74:巣立ちのフラグ、陰りのフラグ
【ダークエルフの女王:ルーナ視点】
高台からは港が一望できた。
朝の光を浴びて、白い帆がきらめく。
潮風が頬を撫で、遠く波音が絶え間なく響いてくる。
その船に、私の娘が乗っている。
――エルーナ。
(……もう十六年も経つのか)
思い返せば十六年前の冬。
冷たい雪に覆われた森の夜、彼女は私の元へと預けられた。
理由は単純で、そして残酷だった。
「ハーフエルフなど穢れだ」
「純血の都に混じることは許されない」
「王家の血を汚した忌むべき存在」
エルフの都では、彼女の存在は忌むべきものとされた。
まだ赤子の彼女は、母からも抱かれずに離され――そうして私のもとへ託されたのだ。
私はそれを拒まなかった。
むしろ、私の腕の中で泣きじゃくる小さな体を、強く強く抱きしめた。
その日から、エルーナは私の娘になった。
笑いながら森を駆け回った日もある。
『どうして私は皆と違うの?』と叫んで、私の胸を叩いたこともある。
そして――ギフトがわからずに涙を流した日もあった。
その夜のことは今も鮮明に覚えている。
震える声で『私には何もないんだ。だから捨てられたんだ』と呟いた幼いエルーナに、私は膝をついて目を合わせ、こう言った。
『たとえ見えなくても、ギフトは必ずお前の中にある。それは誰にも奪えない。……だから泣くな、エルーナ。私は信じている』
――その時の彼女の瞳。
涙に濡れながらも、必死に光を求めていたあの眼差し。
私は、あの眼を裏切ることだけは絶対にしないと誓った。
そして今。
彼女は自らの意志で旅立とうとしている。
昨夜、『ソーマたちと共に行きたい』と告げられたとき、私は胸を締めつけられる思いだった。
我が子を戦場へ送り出すような恐怖。
けれど同時に、あの子の決意を曇らせたくはなかった。
だから――賛成した。
母としてではなく、ただ一人の女王として。
巣立ちを認めてやらねばならないと思ったのだ。
けれど胸の奥は、張り裂けそうに痛む。
笑顔で背中を押した手は、今もかすかに震えていた。
「……本当に、行ってしまったな」
私は小さく呟いた。
隣に立つのは、一人のエルフ。
長い金髪を風に揺らし、真っ直ぐに船を見つめている。
その横顔には、強い感情を押し殺すような影が宿っていた。
私は問いかける。
「……別れの言葉をかけなくて良かったのかい?」
その声に、彼女は小さく息を吐き、苦笑を浮かべた。
そしてゆっくりと首を振る。
「……その資格は、私にはありません」
短い答えだった。
だがその言葉の裏に潜む痛みを、私は知っている。
彼女の瞳は、船に乗る小さな背を追っていた。
声をかけたくてたまらない。
だが許されない。
抑えきれぬ未練と後悔が、彼女の沈黙を染めていた。
私は横目で彼女を見やる。
「今回の一件でエルフの未来も変わるさ。……いつかは、話せるといいね」
彼女は何も答えない。
けれど、わずかに拳を握る仕草が、心の揺らぎを雄弁に物語っていた。
海から吹き上げる潮風が、ふたりの間をすり抜けていく。
それは温かくもあり、切なくもある風だった。
――親子の縁を拒まれた者。
けれども、その想いは決して消えてはいない。
私は目を細め、水平線の彼方へと消えていく帆影を見送った。
潮風が吹き抜け、森の葉がざわめいた。
その音はまるで、新たな旅立ちを祝福する拍手のように響いていた。
けれど胸の奥で疼く予感は、決して晴れなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
【???視点】
そこは蒸すような湿気に覆われ、濃い緑が辺りを支配している。
その中心に立つ、一人の女。
艶やかな黒髪を背に流し、血のように赤い衣をまとった美女。
その姿は妖艶にして猛々しく、獲物を睨む蛇のように冷たかった。
彼女の足元には、無残に引き裂かれた蛇の残骸が転がっている。
「……お気に入りだったのに」
低く、吐息のような声がもれる。
リヴァイアサーペント。
自らの力の象徴であり、いずれ門に到達する為の器でもあった存在。
それを失った痛みは、怒りと後悔を同時に呼び起こしていた。
「もっと忠告を聞くべきだったわね……」
女は細い指で蛇の鱗を撫で、冷笑を浮かべる。
だが、後悔に浸るだけでは済まされない。
彼女には仲間がいる。
他の大陸に散らばる、同じ志を持つ者たちが。
女は懐から小さな蛇を取り出した。
鱗は薄い青緑に光り、その瞳には奇妙な知性が宿っている。
これは遠き地の仲間へと声を届ける道具。
女は唇を寄せ、囁くように語りかける。
「……聞こえる? 冒険者に気をつけなさい。名前は――ソーマ。あいつこそ、私たちがこんな目に遭った元凶よ。次は、あなたの番よ」
蛇はわずかに口を開き、ひと鳴きしてから、するすると密林に溶けるように姿を消した。
残された女は、空を仰ぐ。
その瞳は遠く海の彼方を見据えていた。
まるで、ソーマたちの旅路を嘲笑うかのように。
「……あの時、私の忠告を聞かないからこうなるのよ……」
風が吹き抜け、木々の葉がざわめく。
それは祝福の音ではない。
嵐の予兆を告げる、不穏な鼓動だった。
これにて第4章完結です!
第4章も無事に毎日投稿する事が出来ました。
色々書きたい事は活動報告にて書かせて頂きます。
物語はこのまま第5章へと移ります。
第5章も毎日更新目指して書き続けます。
※作者からのお願い
投稿のモチベーションとなりますので、この小説を読んで「続きが気になる」「面白い」と少しでも感じましたら、↓の☆☆☆☆☆から評価頂き作品への応援をよろしくお願い致します!
お手数だと思いますが、ブックマークや感想もいただけると本当に嬉しいです。
ご協力頂けたら本当にありがたい限りです。




