108:聖女の結界と安心フラグ
水平線の向こうに、白銀に輝く陸地が見え始めた。
聖大陸アストレア――全世界の信仰が集う聖地。
「……見えてきたな」
甲板に立つソーマは、潮風を受けながら目を細めた。
今まで数々の大陸を渡り歩いてきたが、そのどれとも違う気配を放っている。
島のように小さい。
大陸と呼ぶには違和感すら覚える規模。
だが、その小さな大地を虹色に輝く巨大なドームが覆っていた。
「聖女様の結界……相変わらず美しい……」
クリスが静かに呟く。
その横顔には、憧れと誇りが入り混じっていた。
「だな……島まるごと宝石みたいだな」
ジョッシュが口笛を吹き、感心したように腕を組む。
「魔族が寄りつけないのも納得だわ」
エルーナは冷静な声で言ったが、その瞳にはわずかな感嘆が浮かんでいた。
(これが……世界中の信仰が支えてきた力……か)
ソーマは息を呑む。
魔族の侵攻で世界が揺らぐ今、この聖域だけが揺るがぬ砦のように輝いていた。
やがて船が港に近づき、虹色の結界へ突入する瞬間が訪れた。
光の膜は厚く、まるで固体のように見える。
「突っ込むのか……?」
ソーマの不安をよそに、船は結界へ滑り込んだ。
一瞬、全身を圧迫するような感覚が襲い、息が詰まる。
だが次の瞬間、温かな光に包まれ、肌に心地よい風が吹き抜けた。
「……通れた」
ソーマが胸を撫で下ろすと、クリスが小さく微笑んだ。
「信仰を持たぬ者でも、悪しき存在でなければ拒まれません。こうして私たちが港に降り立てる時点で、すでに入国審査は終わっているのです」
「つまり俺たちは合格ってわけか」
ジョッシュが豪快に笑った。
だがソーマは、笑いながらも背筋に汗が伝うのを感じていた。
確かに通れた。
それは認められた証。
だが、もし心のどこかに僅かでも歪みがあったら――そう思うと、結界の温かさが逆に恐ろしく思える。
船を降り、港に設けられた関所へと進む。
白銀の甲冑を纏った騎士たちが整列し、来訪者を迎えていた。
「名を」
形式的な確認だけだった。
ギルドカードを差し出す必要もなく、ただ身元と随行者を伝える。
「……ギルドカードは見せなくていいのか?」
ソーマが問うと、門番の騎士は淡々と答えた。
「通行を決めるのは結界そのもの。我らは記録を残すだけだ」
「……そういう仕組みか」
ソーマは頷く。
冒険者の世界にどっぷり浸かってきた自分にとって、それは奇妙で、同時に息苦しい世界のようにも思えた。
胸の奥に、小さな不安が芽生える。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
関所を抜けると、石畳の道がまっすぐ市街へ伸びていた。
両脇には白壁の建物が立ち並び、遠くから鐘楼の音が響いてくる。
「じゃあ早速、魔石の納品を……」
ソーマが言いかけたところで、クリスが首を振った。
「ここには冒険者ギルドは存在しません。納品は直接、教会の総本山にて行う必要があります」
「総本山……教会か」
エルーナが目を細める。
「つまり、あの結界を維持してる中心ってわけね」
「ええ。依頼書によると納品先は教会の騎士団――その長であるバラン団長に渡すことになっています」
ソーマは少し眉をひそめた。
「……でも、俺たち、教会の人間でもなんでもない。すんなり入れてくれるのか?」
「心配はいりません」
クリスは真っ直ぐにソーマを見た。
「私は聖女候補――卵です。その身分を示せば、同行する皆さんも問題なく通れるはずです」
「……そっか」
ソーマは胸を撫で下ろす。
だが同時に、心の奥がざわめいた。
(結局、俺たちを導いてるのはクリスだ。……守られてるのは、俺たちの方かもしれない)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
教会の総本山は、港町から馬車で一時間ほどの丘の上にあった。
白亜の大聖堂が天に向かってそびえ、巨大なステンドグラスから差し込む光が石畳を染めている。
門前で騎士たちに止められるが、クリスが名乗ると空気が一変した。
「――聖女の卵殿!」
騎士たちは慌てて片膝をつき、恭しく頭を垂れる。
その視線が一斉にクリスへ向けられ、彼女は一瞬だけ戸惑いを見せたが、すぐに真っ直ぐな瞳で応えた。
「随行者と共に、魔石の納品に参りました。案内をお願いします」
「はっ!」
騎士たちは即座に門を開き、彼女たちを通した。
(……クリスがいなければここまですんなりいかなかっただろうな)
ソーマは心の中で呟いた。
彼女の背は小さいのに、不思議と誰よりも大きく見える。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
教会内部は荘厳そのものだった。
高い天井には神々を描いた壁画、中央には金と白銀で飾られた祭壇。
空気は澄みきっていて、足を踏み入れるだけで背筋が伸びる。
そこで待っていたのは、一人の壮年の男だった。
銀の鎧を纏い、背には巨大な剣。
燃えるような赤銅色の髪を持ち、その眼差しは鋭くも温かい。
「聖女候補クリス殿、よくぞ参られた」
低く、重厚な声。
ソーマは直感した――この男こそ、騎士団長バラン。
「こちらが、アスヴァルから託された魔石です」
ソーマは魔石の入った収納袋を差し出した。
重みを確かめたバランは、頷き、深く礼をする。
「確かに受け取った。遠路はるばる、ご苦労だった。本来なら聖女様にも立ち会って頂くのだが、あいにく聖女会議が近くてな」
その一言で、ソーマの胸に溜まっていた緊張が解けていった。
(無事に……納品完了か)
聖大陸アストレア――その門は、確かに開かれた。
だが、そこに待つものが祝福か災厄かは、まだ誰にもわからなかった。
聖大陸アストレアのイメージはバチカン市国の大陸版で。
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