10:折れた退路と立ったフラグ
朝の光がまだ木々の隙間から柔らかに差し込む頃、ソーマたちは宿を後にした。
町はまだ眠りの中にあり、人影はほとんどなく、ただ猫が一匹、路地を横切った。
向かう先は南の森。
二時間の道のりを経て、太陽が空高く昇り始めた頃――三人は森の入口に立った。
「……様子がおかしいです」
クリスが足を止める。
耳を澄ませたソーマも頷いた。
「静かすぎる。風も鳥も……まるで音が消えたみたいだ」
森全体を支配する、不自然な沈黙。
ジョッシュが低く呟く。
「……歓迎されてねぇな」
三人は視線を交わし、武器に手を添えて森へと踏み入れた。
苔むした地面が靴に沈み、古木が鬱蒼と立ち並ぶ中、【オクトヴィア】が示した地点に近づく――その瞬間。
茂みがざわめいた。
「来るぞッ!」
ソーマの声と同時に、十数体のゴブリンが飛び出す。
先頭には装飾をまとったリーダー格。
「ジョッシュ、牽制!」
「任せろ!」
光弾が次々に弾け、敵の視界を乱す。
その隙を縫ってソーマが斬り込み、ロングソードが唸りを上げた。
「リーダーを優先! 一体は逃がす、追跡するぞ!」
ソーマの指示に、クリスも即座にシールドを展開。
ジョッシュの魔弾が群れを散らし、ソーマの剣が喉を裂く。
連携は淀みなく、やがてリーダーが崩れ落ちる。
怯えた一体が悲鳴を上げて森の奥へ――
「今だ、追うぞ!」
三人は足跡と血痕を辿り、奥へと踏み込む。
だが進むごとに胸にざわりとした違和感が募った。
「……道が、できすぎてる」
ジョッシュが呟く。
倒木も茂みも、まるで誰かが通り道を整えたかのように配置されていた。
「誘ってる……そうとしか思えません」
クリスの声に、ソーマは険しい顔で頷く。
やがて視界が開け――大地が裂けたような巨大な斜面が現れた。
地下へと続くその口からは、冷たい風が吹き上がってくる。
「……ダンジョン」
クリスが息を呑む。
周囲には夥しい足跡。
ソーマが奥を覗き込もうとした、その瞬間だった。
《フラグが発生しました》
ソーマのスキルが不気味に告げる。
「待て、二人とも! 俺のスキルが反応した」
「フラグってことは……この先に危険があるってことか?」
「だったら、いったん町に戻って報告しますか?」
二人の問いに、ソーマはわずかに考え込む。
これまでフラグはピンチの場面で発動し、注意を促してくれた――そう信じてきた。
だが今は違う。
戦闘中ですらない。
(――これは、ただの警告なのか?)
「まだ情報が少なすぎる。入口周辺だけでも確認してから判断しよう」
三人は慎重に中へと足を踏み入れた。
淡い光苔が岩肌を照らし、湿り気を帯びた空気が肌にまとわりつく。
壁面には精緻な刻印が走り、時折、かすかな光を返していた。
「……これ、ただのダンジョンじゃないです。こんなの、初めて見ました」
クリスが壁をなぞり、声を潜める。
「ダンジョンっていうより、遺跡だな」
「誰かが造ったってことか」
ジョッシュの低い声に、三人は無言で頷いた。
やがて通路の先に、小さな広間が姿を現す。
中央には古びた祭壇が据えられ、その奥にはなおも闇の通路が口を開けていた。
「……ここまでだ。これ以上は危険すぎる。一度戻ってギルドとオクトヴィアに報告しよう。準備を整えてから再調査だ」
内心でソーマはわずかに苦笑する。
――道中、何度もフラグは警告を発していた。
それでも半ば無視して進んでしまったのは、どこかで自分のスキルを信じ切れていなかったからだろう。
「……聞こえるか?」
ジョッシュが声を潜める。
入口の方から、じりじりと足音が迫る。
クリスの顔が蒼ざめた。
「数……さっきの倍以上です」
次の瞬間、姿を現したのはゴブリンたち。
そして――その中心に、異様な存在がいた。
錆びた鎧をまとい、歪な骨格に剣を構える異形。
騎士のようでありながら、顔は醜悪なゴブリン。
「……ゴブリンナイト……!」
忠誠を重んじ、集団を率いて戦場を駆ける。
厚い鉄鎧をまとい、訓練された所作で武器と盾を操る。
――討伐推奨ランクC。
冒険者なら避けて通れぬ死の一線。
そして今、その死が退路を塞いでいた。
ソーマの背筋に冷たいものが走る。
唯一の退路を塞がれ、金属のきしむ音が狭い通路に響き渡った。
「奥に進む! 他に選択肢はない!」
ソーマの叫びに、ジョッシュもクリスも無言で頷き踵を返す。
石畳を打つ足音、背後から迫るゴブリンの群れ。
フラグはちゃんと教えてくれていた。
――狩られるために導かれたのだ。
薄暗い通路を駆ける三人の背に、じわじわと迫る気配は、もはやモンスターではない知性の罠。
今走り込んだこの奥こそが、本当の入口なのだと告げるように――
「……くそ、最悪のタイミングだ……!」
ジョッシュが悔しげに歯を噛む。
ソーマもまた、背中に氷の杭を打ち込まれたような悪寒を覚えていた。
《フラグが発生しました》
スキルだけでなく直感が告げる。
――勝てない。
今のソーマたちでは、絶対に。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
一本道の通路。
逃げ場など最初から存在しなかった。
やがて辿り着いた先に、さらなる絶望が待っていた。
広間。
その中心に立ち塞がる、もう一体の異形。
「……ゴブリン……ジェネラル……」
巨躯に黒鉄の鎧を纏い、戦斧を肩に担ぐ。
双眸に宿るのは冷たい知性。
にやりと嗤うその姿は――戦場そのもの。
――討伐推奨ランクB。
背後にはナイトとその部隊。
完全に挟み撃ち――前後を、死で挟まれた。
「……完全に詰んだな」
ジョッシュの声が、まるで判決のように重く響いた。
「結界展開! 【セイクリッドバリア】!」
クリスが魔力を振り絞り、純白の防壁を張る。
三人を包む光の結界――だがすぐに怒号と殺意が降り注いだ。
槍、剣、こん棒、爪。
世界を叩き割るような衝撃が、四方八方から結界を打ち据える。
「ありがとう、クリス……助かった」
「でも……維持できるのは、せいぜい十分です……!」
額に汗を浮かべ、震える指先。
限界は近い。
「【魔球ストレート】!!」
ジョッシュの全力の魔球が炸裂し、前方の群れを吹き飛ばすが、ナイトの盾が、容易く弾いた。
「ちっ……通じねぇ……!」
震える手。
それは怒りではなく――恐怖。
「今までの相手と……格が違う……!」
「……魔球が通るってことは……結界の内側から外に出る事は出来るって事だな……!」
ソーマが冷静に分析する。
「はい……でも、一度出ればこちらには……」
「なら俺が出て時間を稼ぐ。二人は――」
「駄目だ!」
ジョッシュが叫ぶ。
「そんなの……ただの捨て駒じゃねぇか!」
沈黙……
重い時間が三人を包む。
(俺が読みを誤った。フラグだって教えてくれてたのに……ゴブリンを侮った)
ソーマは自らの愚かさを呪う。
(せめて――せめてクリスだけは、逃がさないと……聖女の卵だけは……!)
「……ジョッシュ、俺が時間を稼ぐ。クリスを――」
「……頼む、ソーマ。クリスを連れて、逃げてくれ。」
ジョッシュの声は、決意に満ちていた。
「結界を解いたら……クリス、全力で俺に防御魔法を。何秒でも耐える……だから!」
「ふざけるなッ!」
ソーマが叫ぶ。
「捨て駒になるって言ったのはジョッシュだろ! 今さら自分を差し出すなんて、ふざけた真似許すかよ!」
だが、ジョッシュは静かに微笑むだけだった。
「――俺たちを孤児院に預けた親の意図なんて知らねぇ。血は繋がってなくても、クリスは俺の妹なんだ。たった一人の家族なんだよ。守るって、ずっと決めてきた……だから――」
その瞳には、揺るぎない覚悟が宿っている。
「ここは俺に任せて行け」
その一言が、重苦しい空気を鋭く切り裂いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
(……まただ)
ソーマの胸の奥で、怒りと恐怖が渦を巻く。
(まただ……また誰かが、俺の代わりに残って死ぬのか……! そんな結末、認めるもんか! あの時俺は誓ったんだ! ……また? あの時? 俺は、いつ……? どの時に――)
その時だった。
脳裏にノイズのような音が走る。
《スキル:死亡フラグ が解放されました》
《ジョッシュアの死亡フラグが発生しました》
(は? このタイミングで……? 死亡フラグ……! ……そんなの認めるものか! もう二度と運命に振り回されない! 俺の物語は、俺が紡ぐ……!)
その瞬間、視界が歪み、時間が引き伸ばされる感覚に包まれた。
《ジョシュアの死亡フラグ――破壊しますか?》
無機質な問いが、静かに、だが確実にソーマの意識を揺さぶる。
胸の奥で、何かが軋んだ。
崩れかけた結界の光景が脳裏をよぎる。
絶望すべき場面に、なぜか妙な既視感が刺さる。
――そして、ソーマは思い出した。
旗織 操真として過ごしていた日々を――
作者が書きたかったシーンにようやくたどり着けました。
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