72:未来へ繋ぐフラグ
巨蛇の巨体が崩れ落ち、瘴気が霧散した空洞には、深い沈黙が広がっていた。
ただ、残されたのは荒い息を吐く兵士たちと、血に染まった床、そして勝利の余韻。
「……はぁ、はぁ……」
ソーマは剣を杖にして立ち尽くす。
視界が霞み、全身の力が抜け落ちていく。
重い……剣すら握ることができない。
だが、ようやく終わった――その実感が胸を熱くする。
「ソーマ、大丈夫……?」
エルーナが駆け寄り、必死に肩を支える。
その手の温もりが、かろうじてソーマをこの場に繋ぎ止めていた。
その時――
奥の通路から重い足音が押し寄せてきた。
「っ……この気配……」
クリスが盾を構える。
だが現れた光景に、彼女の瞳が大きく揺れた。
数十名を超える兵士たち。
鋭い眼光を宿した精鋭のエルフたち。
そして彼らを率いる、金の髪を戴いた一人の女性――荘厳な衣を纏い、王冠を戴いた姿は、まさに威光そのもの。
「……エーメル女王陛下……!」
エルフ兵たちが一斉にひざまずく。
エルフの女王、エーメル。
冷ややかな月光のような瞳が、戦場を一望した。
まずは、無惨に横たわる巨蛇の亡骸。
次に、血に倒れ込む多くの兵士。
そして最後に――この聖域にいるはずのない人間と、その仲間たちへ。
「……ソーマ殿……? それに……!」
その小さな呟きには、驚愕と、警戒と、計り知れぬ感情が入り混じっていた。
「ま、待ってください! 私たちは――」
エルーナが声を張ろうとした瞬間、ソーマの足が崩れた。
「ソーマ!」
その身体が彼女の腕に沈み込む。
視界が闇に呑まれる直前、ソーマの耳に、兵士たちのざわめきがかすかに届いた。
「なぜ人間が……」
「ハーフエルフだと!? なぜここに……」
「不敬だ、聖域に踏み入るとは……!」
(……やっぱり……か……)
最後に浮かんだのは、エルーナの涙に濡れた横顔だった。
ソーマの意識は、そこで途切れた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
……静かなぬくもりがあった。
柔らかな布の感触に包まれ、遠くから小鳥の囀りが聞こえる。
――生きている。
「……ここは……」
ソーマが目を開けると、見知らぬ天蓋の下にいた。
白木で作られた荘厳な天井。
壁には精霊を象った刺繍。
ベッドの上に寝かされている。
そして横を見ると、椅子に腰掛けたエルーナがいた。
彼女はウトウトと眠っており、それでもソーマの手をしっかりと握っていた。
その頬には、涙の跡がまだ残っている。
「……エルーナ……」
名を呟くと、彼女の瞼がかすかに動き、はっと顔を上げた。
「ソーマっ!? 気がついたのね!」
潤んだ瞳が輝きを取り戻し、ソーマの手をさらに強く握る。
「よかった……本当に……よかった……」
「……心配かけたな」
ソーマは微笑み、弱々しく返す。
その笑みに、エルーナの目から再び涙がこぼれた。
その時――扉が開き、足音が近づいた。
「お、目ぇ覚ましたか!」
ジョッシュが大きな声で飛び込んでくる。
後ろには、静かに歩みを進めるクリスの姿も。
「……二人とも……」
ソーマは上体を起こそうとするが、体はまだ重い。
「無理すんな!」
ジョッシュが制止しながらも、安堵の笑みを浮かべた。
「まったく……最後に派手にやりやがって。見てるこっちは心臓が止まるかと思ったぜ」
クリスも微笑むが、その瞳は赤く充血している。
「ですが……無事で何よりです。本当に……」
「……俺が倒れた後、どうなったんだ?」
ソーマの問いに、ジョッシュが腕を組みながら答える。
「簡単に言うとだな……俺たちは保護って名目でここに連れてこられた。けど実際は――」
「軟禁状態、ですね」
クリスが言葉を継ぐ。
「無断で聖域に足を踏み入れたのですから……当然の処置でしょう」
「……そうか」
ソーマは苦笑し、深く息を吐いた。
命懸けで戦った後だというのに、待っていたのは感謝ではなく疑念。
だが、それも仕方ない。
「でも!」
エルーナが声を張った。
「もしソーマたちがいなかったら、私たちはみんな……大蛇に……!」
言葉が詰まり、彼女の手が震える。
「わかってるさ」
ジョッシュが肩をすくめる。
「だが相手は女王陛下だ。感情だけでどうにかなる話じゃねぇ」
クリスが神妙な面持ちで言う。
「それでも……ソーマが目を覚ましたと知れば、必ず面会があるはずです」
予感はすぐに的中した。
しばらくして部屋の扉が開き、恭しく頭を下げた従者が告げる。
「女王陛下がお呼びです。全員、謁見の間へ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
謁見の間は、精霊の息吹を思わせる神秘的な空間だった。
天井からは淡い光が差し込み、白樹の柱が並び立つ。
その中央に座すは――女王エーメル。
左右には兵士や貴族たちが整列し、ソーマたちが進むたびにざわめきが広がった。
「聖域に侵入した人間が……」
「女王陛下の御前に立つなど……」
だがエーメルの視線は、一点、ソーマたちに注がれていた。
冷厳でありながら、決して敵意だけではない光を宿して。
「……よくぞ、戻りました」
女王の声が響いた。
透き通るような声音は、場を一瞬で静める。
「この世界樹を覆った災厄を退けたのは……確かに、そなたたちの力であると報告を受けています」
兵士たちがざわついた。
だが女王は手を上げ、場を制した。
「人の子であろうと、ハーフエルフであろうと……結果は揺るがぬ。世界樹を護った勇気に、感謝を捧げる」
その言葉に、ソーマの胸が熱く震えた。
称賛であると同時に、試されている――そんな感覚。
「……ありがとうございます」
ソーマは深く頭を下げた。
だが女王の瞳は鋭さを増す。
「だが同時に問います。なぜ、聖域に踏み入ったのですか?」
張り詰めた空気が謁見の間を覆う。
ソーマは迷わず答えた。
「俺たちは……ただ、エルフの皆さんを助けるために来ました。そして結果として、世界樹を救えた。理由は――それだけです」
沈黙。
やがて女王は目を閉じ、長く息を吐いた。
「……その言葉に偽りはないようですね」
再び瞳を開き、会衆に向かって告げる。
「人と我らは長きにわたり隔たりを抱えてきました。だが――今日、ここに一つの事実が示されました」
その声が謁見の間に響き渡る。
「異なる種族であろうと、力を合わせれば災厄を退けられる。ならば我らは考えねばなりません。憎しみではなく、共存の未来を」
ざわめく兵士たち。
反発も、驚きも、しかし確かに揺らいでいる。
女王はソーマたちをまっすぐに見据え、静かに微笑んだ。
「――よくぞ、アスエリスを守ってくれました。ありがとうございます」
その言葉に、ソーマは胸の奥から込み上げる熱を抑えられなかった。
長き隔たりの先に、ほんのわずかだが新たな道が見えた気がした。
これがきっかけとなりエルフの未来は変わるのでしたとさ。
めでたしめでたし。
第4章もうちょっと続きます。
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