浮気現場に踏み込みますわ!
リリー嬢と宿屋へ向かうため、急いで準備をしていると、テオが急ぎの様子で姿を現した。
「お嬢、見つけました。エルマーと、あの女──今、ローズカフェにいます」
「ローズカフェって……ベンチシートがあって、よくカップルがいちゃついてる、あのカフェ?」
「ですね。宿を出てから、まっすぐカフェに行って昼食をとっているところのようです」
「案内して。今すぐ行くわ」
「こちらの馬車へどうぞ」
テオが用意してくれた辻馬車に、リリー嬢と一緒に乗り込んだ。
こういう面倒ごとのときに、伯爵家の馬車は使えませんものね。
街中のカフェへ向かう馬車の中で、リリー嬢は無言のまま座っている。
その心中を思うと、かける言葉も見つからないけれど──
「気が変わったら、引き返してもいいのよ?」
そう言って、私はそっと彼女の手を取った。
「……いえ。確かめます。……この目で、ちゃんと」
小さな声だけど、確かな決意が宿っていた。
ローズカフェの前で馬車が止まると、テオがカフェの大きな窓を指さした。
「見えます? あの窓から見える、奥の席です」
リリー嬢と一緒に馬車を降りて、見つからないように気をつけながら、窓のそばまで近寄ってみた。
テオが指さした先──
カラフルなベンチシートに、エルマーが女が並んで座っていた。
周囲もカップルだらけで、いちゃついていようが誰も気にしないような店だ。
彼の目は細められ、口元はだらしなくニヤけている。
女のほうはエルマーに完全に身体を預けて、しなだれかかっている。
トロンと、惚けたような女の顔がエルマーに近づき……
──そのまま、唇が重なった。
「……っ」
リリー嬢は指先が白くなるほど拳を握って、ワナワナと震えている。
これ以上は……気の毒よね……
もう、浮気の確認はできたのだから、このまま帰らせたほうがいいかも……
「リリー様? もう十分でしょう? あとは私たちにまかせ──」
「ヴィヴィアン様っ! わたくし、もう我慢できませんわっ」
「リリー様、ちょっと待って! 落ち着いて、ここで踏み込むなら――」
私の制止も聞かず、リリー嬢はずんずん歩いていってしまって、カフェの扉をバンっと開いた。
店内の空気が一瞬で凍りつく。
「ちょっと! エルマー様! いったいそこで何をしておられますのっ!」
リリー嬢の声が、店の奥まで響き渡った。
窓際の席で笑っていたエルマーと、浮気相手の女が、硬直するように動きを止める。
「リ、リリー……?」
エルマーは呆然としたまま、動けずにいる。
女の方は気まずそうに視線を逸らした。
リリーはそのままツカツカとテーブルへと歩み寄り、浮気女を指さした。
「これは、どういうことでしょうか? お茶を飲んでおられるだけにしては、ずいぶんお近い距離ではありませんか?」
「……ちょ、ちょっと待ってくれ、これは、その、偶然会っただけで――」
「偶然? こんなにしなだれかかって? 公衆の面前でキスまで? 偶然って便利な言葉ですのね!」
「いや、違うんだリリー、聞いてくれ。彼女とは、その……あの……体調が悪いっていうから、介抱してただけで――」
「唇にキスをするのが、介抱ですの? 体調ではなくて、頭が悪いのではありませんこと?」
「ま、まさかそんな、ちょっとした冗談だよ! な? ほら、誤解だ、誤解なんだよ、リリー……!」
しらじらしいにもほどがある。
私だって、黙ってられないわよ。
私はすっと横に出て、リリーの隣に並んだ。
「ふうん、エルマー様。偶然出会った女と、昨日は同じ宿に泊まっていらしたんですってね? その前の晩には、リラクシング・ルージュとやらを、女たちに振る舞っておられたとか?」
「くっ……!」
エルマーの目がギラリと光った。
取り繕ったような笑顔が消え、吠えるような大声でわめき始めた。
「そうだよ! そうだとも! なにが悪いんだ! 男がひとりの女だけで満足できるかよ!」
その声に、カフェのざわめきが静まり返る。
「おまえが悪いんだよ、リリー! おまえみたいな堅物、退屈で仕方なかったんだよ! お茶会だの刺繍だの、なにが楽しいんだってんだ!」
リリーは、あまりの罵倒に口元を手で押さえ、青ざめた顔で一歩後ずさる。
「まさか……そんな……そんなことを思っていたなんて……」
「うるさいっ! 黙れっ!」
エルマーが立ち上がって、リリーを指さした。
「おまえみたいな女、最初から興味なかったんだよ! 子爵家の娘ってだけだ。親に言われて仕方なく婚約しただけだ!」
「やめなさいよっ!」
私は一歩前に出て、リリーの前に腕を広げた。
「それ以上、彼女を傷つけるつもりなら、私が黙ってないわよ。……本性現したわね、エルマー様」
「ちっ、なんだおまえは! 出しゃばるなよ、モンテローズの令嬢が偉そうに!」
テーブルを蹴飛ばすように押しやり、エルマーがにじり寄ってくる。
私はひるまない。
公衆の面前で、コイツの本性を暴露してやるわ!
「さっきから見ていたけれど、随分お喋りね。今のあなた、貴族だとは思えないわ。まるで──ただの下衆よ!」
「なんだと……!」
エルマーが低く唸り、目の色が変わった。
そしてテーブル越しに身を乗り出して、拳を振り上げた。
……あ、この場面──
視たことがある……
デジャヴ?
ううん、違う、未来視で。
──このシーンを視ていたんだわ!
「っ……!」
エルマーが殴りかかってきて、間一髪、両腕で頭をかばう。
椅子が倒れ、コップが落ちて割れる音がした。
「なぐられることがわかっていたら、それなりによけられるのよ!!」
床に転がったモップ──いや、ホウキを手に取り、私はエルマーの顔面めがけて思いきり振り下ろした。
「ぎゃああああああっ!?」
バキっと音をたてて、エルマーの頭に直撃!
うっかりそばの花瓶ごとたたき壊してしまって、水しぶきが彼の顔にビシャリと飛ぶ。
「ヴィヴィ! 何やってんだっ!!」
テオが駆け込んできて、私とリリーの間に立ちはだかる。
遅いわっ! 今ごろ何してたのよ!
「正当防衛よっ! あいつ、殴ろうとしたの!」
「無茶するなってあれほど言ってたのに……!」
その時、カフェの扉が勢いよく開いた。
数人の騎士が、店内へと雪崩れ込んでくる。
「王都騎士団だ! グレイ・ティー商会および関連人物の身柄を確保する!」
浮気女が叫び声を上げ、エルマーが椅子を倒しながら逃げようとするが、すぐさま騎士に取り押さえられた。
「放せっ、俺は貴族だぞ! 子爵家の婚約者だ、こんな扱い……っ!」
「黙れ、エルマー・ラヴェル! すでに証拠はそろっている。抵抗すれば罪が増えるだけだぞ!」
リリーは震える手で口元を押さえ、立ち尽くしている。
「リリー様、大丈夫。もう大丈夫よ……」
私たちは、騎士たちがエルマーと女を連行していくのを見届けた。
これで……ようやく終わったわね。