46:あの日折ったフラグが、今、再び
ギルドの扉を開けた瞬間、重厚な木製の床がきしむ音と共に、奥の部屋からギルド長イルムが現れた。
彼は分厚い資料の束を脇に抱えたまま、無意識のように一歩、前に出る。
そして、扉の向こうに立つ彼らの姿を見た瞬間、その顔が驚きに染まり、次いで、安堵の色へと変わった。
「……生きて帰ってきたか……!」
掠れた声だった。
それでも、その言葉には強い感情が宿っていた。
イルムはそれ以上、何も言えなくなったかのように、目を見開いたまま立ち尽くしていた。
ソーマたちの衣服は汚れ、ところどころ破れていた。
だが、その足取りはしっかりしていたし、誰一人として欠けてはいなかった。
「村に虫の大群が押し寄せてきたって報告を受けた時は、最悪の事態も覚悟してた。だから、すぐに避難や支援の手配も進めていたんだが……ケンさんが全部、片付けてくれてな……」
イルムはそこでいったん言葉を切り、目の奥にちらりと疲労の色を浮かべながら続けた。
「……そしてソーマたちの方は? セクト樹海で、何があったんだ?」
問いかける声は低く、だが明確に震えていた。
ソーマたちはうなずき、口頭で簡潔に、しかし確実に事の経緯を語った。
――突如としてダンジョンと化したセクト樹海。
――規格外の数を誇る特別種の虫の大群。
――融合し、異形と化した女王虫との死闘。
一つ一つの報告を聞くたびに、イルムの表情が目に見えて変わっていく。
驚愕、恐怖、そして……悔恨。
「これは……これはもはや、国レベルで対処すべき調査だ……」
彼の声はかすれ、息は荒かった。
手に持っていた資料が床に滑り落ちる音が、静かな事務所に響く。
イルムはがくりと腰を落としそうになりながらも、何とかデスクに手をついて身体を支えた。
「……まさか、あの樹海の奥に、そんな異常事態が隠されていたとは……!」
ぽつりと漏らされたその呟きには、明らかに悔しさがにじんでいた。
「俺は……知らずとはいえ、お前たちを死地に送り出してしまったんだな……」
ソーマは短く、深い息を吐いた。
そしてゆっくりと、イルムに向かって言葉を紡いだ。
「……俺たちも、現地に入るまでは、まさかここまでの規模になるとは思ってなかった。だけど、全員で踏み込んで、全員で帰ってきた。それが、何よりの成果です」
言葉に力はなかったが、確かな重みがあった。
もし誰か一人でも欠けていたら――
その想像だけで、喉の奥が詰まりそうになる。
「……すまない。完全に、俺の判断ミスだ……!」
イルムが深く、深く頭を下げた。
その背中からは、ギルド長としての威厳ではなく、一人の男としての誠意がにじんでいた。
「……謝るのは、俺たちが死んでからにしてくれよな。ま、結果的には無事だったしさ」
ジョッシュが肩をすくめ、気楽そうに笑ってみせる。
その一言が、張り詰めていた空気にわずかな隙間を作った。
「……うん。たぶん……今の私たちだったから、生きて帰ってこられた。全員がいたから」
クリスの言葉に、皆がそっとうなずく。
その目には、安堵と誇り、そして深い疲労の影が見えた。
だが、ふとエーデルが口を開き、空気は再び引き締まった。
「……融合された虫種。もしあれが自然発生じゃないとしたら、裏に何者かが関与している可能性がある」
皆の表情が静まり返る。
「……まだ断定はできない。ただ、あの女王には……知性を感じた」
ユーサーが静かに言った。
「知性……?」
「……ああ。ただの本能じゃない。獲物をただ捕食する虫の動きじゃなかった。あれは戦術を使っていた。こちらの動きを読み、罠を張り、兵を使い捨てる。まるで――戦争を知っている者のようだった」
その言葉に、皆の胸に重く鉛のような何かが沈んでいく。
異形の女王は偶然生まれた存在ではないのかもしれない――
誰かが、意図して生み出した存在かもしれないという疑念。
この戦いは、始まりに過ぎないのかもしれなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
数時間後――
ヒュッケ村の広場では、村人たちが急ごしらえの打ち上げを開いていた。
手作りの料理が並び、中央には大きな焚き火が焚かれていた。
村のあちこちから笑い声と音楽が流れ、子どもたちの歓声が空に響く。
戦いの記憶は確かにあるはずなのに、今だけはそれを忘れさせるような、あたたかな光景だった。
その賑やかな輪の少し外れた場所。
ソーマはひとり、木製の杯を傾けていた。
中身の地酒は、ぬるくて癖が強いが、今はそれが妙に沁みる。
村にいた頃は飲めなかったが今では飲める年になって帰ってこられた。
――帰ってこられた。
それだけでも、今日という日は祝福に値する。
「……主役がこんなところで何をしている?」
背後から、静かな声がした。
振り返れば、そこにはユーサーがいた。
彼もまた杯を手にしており、目を細めている。
「お前のための夜なんだからな。主役は、ちゃんと中央にいろよ」
「……主役は、お前だろ」
「謙遜するな。……今日は言いたいことがあるんだ。全員の前でな」
その口調は柔らかくも、真剣だった。
ソーマはしばらくその目を見つめ、それから静かに杯を置いた。
そして、二人は並んで焚き火の中央へと向かって歩き出す。
火の灯りがその背を照らす。
自然と、人々の視線が集まる。
やがて、ユーサーが立ち止まり、少し間を置いて、堂々とした声で言った。
「ソーマ――僕たちのパーティーに、戻ってこないか?」
一瞬――
ざわめきが、止まった。
焚き火の音すら静かに感じられるその中で、ソーマは息を飲む。
ユーサーの瞳は真っ直ぐで、微塵の迷いもなかった。
焚き火の揺らぎが、ソーマの目を照らす。
その中にあったのは――驚き、そして、隠しきれない喜びだった。
果たしてソーマの選択は……
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