リリー様、大丈夫ですわ!
エルマーのにやけ顔を眺めながら、私が騙されたふりをしていると──
「ちょっと、お待ちになって!」
リリー嬢が突然大声をあげて、一歩前へ出た。
さっきまで不安そうだった瞳に、怒りの色が浮かんでいる。
「エルマー様? ヴィヴィアン様には、なぜ美しくなれるお茶ですの? 私にくださったのは、痩せるお茶でしたわよ!」
周囲にいた貴族たちが一斉にこっちに注目した。
リリーの声は震えている。
ダイエットのお茶を渡されたのが、よほど嫌だったのね。
「どういうことですの!? 私には余計な脂肪を落とすお茶って……そう言いましたわよね?」
エルマーは一瞬きょとんとしたあと、顔をしかめた。
注目されていることに、ようやく気付いたようだわ。
「……うるさい、お前は黙ってろ!」
エルマーは、腕をつかもうとしたリリーの手を振り払うと、大声をあげた。
──本性が出たわね。
会場の空気がぴたりと静まり返る。
リリーは目を見開いて固まっている。
かわいそうに……婚約者にあんな扱われ方をするなんて。
周囲の貴族たちが何人か、驚いて視線を向けているのがわかる。
私も思わず、扇を広げて口元を隠した。
「まあ……入り婿の分際でこの態度、ずいぶんとご立派な婚約者ね? リリー様」
「ヴィヴィアン様……」
エルマーが男爵家の三男で、リリーの家に入り婿になることは、周囲も皆知っている。
そうでなければ、エルマーは王宮の夜会になど、参加できないのだから。
さあ、エルマー様。
周囲に味方はいませんわよ?
どう出るつもりかしら……
エルマーは周囲の視線に気付いたのか、わざとらしく咳払いをした。
「商談の邪魔をするとは……くだらん」
吐き捨てるように言うと、エルマーは顔をしかめたまま踵を返した。
その背中には、誰も声をかけない。
もちろんリリー嬢も。
エルマーは会場の出口へと、足早に去っていった。
自業自得ね。
勝手に自滅なさったわ。
リリー嬢が、ぽつんと取り残されたように立ち尽くしていた。
肩が小さく震えている。
さっきのやりとりで、相当なショックを受けたのね。
これだけの人の前で、婚約者に怒鳴られたのですもの。
しかも、格下の。
これはエヴァンドール子爵家から、正式にラヴェル男爵家へ苦情を申し入れることになるわね。
「リリー様」
そっと声をかけると、リリー嬢はハッとしたように私を見た。
その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「……すみません。お見苦しいところを……」
「あんな男のために謝る必要なんてないわ。あれはもう、婚約者の態度ではないでしょう?」
リリーははっと目を見開いた。
自分でも、薄々はそう思っていたのかもしれない。
けれど──誰かに指摘されたのは、初めてなのでしょうね。
「……でも、私が選んだ人でしたのに……」
「間違いなんて、誰にだってあるわ。私だって、つい最近やらかしたのよ?」
──そう。
つまらない男なんて捨てたらいいのよ。
あなただけじゃないわ。
そうでしょう?
「あなたには、もっとふさわしい人がいるわ……本当に大切にしてくれる人が」
「ヴィヴィアン様は……強い方ですね」
「強くなければ、伯爵令嬢なんてやってられませんもの」
リリー嬢が、くすっと小さく笑った。
少しだけ肩の力が抜けたように見えた。
「今日は……本当に、ありがとうございます」
「ええ……後のことはまかせてちょうだい。私に少し考えがあるの」
そう言うと、リリーは静かに頷いた。
さっきまでの怯えた表情は、もうなかった。
「……はい。今夜はこれで失礼させていただきます」
リリー嬢は丁寧に頭を下げて入り口の方へと立ち去った。
ご家族がリリー嬢を連れて出るのを確認して、ほっと一息つく。
ふう……やれやれ。
しかし、かなり収穫はあったわね。
用事は終わったことだし、もう帰ってもいいかしら。
「お嬢、馬車を裏手に回しておきました」
「気が利くじゃない」
テオのエスコートで、会場をあとにする。
今夜はもう、十分に仕事したと思うわ。
◇
夜の王宮をあとにし、帰路につく馬車の中。
向かいに座るテオが、なにやら言いたげにこちらを見ている。
「なに?」
「いや……よくあれだけ冷静でいられるなと思って。俺だったら殴ってるね、あいつ」
「それは……誉め言葉かしら?」
「お嬢の貴族らしいところを久しぶりに見たよ」
「ふふん……そういえば、テオも今日はいつになく貴族っぽかったわよ?」
「悪かったな……いつもは貴族っぽくなくて」
少しすねたような顔をしているテオ。
せっかく正装しているのに、その仏頂面は似合いませんわよ?
「それより、ひとつお願いがあるの」
「どうぞ」
「ヘイグ通り十七番。グレイ・ティー商会……って書いてあったわ」
「それ、過去視?」
「ええ。さっき、エルマーの袖飾りに触れたときに見えたの。リリー様用って書かれた、妙な匂いのする小包……それがダイエット茶の包みだと思うの。エルマーの家のメイドたちの間で、ちょっとした噂になってるみたい」
「……わかった。明日の朝には動ける。 あとは?」
「そうね……エルマーは黒だと思うわ。だから、前にリリー嬢が言っていた、怪しげな宿屋のほうも調べてちょうだい。住所は渡してあるわよね?」
テオは軽く頷くと、胸ポケットから手帳を取り出して、宿屋の住所を確認した。
その下に、ヘイグ通り十七番、グレイ・ティー商会、と書き足している。
「きっちり洗い出しますよ」
「お願いするわ。ああいう連中は野放しにはできないから」
後はテオにまかせておけばいいわね。
さすがに今日は少し疲れたみたい。
馬車の揺れが心地よくて、気がついたらしばらく眠ってしまっていた。