55:揺れる海と揺れるフラグ
――船旅、一日目。
「……うぷっ」
船が波に揺れるたび、ソーマの顔色は青ざめ、胃の奥から込みあげる不快感に堪えきれず、身体をぐらりと傾ける。
「ソーマさん、大丈夫ですか!?」
隣に座っていたクリスが慌てて手を伸ばした。
ソーマは片手で口を押さえ、船縁に突っ伏す。
喉の奥がひっくり返るような気分の悪さに、かろうじて返事を絞り出す。
「……だ、だめだ……これが……船酔いってやつか……」
「無理せず横になっていて下さい……」
クリスは眉を寄せ、ソーマの背を優しくさすった。
一方で、ジョッシュはといえば――
甲板の真ん中で大きく伸びをし、潮風を全身に受けながら豪快に笑っていた。
「ははっ! ソーマ、情けねぇな! ほら見ろよ、この大海原! 新大陸が待ってんだぞ! もっと胸張れっての!」
「……おま……人の気も知らずに……」
ソーマの呻き声は、無情にも波音にかき消された。
クリスは両手を胸の前で組み、魔法陣を描く。
「【ヒール】」
柔らかな光がソーマを包み込み、青ざめていた顔色がみるみる回復していく。
「ふぅ……少し、楽になった……」
「よかった……でも……」
クリスは唇を噛む。
「船酔いって、回復魔法で抑えても、一時的に楽になるだけで……またすぐにぶり返すんです」
「……やっぱりか」
ソーマは苦笑し、額の汗を拭った。
「だから気にするな。ずっと看病されても悪いし……」
「気にします!」
クリスが思わず声を張る。
頬が赤く染まり、目を逸らしながら小さく続ける。
「ソーマさんが辛そうにしてるのに……放っておけるわけ、ないじゃないですか……」
「……クリス」
ソーマは胸の奥がじんわり熱くなるのを感じ、言葉を失った。
そんな二人を見て、ジョッシュはにやにや笑いながら近づく。
「おーおー、青春だなぁ。なぁソーマ、クリスに甘えとけよ。俺は甲板で船員さんに混ざってロープでも引いてくるからよ!」
「……勝手にしてろ……」
ソーマは弱々しく返し、クリスが慌てて彼の背を支えた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――航海、二日目。
船旅は想像以上に揺れた。
だが、船員たちは慣れたもので、荒れた海でも手際よく帆を張り、掛け声を合わせて作業を進めていく。
「ヨーソロー! 波に合わせろ!」
「おい新入り、縄を緩めすぎだ!」
甲板は威勢のいい声で満ち、活気があった。
ジョッシュはすでに溶け込み、樽を担いだり帆を固定したりと楽しげに働いている。
「お前、船員やっても食ってけるんじゃねぇか?」
「ははっ! 陸でも海でも力仕事は任せろってな!」
一方、ソーマは船縁に腰を下ろし、重い頭を抱えながら波間を眺めていた。
「……何かいるな」
次の瞬間、海面を割って黒光りする魚の群れが跳ね上がった。
長い吻を持ち、槍のように鋭く突き出して船へと突進してくる。
「スピアフィッシュだ! 持ち場につけぇ!」
船員の怒号と共に、甲板に備え付けられたバリスタが一斉に唸りを上げる。
放たれた鉄矢が海魔を次々と貫き、血しぶきが潮風に舞った。
「すげぇ……本当に船に武装してんだな」
ジョッシュが目を丸くする。
「大陸間の航海では日常茶飯事だそうです」
クリスがソーマの隣で説明した。
「だから冒険者が出るまでもなく、船員さんたちだけで十分なんです」
「……そりゃ助かる」
ソーマは安堵の息を吐く。
今の体調で戦えと言われても、自信はなかったからだ。
数分でスピアフィッシュは撃退され、海は再び静けさを取り戻す。
船員たちは笑いながら矢を回収し、血を洗い流し、何事もなかったかのように作業を再開した。
「毎回あんなの出てきたらたまらねぇな」
「でも退屈しなくていいだろ?」
「……俺は勘弁してほしい」
げっそりした顔のソーマに、クリスは小さく吹き出した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ソーマの船酔いは依然として続いていたが、初日のように倒れ込むことは減っていた。
それでも油断すれば胃の奥がすぐにひっくり返る。
「水、飲みますか?」
「……あぁ、ありがとう」
「パンも少しだけなら食べられるかも……」
「……いや、今は……無理だ……」
クリスはずっと甲斐甲斐しく世話を焼き、ソーマは申し訳なさと感謝が入り混じった気持ちで彼女を見つめる。
「本当に悪いな……俺ばっかり迷惑かけて」
「迷惑なんかじゃありません」
クリスは首を横に振り、少し恥ずかしそうに笑った。
「こういうときに支え合うのが……仲間ですから」
その笑顔に、ソーマの胸はまた熱くなる。
「……ありがとう、クリス」
「な、なんですか……急に」
クリスが頬を赤く染め、視線を逸らす。
ソーマは小さく笑みを浮かべた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――七日目。
航海は順調に進み、大きな嵐も事故もなく――船はついに翠大陸の東岸へと近づいていた。
「おお……見えてきたぞ!」
ジョッシュが叫ぶ。
水平線の向こう、濃い緑に覆われた大地が姿を現す。
高くそびえる山々、そのさらに向こう、霞の中に巨大な影――
世界樹が確かにそびえていた。
ソーマは胸いっぱいに潮風を吸い込み、感慨深く呟いた。
「……ついに来たな。アスエリス」
クリスも隣で静かに頷く。
「本当に……着いたんですね」
やがて船は港町リオンへと入港する。
白壁の建物が並び、桟橋には商人や冒険者たちの姿が絶え間なく行き交っていた。
勇大陸とはまた違う文化と香りに、三人の胸は自然と高鳴る。
宿に荷を下ろした三人は、情報収集も兼ねて夜の街へ繰り出した。
「やっぱり酒場だろ!」
ジョッシュが真っ先に提案する。
「情報は酒場に集まるって決まってる!」
「そうですね。土地勘もありませんし……」
クリスも同意し、ソーマも頷いた。
三人が酒場の扉を押し開けると、内部は笑い声と楽器の音で賑わっていた。
木のテーブルには酒と肉料理が並び、冒険者らしき者たちが地図を広げ、声を荒げて議論している。
その光景にソーマは息を整え、仲間に向き直った。
「さぁ……ここからが本番だ」
新大陸、翠大陸アスエリスでの冒険が、今まさに幕を開けようとしていた――
誰かが船酔いするのは鉄板かなと思いまして。
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