そうで何よりだ)
クリスは以前よりも自信を増している。
新しい力を手にし、自分の役割を意識している目だった。
ジョッシュは頼もしさを増し、どこか兄貴分らしい余裕さえ漂わせている。
エルーナは正式に仲間に加わったことで、肩肘を張らずに笑えるようになっていた。
(……本当に、いい仲間を持ったな、俺は)
やがて王都が近づいてくる。
石造りの城壁が朝日に輝き、見慣れた王都の景色が目に飛び込んできた。
懐かしさに胸が熱くなる。
(戻ってきたんだ。俺たちのホームに)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
王都に着くや否や、彼らは冒険者ギルドへと向かった。
扉を開けた瞬間、漂う喧噪と酒の匂いに帰ってきたと実感する。
「ソーマさん! おかえりなさい! ご無事で何よりです……」
受付にいたメルマが目を潤ませ、駆け寄ってきた。
「魔道通信機でメッセージは受けていましたが……本当に心配したんですよ」
《メルマとの恋愛フラグが発生しました》
(え……メルマさんって俺の事……)
胸が不意に跳ねた。
だが、そんな顔を見せるわけにもいかない。
「と、とにかくギルドマスターに報告したいので取り次いでもらえますか」
「はい……少しお待ちください」
メルマの頬が赤らんでいるのを見て、ソーマは視線を逸らした。
(どうすればいいんだ、これ……)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「世界樹がダンジョン化し魔物が発生した……だと?」
カルヴィラが報告を聞き、重い声を洩らした。
ソーマたちは世界樹での出来事を隠すことなく伝えた。
世界樹のダンジョン化、ダンジョンコアと同化し力を増した大蛇。
カルヴィラは黙って聞き続け、最後に深く息を吐いた。
「……やはり、魔王復活の兆しかもしれん」
その一言に場の空気が凍る。
「ま、魔王……!」
クリスが息を呑む。
彼女の白い指が杖を握る手に力を込めた。
「均衡が揺らげば、必ずどこかに兆候が現れる。伝承ではそう語られている。お前たちの見た現象がその前触れでないと、誰が断言できる?」
カルヴィラの言葉は重く、否定の余地がなかった。
(魔王……やはり復活するのか。俺たちが今まで遭遇した異変もその前兆だったという事か……)
心臓が早鐘を打つ。
それは恐怖ではなく、覚悟に近いものだった。
「だが報告は確かに受け取った。依頼主である国へは、こちらから正式に伝える。よくやったな、お前たち」
カルヴィラが静かに頷く。
その声には、信頼と期待が込められていた。
「そして今回の功績をもって、君たちのランクを一段階引き上げる。――Bランク昇格、おめでとう」
「えっ……!」
ソーマたちが目を丸くする。
「驚く事もないだろう。一国の危機を救ったんだ。胸を張れ。ちなみにユーサー達も一足先にBクラスに昇格している。今後もお互いに切磋琢磨し鍛えてくれ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ギルマスの部屋を出た後、受付にてエルーナが正式にアストレイの冒険者として登録される。
「これで私も正式な仲間ね」
冒険者カードを手にした彼女は、心から嬉しそうに微笑んだ。
「これからもよろしく頼むわ、みんな」
「おう、頼りにしてるぜ!」
ジョッシュが大きな手を差し出す。
「エルーナさん、これからは仲間です。私も力になりますから」
クリスもにこやかに笑う。
「……改めて、よろしくな」
ソーマもその手を重ねた。
仲間の輪の中心に立つエルーナを見て、胸の奥が温かくなる。
だが――視界の端に、例の通知が浮かんでいた。
《エルーナとの恋愛フラグが発生しました》
エルーナと視線が交わった時、ひときわ強く点滅する。
彼女の笑みが何を意味するのか。
自分がどう応えるべきなのか。
(……壊すのは、さすがに忍びない。でも、このままじゃ……)
現状恋愛フラグは壊さない限り消えそうにない。
だからといって、曖昧にし続けても警告のように表示され続ける。
(何とかならないか……)
心の中で試すように意識を集中すると、不意に設定画面のようなものが浮かんだ。
そこには見慣れぬ項目があった。
【通知:オン/オフ】
(……あ、これ……消せるのか?)
試しに恋愛フラグの通知をオフに切り替える。
すると、視界から眩しい点滅がすっと消えた。
残っているのは――【死亡フラグ】の赤い文字だけ。
(……これは……怖くて消せないな)
さすがに命に関わる警告を消すのは、自分自身への裏切りに思えた。
(ならせめて、恋愛フラグの通知だけ切って過ごすか)
心の奥で苦笑が漏れる。
フラグに支配されるのではなく、仲間との時間を大切にできるように。
それが今のソーマにできる精一杯の選択だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
夕暮れの王都。
猪熊亭の暖かな灯りが、旅の終わりを告げるように窓から漏れていた。
「おっ、帰ってきたね! アストレイのみんな! なんだい、かわいいお嬢さんも増えてるじゃないか」
おかみさんの豪快な声が響く。
香ばしいシチューの匂い、ざわめき、笑い声――
懐かしい空気に包まれ、ソーマは深く息を吸い込んだ。
「……ただいま」
ソーマは仲間の笑顔を見渡す。
クリスは安堵の笑みを浮かべ、ジョッシュは上機嫌にジョッキを掲げ、エルーナは照れ隠しのように頬を染めていた。
(俺たちの帰る場所は、ここだ。だけど――まだ終わりじゃない。魔王が復活するというなら、きっとまた旅に出ることになる)
そんな予感を胸に抱きながら、ソーマは杯を掲げた。
第5章開幕です。
仲間も増えBクラスにもなったソーマ達。
今章ではどんな出来事に巻き込まれるのか。
そしてまた仲間が増えるのか。
作者も知りたいです。
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