125:秘められた帰郷フラグ
夜は静かに更けていった。
ゼルガンの鍛冶場を後にしたソーマたちは、猪熊亭に戻り、それぞれの部屋で眠りについた。
――前勇者センドリックの捜索依頼。
――ユーサーが遺した旗の話。
――ゼルガンの沈黙。
あまりに多くの出来事が一度に押し寄せ、ソーマは布団の中でもなかなか眠りに落ちることができなかった。
(……ゼルガンさん、あの時、明らかに何かを言いかけてた。けど結局……口をつぐんだままだった)
瞼を閉じれば、鍛冶場の火がぱちぱちと爆ぜる音が甦る。
あの沈黙が、まるで胸の奥に刺さった棘のように引っかかっていた。
(センドリック……前勇者。ゼルガンさんは絶対に何か知ってる。けど、それをすぐに言わなかった理由は……)
考えを重ねても答えは出ない。
思考が深みに沈んでいくなか、やがて疲労が勝ち、ソーマの意識は闇に溶けていった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
朝。
窓から射し込む光にまぶたを揺らされ、ソーマは目を覚ました。
身を起こすと、机の上に置いた魔道通信機に光が灯っている。
差出人を確認すると、ゼルガンからだった。
『大事な話がある。お前の姉、リンを連れて工房まで来てくれ。詳しいことは会ってから話す』
「……姉さんを?」
ソーマは小さくつぶやく。
ゼルガンが、わざわざリンを名指しするなど、今まで一度もなかった。
不思議と胸がざわめく。
食堂に降りると先に朝ごはんを食べていたジョッシュが眠たげな顔を上げる。
「ソーマ、どうした?」
「ゼルガンさんからメッセージだ。……姉さんを一緒に連れて来てほしいって」
「リンさんを? なんでまた……」
「分からない。けど、ゼルガンさんが名指しするなんてただ事じゃない」
ジョッシュは肩をすくめ、しかし表情を引き締めて頷いた。
ソーマは急いで身支度を整え、仲間たちと共に商業ギルドを訪ねることにした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
商業ギルドの事務所。
帳簿をまとめていたリンは、弟の姿を見て驚いたように目を瞬かせた。
「ソーちゃん! こんな朝早くにどうしたの」
「姉さん、ちょっと頼みがあるんだ」
ソーマは息を整え、慎重に言葉を選んだ。
「ゼルガンさんが……姉さんを一緒に工房へ連れて来てほしいって」
「……ゼルガンさんが、私を?」
リンの眉が寄る。
商業ギルドの職員として日々多忙を極める自分を、鍛冶師が呼びつける理由など思いつかない。
「詳しいことは分からない。でも、どうしてもって言ってた」
ソーマの真剣な眼差しに、リンは小さく息を吐き、帳簿を閉じる。
「分かったわ。今すぐは無理だけど、昼からなら予定も空いてる。……打ち合わせってことで行きましょう」
ソーマの胸に安堵が広がる。
姉の柔軟な判断力には、いつも助けられている。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
昼過ぎ。
再び訪れたゼルガンの鍛冶場は、昨日と違って妙に静かだった。
鉄を打つ音はなく、炉の火も赤々とは燃えていない。
「……来たか」
迎えたゼルガンの顔は、昨日以上に険しかった。
リンを見ると、何かを確かめるようにじっと目を細める。
その沈黙が長すぎて、ソーマは落ち着かない。
「ゼルガンさん……?」
呼びかけても、ゼルガンは答えない。
大きな手が無意識に作業台の上をなぞり、まるで言葉を探しているようだった。
沈黙に耐えかねたのは、リンだった。
「……何か迷っているんですか?」
短い一言。
しかし、その声音には揺るぎない真剣さが宿っていた。
ゼルガンの肩がわずかに震える。
そして、大きく息を吐き出すと、ゆっくりと口を開いた。
「……そうだな。一歩踏み出す時だ……」
その声は重く、覚悟を含んでいた。
「ソーマ。……いや、リンも一緒にだ。お前ら二人に頼みがある」
「頼み……?」
ソーマは身を乗り出す。
ゼルガンは頷き、まっすぐに言い放った。
「俺を――お前の故郷の村に連れて行ってほしい」
「……え?」
一瞬、場の空気が凍りつく。
ソーマの故郷といえば、小さな辺境の村だ。
ゼルガンのような職人をわざわざ連れて行く理由など思いつかない。
「どうして……?」
ソーマの問いに、ゼルガンは首を振る。
「理由は、着いてから話す。今ここで言うことじゃない」
「そんな……」
食い下がるソーマに、ゼルガンは低くも揺るがない声で続けた。
「ただ一つ言えるのは……お前たちだけの話ではないってことだ」
その目に宿る真剣さは、鍛冶師としてではなく、一人の人間としての決意を映していた。
ソーマは息を呑む。
「……分かりました。姉さんの予定がつき次第、村へ行きましょう」
ソーマの答えに、ゼルガンの険しい表情がわずかに和らぐ。
「助かる。……だが、一つ条件がある」
「条件……?」
「このことを――誰にも言うな。俺が村へ行くことも、旅立つことも、口外するな」
「っ……!」
その言葉に、場の空気が再び張り詰める。
エルーナが思わず眉をひそめた。
「どうして秘密に? 何か……危険があるの?」
「それも……着いてから話す」
ゼルガンの声音に迷いはなかった。
彼の中で、もう決して揺るがない線引きがあるのだと感じさせる。
ソーマは深く息を吸い込み、頷いた。
「分かりました。……俺たちは、ゼルガンさんを信じます」
仲間たちも一人ずつ頷き、最後にリンが柔らかく微笑んだ。
「……そんな顔をしてるなら、放っておませんね」
ゼルガンは一瞬だけ目を伏せ、そして小さく笑った。
その笑みは、不器用ながらもどこか安堵を含んでいた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
工房を出た後、ソーマたちは互いに顔を見合わせる。
疑問は山ほどある。
なぜソーマの村へ行くのか?
なぜ誰にも言わずに秘密にするのか?
そしてゼルガンが抱えるものとは――
けれども、その謎の奥に、ゼルガンが信頼してくれたという事実が確かにあった。
(……俺たちだから託された。なら、応えるしかない)
ソーマは心にそう刻みつけた。
夕暮れに近づく陽光の中、彼らの胸に芽生えたのは、不安ではなく確かな絆の重みだった。
作者が張っていた伏線を回収しに行きます。
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