137:血と愛が紡ぐフラグ
再び戻った王城の一室は空気は張り詰め、誰も口を開けないまま沈黙が落ちた。
やがてアルマが立ち上がり、深く頭を垂れる。
その姿は聖女としての威厳をかなぐり捨て、ただ一人の母として罪を背負う女のものだった。
「……ごめんなさい。本当に……ごめんなさい」
その震える声は、胸を締めつけるほど痛切だった。
クリスもジョッシュも言葉を失い、ただ呆然とその姿を見つめる。
「どうして……」
沈黙を破ったのは、クリスのかすれた声。
その声音には怒りよりも、裏切られた深い悲しみが滲んでいた。
「どうして私たちを……孤児院に捨てたんですか」
アルマの肩が震え、組んだ両手を胸の上でぎゅっと握りしめる。
目には涙が溜まり、こぼれ落ちる寸前で止まっていた。
「……昔、ひとつの悲劇がありました」
低く落ちる声。アルマは遠い過去を振り返るように言葉を紡ぐ。
「ある聖女が……子を産みました。ですが、その子は魔族に人質に取られ……聖女はわが子のために命を落としたのです」
ジョッシュが驚愕に目を見開く。
「聖女の……命が……?」
「ええ。その瞬間、魔王の封印が解け、復活を許してしまった」
アルマの声が震える。
「――聖女の命が失われると、魔王の封印は解けてしまう。そして逆もまた然り。魔王の封印が解けると、聖女は命を落とす……。これは決して公にはされない、忌まわしい因果です」
部屋に重苦しい空気が流れた。
エルーナが息を詰め、声を震わせる。
「……そんな……じゃあ、アルマ様が子どもを産んだと知られていたら……」
「はい。また同じ悲劇が繰り返される。魔族は必ず狙うでしょう。……私はそれを恐れました。だから……あなたを、孤児院に預けるしかなかったのです」
クリスは歯を食いしばり、拳を震わせる。
「……結局私は……厄介者だったってことですか」
「違う!」
アルマが力強く否定した。
「あなたは……私の命よりも大切な存在でした。だからこそ、私は……あなたを守るために、自分の傍に置けなかったのです」
必死の言葉に、クリスは揺れ動きながらも顔を背ける。
その時、静かに口を開いたのはバランだった。
「……その頃、私にも子が生まれていた。ジョシュア、お前だ」
「……っ!」
ジョッシュが息を呑む。
「聖女様が子を託すのなら、護衛が必要だ。……私はそう判断し、自らの子も共に託した。クリスティーナ様を守るように、と」
ジョッシュの脳裏に、幼い頃孤児院で手渡された手紙の一文が蘇る。
――『妹を守れ』
ジョッシュは強く目を閉じる。
「……そうか。だから……あの言葉が書かれていたのか」
ジョッシュは深く息を吸い込み、はっきりとした声で言う。
「俺は……まだ全部納得できたわけじゃねぇ。でも……俺がクリスの兄であることは変わらねぇ。あの時の言葉は……これからも守り続ける」
その力強い宣言に、クリスは思わず兄を振り返る。
瞳が揺れ、安堵と戸惑いが入り混じった光を宿していた。
アルマは涙をこらえながら、さらに続ける。
「……二人を預けた神官は、私とバランが唯一心から信頼できる人物でした。彼は私たちにすら預け先を明かさず、接触も絶った。だから……成長した二人が目の前に現れても、すぐには気づけなかったのです」
嗚咽を飲み込み、言葉を絞り出す。
「聖女会議で出会った時、あなた方は愛称で名乗っていた。『クリス』と『ジョッシュ』……それだけでは確信できなかった。けれど――今回フルネームを聞いたとき、すべてが繋がったのです。……そして思ったのです。いずれ魔王が復活すれば、私は死ぬ。ならばせめて……真実だけは、自分の口で伝えたいと」
部屋に、誰も声を発せぬ沈黙が広がった。
それを破ったのは、クリスの震える声だった。
「……でも……私は……」
迷い、戸惑い、苦しみに押しつぶされそうな声音。
ソーマが静かに歩み寄り、クリスの目を真っ直ぐに見つめた。
「クリス。さっき言ったよな……自分は誰にも必要とされていないって」
クリスは肩を震わせ、唇を噛む。
「でも、それは違う。アルマ様は……お前を想ってた。守るために……自分を犠牲にしてでも」
「……でも、捨てられた事実は……消えない」
「そうだな。消えはしない。けど……その奥にあった愛情を、信じてみてもいいんじゃないか」
ソーマのまっすぐな言葉に、クリスの瞳が潤む。
頬を伝う涙を拭おうともせず、クリスは小さく頷いた。
「……信じても……いいのかもしれない。少しずつ……だけど」
その瞬間、アルマは顔を両手で覆い、嗚咽を漏らした。
バランは黙して何も言わず、ただ彼女らを見守り続けた。
――一つの真実が明かされ、血に刻まれた因果が繋がった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
その夜。
猪熊亭の自室に戻ったソーマは、机に肘をつきながら深い息を吐いた。
(魔王討伐の決定……アルマ様の真実……クリスとジョッシュ……全部、一気に押し寄せてきた……)
混乱を整理しきれず、ただ静かに天井を見つめていると扉を叩く音がした。
「……どうぞ」
扉を開けたのは、クリスだった。
灯りに照らされた横顔は、まだ赤みを帯びている。
「ソーマさん……入ってもいいですか」
「もちろん」
クリスはそっと部屋に入り、扉を閉めた。
そして、迷いなくソーマの正面に立つ。
「……さっきは、本当にありがとうございました。ソーマさんを信じて、アルマ様の話を聞いて……よかった」
ソーマは柔らかく笑みを浮かべる。
「俺は何もしてない。ただ、一緒にいただけだ」
「……でも、それが……力になりました」
クリスは一度視線を落とし、そして意を決したように顔を上げた。
「……あの時。私を追いかけてくれた時……『大切だから』って言ってくれましたよね。……あれって、どういう意味なんですか?」
澄んだ瞳が、逃げ場を与えない。
ソーマは胸の奥が熱くなるのを感じた。
(……逃げるな。もう迷わない)
ソーマは深く息を吸い込み、クリスの肩に手を置いた。
「――そのままの意味だ。クリスは俺にとって……かけがえのない、大切な人なんだ」
クリスの目が大きく見開かれる。
頬が赤く染まり、唇が震える。
「ソーマ……さん……」
次の瞬間、ソーマは彼女を強く抱き寄せ、唇を重ねた。
「……っ……」
小さな吐息がもれる。
やがて彼女も目を閉じ、そっと応える。
夜の静寂に包まれながら、二人は互いの心を確かめ合い――
やがて、一つになった。
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