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転生先がヒロイン過多で収拾がつかなくなっています

作者: 大高 紺

設定がおかしいだろう乙女ゲームが舞台です。転生ものとしても王道では無いと思いますが、宜しくお願い致します。

 

 すらりとした長身。出るべきところは惜しみなく出、引っ込むべきところは清々しく引き締まった美身。手足はすんなりと伸び、指先に至るまで傷ひとつない肌は飽くまで白い。対照的に、腰まで届くさらさらの黒髪は、これぞ射干玉か烏の濡れ羽色か。同じように長く濃い睫毛に縁どられた黒曜石の瞳は、薄っすらと涙を湛えて艶めかしい。顔立ちそのものは清楚といって良いのに、その潤んだ瞳と、ふくよかに紅い唇が、少女と女の間で危うい均衡を保つ、匂うような色香を醸し出す。


 間違いない。


 これこそは嵌りに嵌ったアスカ・クロニクルの主人公、如月明日香その人である。


「まじか……まさかの三次元明日香、尊いが過ぎる……」


 感動の涙が滂沱すぎて見るもの全てがうにょうにょだが、それでもなお、明日香の姿は美しい。纏っているのが、あるまじきギリギリのカッティングで肌を露出、かつ躰のラインを余すところなく拾うジャケットと、身動きにつれて絶妙に美脚が拝める丈とフレア具合のスカートである処からして、学園編の明日香だろう。こんなエロい制服、現実世界ではあり得ないと言うか、その手の業界にのみ許される奴でしかないが、明日香が纏う分には全く問題が無い。明日香は何でも許される。


「うわ、リアルで谷間とか。ひえ、自分の胸が邪魔で足元が見えないって何」


 ()から()()()()視線を転じれば、ド迫力の美乳が作る谷間に目が眩む。うひーお肌がつるっつるのもっちもち。なにこれすごい。ぱつんと張り出したお胸のボリュームが、余りにも見慣れなくていっそ笑う。姉も私も母そっくりの生涯垂れとは無縁であろう体形なのに、姉妹でたったひとり巨乳の祖母に似てしまった妹が、重いし肩は凝るし可愛いブラは似合わんしケアしないと若くても土砂崩れを起こすし痴漢は沸くしそんなにイイもんでは無いと力説するのを僻み半分に聞き流していたものだが、ごめん妹、今となっては既に名前も思い出せない前世の妹、おねえちゃんは今やっと君の言い分が判りかけてきたよ。これ邪魔かも。転生してみて初めて判る、巨乳の哀しみ。


 そう。

 どうも転生したらしいのである。生前、たったひとつだけ、底なし沼のように耽溺したゲームの世界に。


**


 如月明日香は、いわゆる乙女ゲームのヒロインだ。


 前世の私は、いまやだいぶ歯抜けでうろ覚えの記憶ではあるのだが、子供の頃から物語好きで、本も漫画も乱読しまくり、成長と共にアニメにも海外ドラマにも順調に手を広げていったけれども、ゲームにだけは頑なに手を出さなかった。どんなに誘惑されてもだ。


 理由は簡単。

 止められなくなるだろうことが判っていたから。


 己のマニア気質は幼い頃から自覚していた。何せ小遣いの殆どを本と漫画に費やして着々と自室の床を傾けては親にどやされて泣く泣く古書店に持ち込み、売った金でまた新たに入手してくるような人間、特に好きな作家に至っては同じ作品の装丁違いまで揃えたい人間だった。当然、自室は本棚だらけ。どころか至る処にうず高く本が積みあがり、映像系サブスク課金も多岐に渡って怠りないというのに、そこに更にゲームが加わったらどうなるか。


 言うまでも無い。廃人一択である。


 気質としては明らかに陰。何日でも部屋(と布団)に籠って物語世界に浸れる、そういう人間には絶対にゲームを与えてはならないのは自明の理。それくらいは弁えていたので、どーんーなーにー魅惑的な宣伝にもデモ画面にも耐えて耐えて耐えて耐えて生きていたのだけれども、だというのに何故アスカ・クロニクル―――略してアスクロだけはやり込んだかと言うと、闘病生活に入ったからである。


 ただし、不治の病とか難病だとか、そういう深刻な話では無かった。筈だ。多分。いや、激しくうろ覚えなのだが、どうせずっと寝てるしかない入院中だけは解禁すっか、みたいな、お気楽な事を考えた、ような気がするのである。その割に今こんなことになっているのが解せない処ではあるのだが、とにかく、そんな感じの軽ーい気持ちで妹に何かお手頃な奴を貸して、と言ったのが、いわば運の尽きだった。


 ―――嵌った。どころでは無かった。


 アスクロの最大の特徴は、ヒーローが固定という事だろうか。


 ゲーム界隈には詳しくないが、乙女ゲームを素材としたWEB小説やラノベはしこたま読んだ。なので、乙ゲーとは複数の魅力溢れるヒーローが存在する恋愛アドヴェンチャーで、様々なイベントを経て彼らを個別に攻略、或いは全員纏めてイチコロを狙ったり狙わなかったりしつつ、望ましいエンディングを目指す、そういうモノだと認識している。これが間違っていないとするならば、アスクロはちょっと変わっている。アスクロに於いてはヒーローはひとりしか居ない。ヒロインの運命の相手は常に同じ、『高堂(あきら)』という男なのである。


 それがつまり『クロニクル』たる所以なのだろうが、明日香と英は手を変え品を変え様々な設定で形作られた世界で巡り合い、惹かれ合い、立ちはだかる障害を乗り越えて結ばれる。『如月明日香』と『高堂英』であることに変わりはないのだが、明日香の年齢に沿って、互いの境遇のみならず世界観までもが異なるストーリーが展開していくのだ。乱暴に言うなら、乙ゲー幕の内弁当である。滅茶苦茶と言って過言でない。何せ、現実世界に近い小学生編から始まり、進学し成人し社会に出て行く、その合間に唐突にファンタジーが乱入し、魔法学院編だの異能バトル編だの異種恋愛編だのが始まる。そして、その全ての世界の英を明日香が出会いの初っぱなから攻略しきると、望む世界の英との未来が選べて晴れてオーラス、ハッピーエンディング、そういうゲームだった。


 だから世界は明日香と英で完結している。のだけれども、稀ーーーーーに当て馬ポジの『石動尊(いするぎたける)』という男が英を押しのけて明日香の隣に伸し上がって来る。ほんっとうにごく稀になので、各ストーリーでその展開を引き当てようものなら私は転げ回って感涙に咽んだものだ。いや、実際にはベッドに括りつけられていたも同然だったので、飽くまでも気持ちの上での話だけれど。


 と、そこまで言えばお判りであろう。

 私はこの石動尊に嵌ったのである。


 英もイイ男ではある。ヒーローなのだから当たり前であるが、まず基本のヴィジュアルが素晴らしい。掛け値なしの美形であり、長身の明日香を余裕で包み込める程の高身長で、脱いだら凄い系の細マッチョ(直接的なエロは無かった。匂わせ程度にはあったけど)。加えて高い知性と海より広い心と深い包容力がデフォルトで、設定によって若干の俺様気質だの品行方正な王子様気質だの暗い過去を背負った陰だのが塗され、髪色だの肌色だの瞳の色だのの外装が変わるのだけれども、どの英もイイ。まあ大元のデザインが好みかどうかという話ではあるのだが、王道ヒーローと言って良いだろう。


 翻って私の推しの尊であるが、これがもう、どの尊も軒並みヴィジュアル持ち腐れの真正当て馬キャラであり、そこがもうどうにもこうにも堪らないのだった。今思い返しても何かが込み上げてくる。


 明日香の設定に拠って同級生だったり先輩だったり同僚だったり隣人だったり家族だったりするのだが、もうとにかく可哀想というか、どいつもこいつも痛々しいまでに明日香を想っている癖に、気持ちを秘めて、明日香の恋の後押しをするのである。優しくて、ちょっと気弱で、ここ一番で強く出られない、誰がどう見たって今なら付け込めるというチャンスタイムで自分を抑えて恋しい人の幸せに尽力しちゃう、歯痒くて愛しくてヘタレっぷりに苛々させられること請け合いの―――って待って待ってココがアスクロの世界ならば何処かに尊が、三次元の生きた尊がどーこーかーにーいーるーはーずーーーーーー!!


 ――――――いや落ち着け。


 今、私が佇んでいるこの場所は、大きな窓から斜めに夕陽が差しこむ吹き抜けのホール。人っ子ひとり見当たらないが、見覚えはありまくりの洋館風の学舎と、明日香(じぶん)が制服姿であるからには、ここはブルジョア御用達の青蘭学園高等部であり、英は若き理事長かつ明日香の保護者、尊は先輩。魔法も異能も無い世界の筈である。


 この世界の明日香(いまの私)は十六歳。両親を二年前に亡くし、莫大な遺産を相続した。その時に、周囲の汚い金銭欲と様々な策謀を見てしまい、人間不信に陥っている。血の繋がらない叔父であり初恋相手でもある英、九割保護者としての責任感で明日香を引き取り(ちなみに残る一割は無自覚な下心だった。後々、幼い頃と違い壁を作りまくる明日香に辛抱堪らなくなった英が徐々に暴走していく辺りがこの世界の見所だ。何度も言うが直接的なエロは無い)共に暮らす彼すら信じる事が出来なくなっていて、密やかに毛を逆立てている割には無防備極まりなく、おーい目を覚ませ周りをちゃんと見ろ、注意一秒ケガ一生、真後ろにとんだ(ヤンデレ)が居るぞと後頭部を叩きたくなるような、影を背負った笑わない美少女、である筈だ。


 そしてこの世界の尊は、唯一、明日香が構えなくて済む人間として用意されているのである。美術部に所属する上級生で、思いのままに絵さえ描ければ満足な、それこそ絵に描いたような一点特化型の奇才。絵に関しては何事も譲らないけれどもそれ以外は何にもまともにやる気が無い、明日香の事情なんぞビタイチ興味が無い、金持ちのボンならではの鷹揚さと世事への無関心が同居した男。世に言う高等遊民そのものなのだが、これがねえ、ちまちまと堅実に現実世界を生きるしかなかった前世の私には堪らなかった。理想。夢の生活を営む男が其処に居る。なーーーーんの生活の心配もなく好きなことだけして生きていける、面倒なあれやこれやは誰かが全てを肩代わりしてくれる桃源郷。(のんべんだらりん)あ、涎が出そう。


 いやいやいやいや、あの、常に気が抜けるようなほんわかした笑みを湛えた、そのくせ絵筆を持つと人が変わる、陽だまりの猫と空腹の豹が表裏一体の尊の実物が、全てのストーリーでの最推しである彼が何処かに居るのだ。締まりのない顔を晒してはならない。涎は論外、だらしのない笑顔もダメだ。何しろこの世界観の明日香は影を背負った笑わない美少女……いや、キッツイて。何だこの設定。


 どうやっても緩んでくる頬と口元をぐいぐいと揉み戻しつつ、私は必死で設定を頭の中で繰り返し、己が精神に叩き込んだ。何の弾みか知らないが、せっかくこの世界に来たのである。どうにかして(ヤンデレ)を押しのけ、(最推し)との理想郷を我が手にせねば、死んでも死にきれない。や、多分もう一回は死んでるんだろうけど。だからそうじゃなくて、えーーーーとこの世界での英を巡るライバルは誰だっけ? どう振舞えば、英がそっちに行ってくれるんだっけ??


 ―――などと胡乱な記憶を雑巾絞りしているところに、彼女は現れたのだった。


***


 すらりとした長身。出るべきところは惜しみなく出、引っ込むべきところは清々しく引き締まった美身。手足はすんなりと伸び、指先に至るまで傷ひとつない肌は飽くまで白い。対照的に、顎のラインでシャープに揃えられた黒髪は、これぞ射干玉か烏の濡れ羽色か。同じように長く濃い睫毛に縁どられた黒曜石の瞳は、潤みを湛えて艶めかしい。顔立ちそのものは清楚といって良いのに、控えめながらもその瞳を際立たせるアイメイクと上品に彩られた唇が、成熟した女の色香を醸し出す。


 ―――明日香だ。

 間違いない、これは明日香だ。ストイックなデザインのパンツスーツが逆に胸を強調して、もはや目が潰れそうな程の魅力を漂わせる、キャリア邁進世界観の明日香だ。


 す、すごい。いや女子高生(いまの自分)にも大概びっくりしたけど、この成熟した明日香の破壊力たるや。ええええとこれ何歳の設定なんだっけ? このデザインのスーツを着てるってことは、まだ英とは結ばれていない時期の筈で、うおおおお我ながら下品だけど処女でこの色香ってどういう事。


 極限まで目を見開いているであろう私に、その明日香は半目になって溜息を吐いた。わあ、何だろう、イラっとするけど思うさま罵られてもみたくなるこの視線。


「あーもう嫌だ。とうとう来ちゃったのねえ、正ヒロインの明日香がさあ」


 吐き捨てるような台詞ですら、この美声。やー、声優さんて凄いなあ。何をどう言っても様になる。


 ……じゃ、なくて。


「何、どういう事? 正ヒロインて何。あんたも明日香でしょうが」


 私の問いかけに、キャリア明日香は再び心底嫌そうな溜息を吐いた。


「明日香だけどさ。ここ、青蘭学園じゃない。本来の明日香はあんたの姿の方。あああああああせっかくどうにかこうにか此処に来て、今まで地道に積み上げて来た好感度、どうしてくれんのよ」


 そんな凄みに溢れた眇目で睨まれても。


「いや、意味が判らんて。此処に来てって何さ」


「だからさあ、このナリの明日香は青蘭学園には存在しないでしょうが。でもあたしは理事長英(ヤンデレ)がイチ推しだから、ゴリ圧しで青蘭時代に潜り込んで秘書になったの」


「あー! そうだ、青蘭時代のライバル、確かに秘書だった!」


 繋がった記憶に晴れ晴れと膝を打つ私に、キャリア明日香は再び凄んだ。


「秘書だった、じゃないわよ。ああもう腹が立つ。小学生も女子大生も叩き潰して、さあ最難関の魔女をどうしてくれようってタイミングでさあ、何だって正ヒロインが来るかなあ! あたしの努力は何だった訳!?」


 ……はい? は??


「…………えーとあのー聞き間違いでなければ、まだ他にも明日香が居るの?」


 キャリア明日香は鼻息も荒く腕組みをした。む、胸が。胸が押し上げられて凄いことに。


「居たわよ。叩きのめしてやったわよ。残ってんのは魔女よ。あの野郎のらりくらりと躱しやがって、魔法とか反則だってのよ。汚いっつーの」


「こーわーーー。その怖い顔でー、英の前に飛ばしてあげようかー」


「うわああああああっ?」


 突然、目の前に見慣れた魔法陣が出現し、ヘラヘラと嗤うアスカが出現した。つやっつやの黒髪を魔石を散りばめたバレッタで結い上げ、漆黒に銀糸の縫い取りが煌びやかなローブタイプの制服を纏った、魔法学院世界観のアスカ・キサラギだ。うひいいいいかっわいい。小悪魔アスカだ。ホンモノだあ!


 キラキラのエフェクトを撒き散らして魔法陣が消える。残ったアスカは、ゲームでは見たことも無いくらいの仏頂面で私の額を人差し指で弾き飛ばした。地味に痛いから止めて。一発で充分だからもういいから。痛いて。


「……なんだろうねー、何かハラ立つねーこの正明日香さー」


「当たり前でしょうが。この期に及んで正ヒロインよ。あんたとあたしの苦労が台無しよ」


 どつかれようともついつい見入ってしまって口元が緩々だろう私を上から―――文字通り宙に浮かんで見下しながら、アスカは物凄く嫌そうな口調で宣った。酷い。キャリア明日香も酷い。だってだってホンモノだよ三次元だよ見入らずにいられようか! 魔法陣も消える前にもっとじっくり見たかった!


「アンタさー、マジ目障り。今頃来んな。よーやくジャリ共を踏み潰して、さあ年増をって時にさー」


「誰が年増か。あんた実年齢は大してあたしと違わないでしょうが。行動の端々に透けてるわよ」


「あーうるせー」


 アスカがくるりと指を動かすとエフェクトが生じ、キャリア明日香を直撃するや彼女は不自然極まりないタイミングで硬直し、口を噤んだ。というか、声を失った。般若の形相で口を開閉させているので何事かは言っているのだろうが、音声として伝わってこない。流石はアスカ。この異能も魔法も無い筈の青蘭時代でも、固有の設定として魔法が使えるらしい。さっきもいきなり出て来たしなあ。


「さーサシで勝負すっかー?」


 感心してる場合では無かった。ニタリと悪魔のような笑顔で圧を掛けてくるアスカを、私は慌てて押し留めた。なんて短絡的なのか、このアスカ。


「待って待って違う違う」


「うるさーい」


 理屈は一向に判らないままだが、アスカの魔法で言葉を身動きを封じられたら一巻の終わりっぽくないかこれ。私は必死でアスカの繰り出す魔法を、きらきらしいエフェクトを仰け反り避けた。あっぶねえ。問答無用か。


 アスカはあからさまな舌打ちをした。


「正ヒロインきったねえ。避けられるってどゆことー。まさか見えてるとか言わないよねー」


 もしかして本来は見えないのだろうか、このエフェクト。だとしたらアレか、正ヒロインの特典とかか。いや、正も偽も嘘も無い、全員まぎれもなく明日香なんだけど。


 アスカの魔法は実に乱暴だった。何これキャラが違くないか。口調も甘ったるいし間延びしてるし、そもそもアスカってもっと優雅に魔法を使う筈。こんな乱暴者では。いや違って良いのか言動から察するにどうもこいつらも転生者っぽいし。って全てがおかしいって!


「話を、うっわ、っひょ、話をさせろ話をまず!」


「えーめんどいー」


「私は英は要らな、うわわわ、要らないんだってば!」


「んんん?」


 アスカがぴたりと攻撃を止めた。可愛らしく小首を傾げ、人差し指を頬に当てる。あざとい。そんな仕草、本来のアスカはしないぞ。


「英が要らないってどゆこと。アンタ何しに来たの」


「知るかい。ついさっき気が付いたらこうなってたんだもの。じゃあ訊くけど、そっちはどうやってアスカになったのさ」


「さー?」


 アスカは肩を竦めた。


「わかんね。多分、死んだかなんかしたんじゃね?」


 あっけらかんと言う。


「気が付いたらさーアスカだった訳よー。アタシ魔法学院時代がいっちゃん好きだったんだよねー。でも、あそこのアキラはあんまり好きじゃなくってさー。青蘭の英が一等賞なんだわ」


 つまりこいつもヤンデレ好き、と。


「どーせなら一番好きな英がいいじゃん」


「いやそうかも知れんけど、そもそもどうやって」


「知らん。てか、どーでも良くね? いまココに居るのが全てだわ」


「そう言われればねえ、それまでだよねえ」


 そうとしか言いようが無くて、私は深く頷いた。


「考えてもどーしょもねーわ。ほんで何、アンタ英が要らないのに何しに来たってー?」


 漸く平和的に話がそこに巡って来て、私はほっと一息ついた。やっと言える。いやここまで遠かった。


 アスカの目を真っすぐに見て、私は高らかに宣言した。


 この世界の尊を寄越せ、と。


****


 色素の薄い、陽に透けると紅茶色に見える癖のある髪。肩を超すそれを無造作に纏めて根元で括っただけなのに、それだけなのに得も言われず色っぽくて溜息が出る。ろくすっぽ運動らしい事もしないのに躰はすっきりと引き締まって、捲り上げたシャツの袖口から伸びる腕は薄く筋肉を透かして血管が浮いている。繊細だけど、間違いなく男の腕だ。格好いい。木炭を支える指も、思いのほか大きい掌も、しっかり骨格を感じさせるのにゴツゴツはしてなくて。

 対象を真剣に見つめる眼も、頬から顎へはシャープな癖に口元は優しい処も、絶妙にオーバーサイズなシャツに透ける肩から腰へのラインも、案外がっしりした脚元も、ああもう何もかもが眼福。


 だらしなく緩みかける己の口元を厳しく律して、私は小さく吐息を洩らす。


 どれだけ見ても見飽きない。足りない。控えめに言って最高です尊先輩。文字通り、ひたすらに尊い。


「―――疲れた?」


 困ったような微笑を浮かべる尊に、私は密かに唇を喰い閉めて垂れ流されそうな涎を堰き止めた。

 間に合った。


「いいえ。座っているだけですから」


 ほんの少しだけ、そう極く極く僅かに笑みを含ませて、私は頭を振った。


 尊はいま、私をモデルにデッサンをしているのである。


 見つめられて見つめ返す、この珠玉の時間で何で疲れようか。一分一秒がご褒美でしかない。我ながら気持ち悪いが諦めて貰おう。尊が何処までも尊いのがいけないのだ。一瞬たりと気を緩められないのが辛い処だが、尊の底知れない魅力を雄叫びながら転げまわるのは帰宅してからでも間に合う。今はとにかく生の尊を、思うさま、心底、被りに被った猫越しであろうとも余すことなく摂取せねばならない。


「うん、でも、少し顔色が冴えないから、今日はここまで。有難う、お疲れ様」


 あっさりとそう言われ、目の前が真っ暗になった。えええええ。まだ今日は一時間しか経ってないです尊先輩。まだ陽が高いです帰りたくないです尊成分が足りないですーーーーーーー。


 ―――という心の叫びも空しく、無情にも尊は画帳を閉じ、イーゼルすらも片付け始めた。くう。無念。今日はここまでかあ。ちぇー。仕方ない。引き際は肝心である。ここは美しく御前を辞し、厳重に防音を施した自宅にて、隠し撮っては溜め込んだ石動尊コレクションを舐めるが如くに鑑賞しながら思うさま転げまわって発散してから、次回に向けて被る猫皮の強化に努めよう。そうしよう。御前で涎垂らしかけるなんぞ、まだまだ修行が足らん。


「ん? 帰っちゃうの? いまお茶くらい淹れるよ。明日香の好きなフィナンシェも用意したから、もう少し付き合ってよ」


 その刹那、微笑む尊から後光が差しているような気がして、私は思わず目を閉じた。ま、眩しい。目が眩む。ああああ今の笑顔こそ撮りたかったなあ何で目にシャッター機能が付いてないのかなあ昔観た映画に瞬きすると写真が撮れてプリントアウト出来るコンタクトレンズが出て来たけれど、あれが欲しい心底欲しい誰か開発して! もしくは在るならカネなら出すから今すぐ寄越せえ!


 ……という内なる狂人は速やかに圧し潰し、私は小さく唇を綻ばせ、尊の差し出す手に従って、彼のアトリエ(流石はファンタジー世界のボンで奇才、構内に専有アトリエなんぞが在るのである)の一隅に(しつら)えられたソファセットに移動した。


 畏れ多くも尊自らの手で香り高い紅茶が準備されていくのをうっとり見ていると、何やらけたたましい騒ぎが外から流れ込んできて、この美しいひと時の全てを台無しにした。


 ―――あいつら、またやっていやがる。


 奥歯を密かに食い縛りつつ、私はさりげなく窓から表に視線を飛ばした。


 ……あれれれ。今日はキャリア明日香の姿は見えず、青蘭高等部の制服に衣替えした小悪魔アスカと、初等部の制服をキメたロリ明日香が、苦笑する英の両脇に絡まっている。うーわ。最悪の組み合わせかも知れない。ロリ明日香、外見は十歳かそこらで破壊的に可愛いのだが、その中身がどうもキャリア明日香よりも年上っぽくて、というかあいつもしかしたら三十路の英よりも上かも知れんという程に老獪なのである。小悪魔アスカ、あの時は叩き潰したと豪語してたが、今となっては分が悪い。


 何せロリ明日香、相手によって態度を使い分けること息をするより自然に熟す。我々に対しては目を瞠る可愛くなさを発揮するが、英に向けての態度たるや。そして、多分、一番この世界の英のツボを心得ている。英の隠し持つ病的な庇護欲を的確に直撃しているからだ。というか、あれは計画的に集中爆撃している。小悪魔アスカも決して悪くはないのだが、やー、見た目が明らかに犯罪だけどねえ、英があからさまにロリを可愛がってるんだよなあ、傍目にも。


 などと眺めている処に、ものすごい勢いでキャリア明日香がやって来て、光の速さで子供たちを捥ぎ放し、英を拉致して去って行った。まあそりゃそうだろうね、正しい社会人はまだ勤務中であろう時間である。英も理事長だけやってる訳じゃない。生業は別にあるから、力技で己を個人付きの秘書の座に捻じ込んだキャリア明日香には、英に張り付き行動を共にする大儀名分がある。英も英で、キャリア明日香に向ける貌は子供たちに向ける甘さよりも精悍さが勝ってたりして、うーんキャリア明日香、腰が砕けそうになってるけど大丈夫かなあ。英、思ってたよりも鬼畜っぽいぞ。


 ―――というか、根本的な話だが、どういう認識になっているのだろうか、英の中で。あの明日香ズは。いや、世界としてもなのだけれど。誰も明日香が重複している事を気にしていないようなのだが、私の存在も含め、一体どういう事になっているのだろう。普通にどうやっても収拾がつかない気がするのだが。


 深甚なる疑問に、どうも眉間に皺が寄っていたらしい。


 気付いたら、尊の指が指がちょっと冷たいようなその指先が、私の眉間に触れていて!!! ぎゃあああああもう今日顔洗えないいいいいいい。


「高堂さんのこと、やっぱり気になる? 彼の家を出た事、後悔してる?」


 尊は少しだけ苛立ったような笑みを唇の端に引っ掛けていた。何ですかそれ格好良すぎる。

 推しのレア過ぎる表情を目の当たりにし、そのうえ拗ねたような口調で尋ねられて舞い上がる。そのまま高速で頭を振り回して否定しかけ、寸での処で理性が勝って、私は努めて優雅かつ静かな仕草で尊の問いに否を返すことに成功した。あっぶな。


「いいえ。いつまでも叔父様に頼りきりではいられませんもの」


 そう、私はいま、英の家を出て、独りでマンション暮らしをしているのである。


 ―――本来のこの世界の私としては、最終的にはあらゆる欲を煮詰めたヤンデレ英に怒涛の溺愛を食らい、かつそれを歓びとして受け入れるメリバ寄りエンドが正しいのだが、いやいやご勘弁を。何度も言うが、()はとにかく尊一択。英はお呼びでないのである。しかも代打に立候補する奴もしこたま居る訳で、私は大手を振って宣言通りに戦線離脱した。可及的速やかに英とは良好かつ何処までも健全な親戚関係と信頼関係に成るべく舵を切り、見事に遣り遂げ、とっとと独立した。してやった。まあそうは言っても未成年、管財だの身元保証だの、そういう面ではまだまだ英の庇護下にあるのだが。


 あの、最後は檻の如き家を早々と、かつ円満に脱出したのは、個人的には快挙である。頑張った私。


「そっか。……何となくだけど、淋しそうに見てたから、悔しい気がしてさ。……いや、」


 そう言いながら紅茶をサーブしてくれる、その横顔が、横顔があああああああああ。見たことないよこれ、こんな顔、死ぬほど、いや多分死ぬまで繰り返しプレイしたけど、こんな表情の尊を見た事がない! 気弱なんてキャラどっかに置いて来たみたいな、こんなこんなこんな、ううううシャッター! コンタクトシャッター!! 何故、無い!!! 


 内なる狂人は阿鼻叫喚の限りを尽くしていた。それを、辛うじてとは言えカップを支える指先が震える程度で抑えきった私は我ながら偉いと思う。あっっっっぶな。


 だが、狂喜を捻り潰した筈の私の震えは、どうやら見逃して貰えなかったらしい。

 尊の推しはかるような眼差しが真っ直ぐに打ち込まれて、私はその強さに息を呑んだ。


 言葉が、出ない。


 それどころか、今の今まで、何だかんだと煩く続いていた表の明日香ズの言い争う声が、あっさりと聞こえなくなっていく。


 ―――尊が私を、私だけを見詰めている。


 至福ってこの事かな、とぼんやり思うが、絡む視線の熱に中てられて、頬が上気していくのを止められない。羞ずかしい。でも幸せ。いややっぱ羞ずかしいよこれ、だって顔が顔が、何だか冷や汗すら出てきそうなんだけど! し、心臓が!! そのうえ何だか知らないが目が潤んできた気さえする。


「―――可愛い。明日香」


 やがて緊張感を破り、ふわりと破顔した尊が、そのすらりとした指の背で私の頬を撫でて滑らせて、唇を掠めて顎を擽る。へ、変な声が出そう。いや出る。涎も一緒に出かねなくて唇を噛み締めかけたけれども、尊の指が隙間を縫って侵入してきて、いやちょっと待って待って今何が起きてるのこれ。ひい。尊の両手が、頬を、包んで。え、ほんとに?


 もっと時間が掛かると思っていた。だってまだ、自立してから何週間も経ってない。尊はもっと慎重というか、いっそ臆病な男だった筈だ。


 こんなに早く、ちょっと強引にすら感じられる見たことも無い尊とハピエンてことで合ってますかねえねえねえ……っっぎゃーーーーーーー。


 ―――ってなってしまったので、ヒロイン重複で収拾付かないんじゃないか問題は、綺麗さっぱり私の頭から消え去った。


 だってもう何でもいい。


 この奇跡的な尊との世界が崩壊しないなら。


 


 <了>

 

突然、正ヒロ明日香が降ってきて、その勢いで書きました。


お察しかとは思いますが、乙ゲーやったことがありません。おかしい部分は全て作者の勉強不足に因ります。でも書いてみたかったのです。今後も精進します。


蛇足ながら、正ヒロ明日香が熱望しているコンタクトレンズ形式カメラの出典は、お判りの方も多いでしょうけれども、ミッションインポッシブルの確か4作目、ゴースト・プロトコルです。あの作品に於ける私のイチ推しはエージェント・ブラント、次点でベンジーです。ベンジーは無事にヒロインとしての立ち位置(笑)を定着させましたが、ブラント君はあっさり出てこなくなっちゃって哀しい……。


数あるお話の中からお目に止めて下さり、最後までお付き合い下さいまして、誠にありがとうございました。

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