品川宿 四
ちょうど時を同じくして団子屋で働いていた茉衣の元にあやめが訪れる。
「あやめさん?どうしてここに?」
突然のあやめの来訪に茉衣も驚く。
「茉衣さん、桜さんたちがいよいよ薩摩と決戦に乗り込みます」
「何だって?どこに行くんだ」
「品川宿」
「品川宿。あそこには確か薩摩藩邸があったな」
「ええ。それに潜伏先としても有名な場所。相手の本拠地と言ってもいい土地に桜さんと泉凪さんが二人で向かい、桜さんは決闘状を渡されて一人で戦いに出向いたそうです」
「こうしちゃいられない。私も品川宿へ行くよ」
茉衣の言葉を聞いてあやめは微笑んだ。
「そう言ってくれると思っていました。馬を用意してあります。今から馬を飛ばしていけばまだ間に合うでしょう」
日本橋から品川宿までは二里〔約七・九キロ〕。
馬で行けば三十分ほどで行ける距離である。
あやめはそう言うと茉衣に玉屋の紋章の入った印籠を渡した。
「それと、これは玉屋の紋章です。これを嵯峨屋という旅籠で見せれば必要な手配してくれる事になっています。旅籠の女将おいとは元玉屋の遊女で私の妹弟子ですし、玉屋の妓夫たちが常駐してますから印籠を見せればすぐにわかります。おかよちゃんの事は私に任せて下さい。茉衣さん、よろしく頼みましたよ」
「あやめさんありがとう。必ず桜たちを助けるからな」
吉原には抜け人を追うためのシステムが揃っており、江戸から箱根の関所までありとあらゆる場所に見世の人間、もしくは雇われた者が張り込んでいる。
お里やあやめはそれらをすべて桜たちのために活用したのだ。
「桜、待ってろ。今行くからな」
こうして紗希に続いて茉衣も品川宿へと向かって行った。
「桜さん、私たちに出来るのはここまでです。あとは無事帰って来るよう祈って待ってます」
品川宿へと急ぎ馬を走らせていた紗希の前を二十人以上はいるであろう虚無僧たちが立ち塞がっていた。
「おいでなすったな」
「美村紗希。お前を品川宿に行かせるわけにはいかぬ」
「邪魔する奴は容赦なく斬り捨てる」
紗希は馬から降りて刀を抜く。
「我らはお前を足止めさせるための捨て石。たとえ半刻であろうとも時間を稼ぐのだ」
「てめえら如き倒すのに半刻もかかるか。一瞬で片付けてやる」
虚無僧たちは一斉に笠を脱ぎ捨てると紗希に向かって投げつけた。
視界を遮ってその合間から斬りつけるためである。
「それで目眩しのつもりか!美村流抜刀術疾風」
超高速の連撃で笠の隙間から斬りかかってきた虚無僧たちを斬り裂いていく。
血飛沫が舞い散り、あっという間に四人が斬られていた。
「怯むな、かかれ!」
虚無僧は左右から紗希に斬りかかるが、紗希の剣がきらめきと共に風を切る音を発すると虚無僧たちの目の前で血飛沫の霧が舞い一人、また一人と地に倒れる。
この時代に一分、二分という時間の感覚があったかは定かではないが、それくらいの短時間で虚無僧たちは半数が斬り倒されていた。
「さっさと来やがれ。こっちは急いでいるんだ」
「むう、聞きしに勝る凄腕。。」
鬼神の如き強さと形相に虚無僧たちがやや怯んだところを紗希は猛然と突進する。
「美村流抜刀術蒼穹」
矢のような速度の突きが虚無僧の胸を貫き、断末魔の悲鳴が上がるよりも先に剣を胸から引き抜くと血飛沫が吹き飛ぶ。
残る虚無僧たちは持っていた錫杖の先端の輪を取り外すと槍となった。
刀から長い槍に持ち替えたのだ。
「仕込み杖か。刀を槍に持ち替えたところで変わらねえ」
その時、背後から馬の蹄の足音が聞こえて来た。
茉衣を乗せた馬が東海道を品川に向けて走って来たのだ。
馬上で茉衣は前方に槍を持った大勢の虚無僧と一人の剣客の姿が目に入った。
「あれは?」
茉衣はそれが薩摩の山くぐりだとひと目見てわかった。
相手をしているのが誰だかはわからないが、薩摩が襲うとなれば桜の仲間であろう。
そう判断した茉衣は馬を止めて降り、紗希に声をかける。
「助け立ちしましょう」
「何者か知らないが助かる」
虚無僧たちは一人増えた相手に狼狽していたが、長らしき男から怒号が飛ぶ。
「構わぬ。まとめて討て」
虚無僧たちの槍から突きが繰り出されるが、紗希と茉衣は素早い足さばきでその攻撃をかわすと一気に相手に詰め寄る。
「一乃型月輪」
「美村流抜刀術幻月」
二人の剣が縦に横に振り下ろされ、悲鳴と血飛沫が上がり虚無僧たちが地に伏していく。
〔凄い腕。何者なんだろう〕
〔やるな。桜と同じかそれ以上かも知れねえ〕
紗希と茉衣は互いにその実力を驚きながら見ていた。
「この虚無僧は薩摩の山伏でしょう」
「誰だあんた?そんな事を知っているのは幕府の人間しかいないと思ったが」
「私の名前は赤松茉衣。世間では赤薔薇と呼ばれています」
「赤薔薇?あんたが桜の命を狙っていた赤薔薇か」
「桜を知っているのですか?」
「私は美村紗希。紀州から上様に呼ばれて来た剣客で桜に剣を教えた師匠だ」
それを聞いて驚くとともに道理で腕が立つ訳だと納得した茉衣。
「あなたは桜の師匠なのですか?道理で腕が立つわけですね。私は確かに桜を敵討ちとして狙っていました。でも、もうやめました。私も今から桜を助けに行こうと品川宿に向かうところです」
「そうか。事情はわからねえが、師匠として礼を言う。それより桜が危ないんだ。早く行きたいところなんだが、こいつらなかなかしつこくてな」
桜が危ないと聞き、茉衣はここを自分が引き受ける決断をする。
「ここは私に任せて紗希さんは品川へ行って下さい」
「いいのか?」
「一刻を争うのであればなおさら。私もこいつらを片付けたら後から向かいます」
「わかった。赤薔薇、後を頼んだぞ」
紗希は茉衣の剣の実力を見て、この人物の腕は信頼できると判断し、お言葉に甘えて先を急ぐ事にする。
ダン! という強力な足音を響かせて馬に飛び乗ると、再び品川宿に向けて馬を走らせた。
「行かせるな!」
「邪魔させるか」
紗希の馬を斬ろうとする虚無僧を茉衣が背後から斬りつける。
そして道を塞ぐように虚無僧たちの前に立ちはだかり牽制する。
「さあ、お前らの相手は私だ」