128:失われた英雄のフラグ
張り詰めた空気が道場を支配していた。
ゼルガンの口から放たれた名前――「センドリック」「サンドラ」。
その響きは、ソーマが幼い頃に伝承として耳にした、かつての勇者とその仲間の女格闘家の名だった。
弟子たちは困惑の表情で師範夫婦を見つめ、足を止めた。
互いに目を合わせ、何を思ってよいのか分からず、ただ立ちすくむ。
ケンは深く息を吐き、低い声で告げた。
「今日の稽古はここまでだ」
弟子たちは互いに顔を見合わせ、動揺を隠せずに慌ただしく礼をして退出していく。
その背中を見送りながら、ソーマは胸の奥で何かが締め付けられるのを感じた。
幼い頃に聞いた物語の勇者――本当に目の前にいるのか。
頭では理解しても、心はまだ受け入れきれずにいた。
道場に残ったのは、ソーマ一行と、ケン、ラン、そしてゼルガン。
緊張が重く沈み、誰も声を出すことを躊躇う。
やがて、ケンが重い足取りで口を開いた。
「……場所を移そう。ここでは話しにくい」
その声音は普段の父のものではなく、戦士としての覚悟を帯びていた。
ソーマは黙って頷き、仲間と共に家へと向かう。
道中、足音の一つ一つが心臓の鼓動のように重く感じられた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
居間に腰を下ろすと、ケンは全員を見渡した。
その視線が止まったのは――リンだった。
「……リンも一緒だったのか……」
「はい。ゼルガンさんが……姉さんも一緒にと」
ソーマが答えると、ケンの眉がわずかに動く。
やがて視線をゼルガンに移し、低く問う。
「ゼルガン……お前、あのことを話したのか?」
ゼルガンは静かに首を横に振った。
「いや。……だが話す時が来たと思った。だからこうしてここに来たんだ。本人たちの前で、お前たちがどう受け止めるか確認するためにな」
その言葉に、ケンとランは沈黙した。
二人の間に、言葉にならない迷いと重みが漂う。
居間の空気は、張り詰めた糸のように緊張していた。
ソーマは拳を握りしめ、声を震わせて口を開いた。
「父さん、母さん……! 俺たちがここに来たのは――世界会議のためなんだ。魔族との戦いは激しさを増している。魔王復活も近い。でも勇者や聖女候補が次々にやられている。そこで国が……先代勇者の力を借りたいと、俺たちに依頼してきて……ゼルガンさんに相談したんだ!」
必死の告白に、ランの瞳が揺れ、ケンも深く息を吐いた。
長年隠してきた重責の一端が、今、表に押し出されている。
「……そうか。ここまで来たら、もう隠し続けることはできんだろうな」
沈黙を破るように、ケンは顔を上げる。
その瞳には逃げられない決意が宿っていた。
「ソーマ……いや、皆に話しておかねばならないことがある」
その声は、懐かしくも威厳を帯び、場を凛とさせた。
「俺が――先代勇者センドリックだ。そして母さんの本当の名前はサンドラだ」
「……っ!」
ソーマの胸が締め付けられる。
クリスは息を呑み、ジョッシュは目を見開く。
エルーナとリンは言葉を失い、居間は重苦しい静寂に包まれた。
ケン――いや、センドリックは続ける。
「俺たちはそこにいるゼルガン、聖女アルマ、アスエリスの女王エーメルとパーティーを組んでいた。そして魔王を封印した後……俺は勇者としての力を失った。勇者のギフトは、魔王の封印と同時に消えたんだ」
「ギフトが……なくなった……?」
ソーマは震える声で問い返す。
センドリックは静かに頷いた。
「そうだ。ギフトを失った俺は、ただの人間になった……まぁ剣の技術は残ったがな。だから王都を離れ、この村に移住した。ここなら俺たちの顔もばれないと思った。そして名前を変え、道場を始めた。ただの夫婦として生きるためにな」
ランが微笑む。
その微笑みは優しいが、長い年月に耐えた覚悟が滲む。
「でもね、ソーマ。理由はそれだけじゃないの」
「……どういうこと、母さん?」
ランはリンに視線を移し、言葉を選ぶように息を整える。
「それは……リン、あなたのためでもあるのよ」
「わ、私の……?」
リンの顔に戸惑いと動揺が広がる。ソーマもまた理解できずに問い返す。
「どうしてこの村に来るのが姉さんのためになるんだ……?」
その時、ゼルガンが口を開いた。
長い沈黙を破り、低く確信を帯びた声で告げる。
「ここから先は、俺が話そう」
ケンはゼルガンを見やり、僅かに目を細める。
「……いいのか? 本当に話すのか」
「ああ。兄上には伝えてある。もう覚悟は決まっている」
ゼルガンは深く息を吸い込み、リンの方へ視線を向けた。
その目には、鍛冶師としての冷静さではなく、一人の親族としての真剣さが宿っていた。
「リン……お前は――俺の姪だ」
居間に沈黙が落ちる。
リンの瞳が大きく見開かれ、唇が震える。
ソーマの心臓も早鐘のように打つ。
「……え?」
それは、これまで信じてきたすべてを覆す一言だった。
血筋に隠された真実――そして失われた英雄の物語が、今、明かされようとしていた。
一応匂わせていたとは言え予想できていた人は手を上げてください。
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