120:甘い薬と苦いフラグ
白銀の波が果てしなく広がり、船体が軋むたびに風が帆を大きく揺らした。
聖大陸アストレアを後にし、勇大陸アスヴァルへと向かう船旅も半ばを過ぎたところ。
潮の香りは強く、青空は高く澄み渡っている。
甲板の欄干にもたれかかりながら、ソーマは深いため息を吐いていた。
手の中で小瓶をくるくる回す。
中には薄い青色の液体が入っており、かすかに甘い香りを漂わせていた。
「ソーマ、その薬……聖女様からいただいたんでしょ?」
背後から声がして、振り返るとエルーナが立っていた。
陽光に揺れる金の髪は海上の光を集めたように眩しい。
「そうだ。俺が船酔いするって言ったら、前勇者様に調合していた薬だって渡されたんだ。おかげで、今は……まあ、なんとか」
「ふふ。じゃあ、前勇者様も同じ気持ちだったのね。勇者の肩書きがあっても、揺れる海には勝てないんだ」
エルーナは楽しげに笑い、ソーマは気まずそうに視線を逸らした。
その仕草を見逃さず、
彼女は欄干に手をかけ、ソーマの顔を覗き込んでくる。
「ねえ、ソーマ。あの時のこと、覚えてる?」
「……あの時?」
「私、言ったよね。クリスに負けないって」
唐突な言葉に、ソーマの胸がどきりと跳ねる。
「な、何を急に……」
「急じゃないわよ。ずっと思ってたことだから」
エルーナは小さく笑みを浮かべ、ほんの数センチの距離まで顔を近づけた。
潮風に舞う髪の香りがふわりと漂い、ソーマは慌てて後ずさる。
「ちょ、ちょっとエルーナ……!」
その様子を遠くから見ていたクリスが、慌てて駆け寄ってきた。
「エルーナさん! ソーマさんをからかうんじゃありません!」
「あら、からかってなんかないわ。私の気持ちを、ちゃんと伝えてるだけよ?」
エルーナは挑発的に視線を向ける。
「まだ付き合ってないんでしょ? なら、私がアプローチしたって構わないはずよね」
「なっ……!」
クリスの頬が一気に赤くなる。
ソーマは慌てて間に入ろうとするが、二人の視線は火花を散らしていて、到底止められそうにない。
「エルフに限らず、人間も一夫多妻は珍しくないんでしょ? でも――」
エルーナは胸を張り、真剣な瞳で言い放つ。
「私は二番目になるつもりなんてないの。ソーマの隣に立つなら、一番じゃなきゃ嫌」
ソーマの心臓が跳ね上がり、呼吸が浅くなる。
クリスは唇を噛みしめ、ぐっと拳を握った。
「そ、それは……! でも、ソーマさんは私と……!」
「まだなんでしょ? だったら勝負はこれからよ」
エルーナの笑顔は挑発的だが、その奥には確かな真剣さがあった。
(……やっぱり、この世界の倫理観は俺のいた世界とは違うんだな)
前の世界では到底ありえない価値観。
だが、異世界に生きている実感が胸に広がる一方、ソーマはどう振る舞うべきか分からずにいた。
「お、おい……頼むから船の上で修羅場はやめてくれ……!」
ソーマが必死に宥めるも、二人は視線を逸らさず、互いに一歩も譲らない。
「やれやれ、海より荒れてるのはこっちの甲板だな」
呆れ顔のジョッシュが現れ、軽口を叩いて肩をすくめる。
少しだけ空気が和らぐが、すぐにソーマの耳元へ顔を寄せて小声で囁いた。
「……クリスを泣かせたら、兄としてしょうちしないからな」
「なっ……!」
ソーマは絶句するしかなかった。
(俺の平穏はどこに行った……?)
まだまだ苦難は続きそうだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
騒がしくも長い船旅は続き、ついに勇大陸アスヴァルの港町が見えてきた。
見慣れた大地が視界に入ると、ソーマの胸に懐かしさがこみ上げる。
「やっと帰ってきたな……」
「本当ね。なんだかんだで落ち着く景色だわ」
「港の匂いまで懐かしいと思えるんだから、不思議なもんだ」
仲間たちも感慨深げに海岸線を見つめる。
船を降り、飛竜便に乗って王都に帰ったソーマたちは、聖女から託された手紙を届けるため、真っ直ぐギルドへ向かった。
扉を押し開けた瞬間、見慣れた喧騒と暖かな空気が全身を包み込む。
ようやく彼らは「帰ってきた」のだと実感した。
だが――その胸の奥に、言い知れぬ不安も同時に芽生えていた。
(世界会議、そして……迫る魔王との戦い。俺たちにどんな未来が待っているんだ……?)
聖女の手紙が差し出されると同時に、物語は新たな局面へと動き出していく。
第7章開幕です。
船上ラブコメからスタートしましたが作者はラブコメと書くのが苦手なんだなと改めて実感しました。
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