144:託す決意のフラグ
裂けた肉塊が地に沈み、やがて黒い霧となって風に溶けるように消えていった。
門を守護していた魔族は、跡形もなく消滅した。
残されたのは、静寂。
あれほど荒れ狂っていた魔大陸の瘴気すら、この一瞬だけは押し黙ったかのように沈み込んでいた。
「……終わったな」
最初に口を開いたのは、ゼルガンだった。
低く、重い声。
安堵も達成感も含まれていない。
ただ戦場の現実を受け止める、冷徹な戦士の声だった。
ソーマは額の汗を拭いながら、門前に散った残骸を凝視した。
魔族が使った力――それは、間違いなく前世にしか存在しない概念【ラグ】。
攻撃も防御も、すべてを遅延させ、理をねじ曲げる恐るべき力。
本来なら仲間に説明し、注意を促さねばならなかった。
だが、その前にゼルガンの剣が全てを断ち切ってしまった。
だからこそ、逆に胸の奥で不穏なざわめきが強く広がっていた。
「ソーマ?」
エルーナが銃を肩に掛け直し、不安そうに彼を覗き込む。
その目は、答えを求めるように揺れていた。
「……いや、なんでもない。ただ……今の魔族、少し気にかかる」
そう言葉を濁した瞬間、硬い音が響いた。
ゼルガンが剣を地面に突き立てたのだ。
「ここは――俺に任せろ」
「……え?」
一行が一斉にざわめく。
ジョッシュが慌てて前へ飛び出した。
「ちょ、ちょっと待て! 今なんて言った!? 任せるって……どういう意味だよ、ゼルガンさん!」
ゼルガンは振り返らない。
ただ巨大な黒き扉を見据えたまま、低く言い放った。
「ここを守っていたのは魔族一体だけだ。……だが、それで終わると思うか?」
沈黙が落ちる。
誰もが口を閉ざす。
「ここを通過して中に進めば、必ず外部から援軍が押し寄せる。俺は――ここでそれを防ぐ」
「……!」
ソーマは息を呑んだ。
確かにその通りだ。
これから魔王城の中枢に踏み込む彼らを敵が黙って見逃すはずがない。
背後を突かれれば、それだけで全てが終わる。
ゼルガンの新しい剣は攻撃に特化していた。
守るためではなく、敵を切り伏せるために生まれた武器。
だが、攻撃は最大の防御。
ここでこそ、その力が必要になる。
「……一人でなんて、そんな無茶です」
クリスが思わず声を上げる。
しかし、柔らかな声がそれを遮った。
「一人ではないわ」
エーメルだった。
煌めく髪を揺らし、杖を強く握りしめてゼルガンの隣に歩み出る。
その背中には揺るぎない決意があった。
「ゼルガンが剣で敵を薙ぎ、私が魔法で援護する。二人なら、必ず持ちこたえられる」
「お母さん……! でも、危険すぎる!」
エルーナが声を荒げる。
必死に縋るように叫ぶ娘に、エーメルはそっと微笑みかけた。
そして、肩に優しく手を置く。
「心配はいらない。……むしろ、あなたたちが先に進まなければ意味がないの」
ジョッシュが悔しげに拳を握りしめた。
「ふざけんなよ……! 一緒に生きて帰ろうって、そう言っただろ!」
叫びは熱を帯び、胸を焼くようだった。
その声に、ようやくゼルガンが仲間たちを振り返る。
鋭い眼差しの奥に、かすかな優しさを滲ませて。
「……俺の生き方を邪魔するな。これは俺が選んだ道だ」
低く、だが確固たる響きで。
「兄上に顔向けできるように……もう逃げずに戦う。それが、俺の贖いだ」
誰も、言葉を重ねられなかった。
彼の声に宿る決意は、あまりにも強く、揺るぎなかったからだ。
沈黙を破ったのは、隣に立つエーメルだった。
「ゼルガンは不器用だから。だから、私が隣にいてあげます」
静かに微笑み、杖を掲げる。
ゼルガンもまた無言で頷いた。
「心配するな。あらかた片付けたら合流する」
その言葉は前世でお約束の死亡フラグのセリフであった。
ソーマはしばし目を閉じ、深く息を吸った。
胸の奥が締め付けられる。
それでも、彼らの覚悟を否定することはできなかった。
ゆっくりと仲間の視線を見渡し、そして最後に二人へと頷いた。
「……分かりました。ここを、お願いします」
声は震えていた。
だが、それが精一杯の答えだった。
「必ず……無事に合流してください。俺たちも、必ず前に進み続けますから」
ゼルガンは口の端をわずかに上げた。
笑みとも決意ともつかぬ表情で。
「……その約束、守れよ」
ソーマは強く拳を握り、はっきりと答える。
「はい! 絶対に!」
そして一行は、二人を背にして漆黒の門へと向かった。
巨門に手をかけると、重く軋む音が大地を震わせ、鈍い悲鳴のように響く。
奥から吹き出す瘴気は、まるで意思を持つかのように肌を刺し、肺を焼いた。
振り返れば、ゼルガンは剣を振り上げ、エーメルは詠唱を紡いでいた。
二人の姿は、まさに暗黒を食い止める壁。
命を懸けて守ろうとする者の背中だった。
振り返りたい衝動を必死に抑え、ソーマは闇の奥へと足を踏み入れる。
だが胸の奥には、不穏なざわめきが渦巻いていた。
――なぜ魔族が、ラグを知っていたのか。
それは前世の知識。
この世界の理では存在し得ないはずのもの。
それにもかかわらず、魔族は自在に操っていた。
それが意味するものは何か。
(……やっぱり、この世界には何かある)
握った拳に力がこもる。
もう後戻りはできない。
魔王を討つという使命の裏に、さらに深い闇が潜んでいるのかもしれない。
それでも――進むしかない。
漆黒の魔王城。
その中で待つものを討ち果たすために。
ソーマたちは闇に飲まれるようにして、一歩、また一歩と進んでいった。
「ここは俺に任せて先に行け!」
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