117:芽生えるフラグ
聖都を覆っていた夜は、長く重かった。
謎の三人が姿を消し、街を埋め尽くしていた魔物も討伐された。
戦いは――ひとまず、終わった。
だが、それは決して勝利ではなかった。
瓦礫と化した街並み。
泣き叫ぶ市民の声。
失われた命の数は、決して少なくはない。
結界を張っていた魔石の多くが砕かれ、聖大陸アストレアを護っていた障壁は大きく揺らいでいる。
そして、何より――勇者に最も近い存在だったユーサーの死。
さらに、聖女の命を狙い剣を振るってきたシオニーは、気を失ったまま鎖をかけられていた。
「待ってくれ! シオニーはユーサーを人質を取られていただけなんだ!」
ソーマは声を荒げたが、騎士団長バランは厳しい目を向ける。
「彼女が聖女様を狙ったのは事実だ。事情があろうと……我らが見逃すわけにはいかぬ」
「……っ!」
ソーマは言葉を失い、ただ連れ去られるシオニーの背を睨みつけるしかなかった。
一連の騒動の後、聖堂の一室にて、ソーマたちは聖女アルマとバランに呼ばれ、事情を説明していた。
「……では、改めて伺います」
アルマの声は震えを抑え、冷たく響く。
「あなたたちが相対した三人……彼らは魔族ではないのですね?」
ソーマは重く頷いた。
「はい……。本人たちも否定していましたが魔族とはまるで違う。もっと……異質で、底が見えない存在でした」
クリスが続ける。
「彼らは自らを『デスヴェル』『ヴェリディス』『ヴェリク』と名乗っていました。そして……『魔王の復活は近い』とも」
アルマの顔に、深い陰が落ちる。
「やはり……。聖女が死ねば、封じられている魔王は蘇る。彼らの目的は……それだったのですね」
静寂が満ちる。
ソーマは拳を握りしめた。
(……結局、俺たちは何を守れた? 街も……人も……ユーサーも……)
アルマの言葉が追い打ちをかける。
「魔王復活の時は近い。勇者候補に最も近い存在を失った今、世界の未来は……一層暗くなりました」
場に漂う絶望を、誰も拭えぬまま波乱の聖女会議は終わった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
その夜。
ソーマたちは教会の客室に泊まることになった。
誰もが疲労困憊で、廊下を歩く足取りは鉛のように重かった。
ソーマは部屋に入ると、そのままベッドに腰を下ろす。
深い溜息が零れる。
(結局……俺は守れなかった。フラグを壊せる力があったはずなのに……ユーサーを……)
拳を握り、頭を抱える。
悔恨が胸を焼き、自分への怒りが全身を蝕む。
――その時。
扉を叩く小さな音が響いた。
「……ソーマさん、起きていますか?」
聞き慣れた声に、ソーマははっとして立ち上がる。
扉を開けば、月明かりを背にしたクリスが立っていた。
その顔には、強がりと不安が入り混じっている。
「……なんだか……眠れなくて」
「俺もだ」
二人は小さく笑みを交わし、クリスは部屋に入った。
彼女は窓辺に腰を下ろし、夜空を仰ぐ。
「……静かですね。あんなに騒がしかったのに、今は……」
「静かすぎるくらいだな。まるで、何もかも奪われた後みたいだ」
口にしてから、ソーマは唇を噛んだ。
クリスは首を横に振り、優しい声で言った。
「でも、ソーマさんがいたから……生き残れた人もいる。私も、シオニーも」
その言葉に、ソーマの胸に熱が込み上げる。
同時に――視界に赤いウィンドウが点滅した。
《クリスティーナとの恋愛フラグが発生しました――破壊しますか?》
(……なっ……!? 切り忘れてた……!? 今このタイミングで……!)
鼓動が跳ね上がり、手のひらに汗が滲む。
だがクリスはそれに気づくはずもなく、静かに続けた。
「……ソーマさんはいつも自分を責めすぎです。全部を背負わなくても……いいんですよ」
その優しさに、胸の奥の緊張がほどけていく。
気づけば、ソーマの腕がクリスの肩を抱き寄せていた。
「ソ、ソーマさん……?」
「……すまない。今だけでいい……こうしていないと、俺が……壊れそうなんだ」
震える声。
クリスは驚きに目を瞬かせたが、次の瞬間、静かに彼を抱き返した。
「……壊れそうなのは、私も同じです」
二人の鼓動が触れ合い、熱が混ざり合う。
視線が自然と絡み合い、距離は一気に縮まって――
《クリスティーナとの恋愛フラグが発生しました――破壊しますか?》
赤い文字が点滅する。
だがソーマは、もう迷わなかった。
ウィンドウを無視し、クリスの唇に自らの唇を重ねた。
柔らかい温もり。
戦いの記憶も後悔も、すべてを溶かすようなひととき。
長い口づけののち、二人はゆっくりと唇を離した。
言葉はなかった。
ただ、互いの瞳の奥に――確かな想いが芽生えていた。
その夜、ソーマの部屋には、静かなぬくもりが灯っていた。
やっ……やったんか!やったんか!?
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