何やらヤバそうですわ
「申し訳ありません、少しだけ失礼いたしますわね。すぐに戻りますので……」
侍女に呼ばれたリリーが、そっと席を立った。
部屋に残ったのは、私とテオだけ。
さて……
調査をするチャンスね。
この部屋はリリー嬢の私室だから、エルマーが訪ねてきていても不思議ではないわ。
過去視できそうな、人があまり触れていなさそうな場所は……
ふと目が止まったのは、古びたカーテンがさげられた出窓。
私はそこから中庭をのぞこうとして、指先をガラスに当てた。
次の瞬間──
ふわりと、視界がセピアに染まった。
──エルマー・ラヴェルと思しき男の姿。
──彼は窓辺に立ち、何か考えごとでもしている様子だわ。
──わずかに口角を上げた薄い唇は、冷酷さがにじみ出ている。
「……まだ効果は出ていないようだな……思ったよりも鈍いのか……効き目が薄いのか?」
窓ガラスに映るその笑顔が歪んで見えた。
リリー嬢の言っていた違和感って、これね。
確かに、愛しい婚約者を待っている男の顔ではないわ。
もしかして……リリー様に、何か危険が迫っているのでは?
思わず、カーテンの端をぎゅっと握りしめたそのときだった。
──ぱん、と何かが弾けるように、映像が一変した。
強い光とともに現れた、鮮やかな映像──これは、未来視!
──痛いっ!
──テーブルが横倒しになる音。
──目を血走らせたエルマーが、怒り狂って殴りかかってくる。
「やめてっ!」
とっさに腕を上げてかばおうとして、血が飛び散った。
その拳は、確かに私に向けられていた。
なぜ?
私、彼とは面識もないのに……
なぜ、こんな未来を?
混乱と共に、冷や汗が背中を伝った。
「お待たせしてすみませんでした……あら? ヴィヴィアン様、どうかしまして? 顔色が悪いような……」
「いえ……大丈夫ですわ。少し、立ちくらみがしただけですの」
ソファーに腰を下ろすと、侍女が温かいお茶を入れて直してくれた。
落ち着きを取り戻すにつれて、リリー嬢が危険に巻き込まれかけているのが、確信に変わる。
「それより、先ほどのお話に戻りますけれど……エルマー様の様子が変わったのは、ここ最近ですの?」
「ええ……半年ほど前からでしょうか。もともと穏やかな方だったのに、急に口うるさくなってきたというか……渡したお茶は飲んでいるかなどと、いちいち確認してきますのよ」
「リリー様は今のままでも、十分痩せておられますのに……不愉快にも程がありますわね」
「最初のうちは、適当に相づちをうっていましたの。だって、そのお茶、とてもまずいんですもの。でも……最近は、だんだんしつこくなってきて……」
そういえば、さっき過去視をしたときに、効果がどうのこうのって言ってたわね。
よほど効果にこだわっているということだわ。
そのお茶……本当にダイエット茶なのかしら?
「リリー様、そのダイエット茶というのを、少し分けていただくことはできますか?」
「ええ……構いませんけれど、ヴィヴィアン様もダイエットを?」
「そうですわね。本当に効果があるのなら試してみたいわ」
リリー嬢が侍女に命じて、お茶の袋を用意してくれた。
これは、後でテオに調べてもらうことにしましょう。
袋に仕入れ業者のスタンプのようなものがついているから、案外すぐに出所がわかるかもしれないわ。
「それと……リリー様。もしよろしければ、次の夜会で、エルマー様の様子を観察してみてもよろしいかしら?」
「え……? それは構いませんけれど」
「実は、わたくしも元婚約者の裏切りを夜会で見抜きましたもの。ああいった場所で、殿方は案外スキを見せるものですわよ?」
「そうですわね……ヴィヴィアン様に観察していただけたら、安心ですわ!」
「ちょうど、近く王宮での夜会がありますわね。その時にでもいかが?」
「……はいっ! よろしくお願いします」
不安そうな顔だったリリー嬢が、少しほっとしたような笑顔を浮かべた。
こんな可愛らしい令嬢の笑顔を、失わせるわけにはいかないわ。
◇
リリー嬢と夜会での再会を約束して、屋敷を後にした。
馬車に乗り込むとすぐに、テオが食い気味に質問を浴びせてくる。
「お嬢。さっき、見えたんですよね?」
「……何のことかしら?」
「俺が気付いてないとでも思ってますか? カーテンを握って、目を見開いてたじゃないですか」
「まあ……テオったら、のぞき見してたの?」
あの話をすると、テオには心配をかけてしまうけれど……
でも協力してもらう以上は、話さないわけにはいかないわね。
「……過去視よ。あの部屋で、エルマーが窓辺に立ってたの……で、窓を触って、独り言をつぶやいてたわ。効果が出ていないって」
「効果とは……? ダイエット茶のこと、ですか?」
「おそらく。だけどなんだか怪しい感じだったのよねえ……まるで実験でもしているみたいな」
「それで、さっきお茶を分けてもらってたんですか」
「そうよ? 調べてくれるわね?」
「……分かりました。それで? 未来視もあったんじゃないんですか?」
テオは疑っているような視線を向けてくる。
そこまでバレてしまっていては、仕方がないわね。
「……ええ」
「やめてって叫んでましたよね?」
「そんなに大声出してたかしら?」
「俺にはハッキリ聞こえましたよ」
「……未来の私が、エルマーに殴られていたの……血が出ていたわ」
「お嬢……やはり、首を突っ込むのはやめたほうがいい。危険すぎる!」
「そういうわけにはいかないわ。このままではリリー嬢が危ないじゃないの」
「だからって……お嬢が首を突っ込むことでは──」
「──このまま放っておけば、私がケガをするのよ? 未然に防いだほうが良いのではなくて?」
「……チッ、分かりましたよ。ただし、無茶は禁物ですからね?」
テオは屋敷に私を送り届けるとすぐに、調査に出かけて行った。
まずはあのお茶のことがわかればいいんだけど。