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江戸の雪月花 〜さくらの剣 第二部〜  作者: 葉月麗雄
第四章
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生きる世界

「馬鹿が。油断するからだ」


龍之介の死を聞いた紗希の怒声が大奥に鳴り響く。


「青二歳が一人で何でも出来ると思う事が自惚れだと言うんだ。だからこそ那月と組ませていたのに、馬鹿野郎が。。」


そこまでいって紗希は頭を抱えた。

その姿を見て月光院が声をかける。


「紗希、そう言いながら本当は悲しくて悔しいのじゃな」


月光院の言葉に紗希はぐっと拳を握り締めてうつむく。


「弟子の死が悲しくない師などいません。ですが、ここで涙を流していたところでもう死んだ者は戻って来ません。大事なのは同じ過ちを繰り返さない事です」


「そうじゃな」


「それより月光院様、この事は万理には」


「わかっておる。話さないつもりじゃ。あの子の耳に入れば己のせいだと自分を責めるだろうからな」


だが、この情報は気を利かせたつもりの女中によって万理の耳に入る事となってしまった。


「私のせいで犠牲者が。。」


身体を震わせて涙を流す万理。


「これ以上、私がここに居ては他の方たちに迷惑なだけじゃなく新たな犠牲が出てしまう。。」


万理は月光院に大奥を出たいと申し出る決意を固めた。



「万理に話したというのか? なんて愚かな事をしてくれたのじゃ」


月光院の怒りの声に女中は恐れ慄き平伏して謝罪した。


「も、申し訳ございません。万理様にご報告が上がってなかったようでしたので、一報入れた方がよろしいだろうと私の勝手な判断で話してしまいました」


緘口令かんこうれいを出しておくべきであったかと月光院は失敗を悔やんだが今さらどうにもならなかった。


〔これは私の見落としじゃ。私がもう少し情報の流出に気を配っておれば防げた事。この者を責めても仕方があるまい〕


「もうよい。話してしまったものは今さら隠してもどうにもならないだろう。そなたは万理から目を離すでないぞ。何かあればすぐに知らせよ。よいな」


「はい」


女中が退室すると月光院はため息をついた。


「紗希、聞いたであろう。これは私の責任じゃ。万理が早まるのを止めねばならぬ」


月光院が声をかけると紗希が隣室から現れる。


「ええ。おそらく万理は自分を責めて大奥を出たいと申し出るかと思われます」


「私もそう思う。無論、許可するつもりなないが」


「ここは私にお任せ頂けないでしょうか。私が万理と話してきます」


「おお、紗希がいってくれるなら安心じゃ。すまぬがよろしく頼む」


月光院の許可を受けて紗希は万理の部屋へと向かった。



立ち上がって部屋から出ようとする万理の前に紗希が立っていた。


「紗希さん。。」


「どこに行くつもりだ?」


「月光院様のところに行って参ります」


「大奥を出たいとでも言うつもりか」


ズバリ言い当てられて万理は立ち止まってしまった。


「図星ってところか。本当にあんたは考えも行動も単純だな。それに自分を責めすぎる。もう少し客観的に考えたらどうだ?」


「客観的に?」


「肩の力を抜いて冷静に考えろって事だよ」


「でも、今回の戦いは私と母が原因で起こっている事です。みなさんが戦わなければならない原因を作り、そして犠牲まで出てしまった。私がここから居なくなれば、敵の狙いは母と私なのですからみなさんが戦うことは無くなるでしょう」


「そんな事あり得えねよ。奴らの狙いはあんたたち親子だけじゃねえ。御庭番も標的なんだからな。こちらがどんなに戦いたくなくても相手は襲ってくる。結局は迎え撃って撃退するしかねえんだからよ」


「でも。。」


「いいから気にするんじゃねえ」


「紗希さん。。」


紗希の強い口調に万理は黙り込んでしまった。


「我々はみんな命懸けで任務についている。その過程で命を落とす事は覚悟してな。戦いってのはな、非情なものなんだ。人の命なんて碁石程度だ。忍びを使う雇い主は任務においてある程度の犠牲は想定済みで部下を送り出す。


あるのはいかに味方の犠牲を少なくして敵を多く倒すか。それだけだ。悪い言い方をしちまえば、何人までは死んでも構わないってあからじめ想定しておくのが戦いなんだ」


紗希の言葉に万理は絶句した。


「じゃあ龍之介さんは死んでも良かったんですか?」


「そうじゃねえ。誰かが死ぬのは想定済みって事だ。たとえ桜や泉凪が死んだとしても最後に勝っていればいいんだからな」


「そんな。。酷すぎます」


「我々が生きているのはそういう世界なんだ。今は太平の世だからこの程度で済んでいる。戦国時代ならこれが日々何百、何千という犠牲者が出る、それが戦いだ。あんたには理解出来なくてもいい。だから自分のせいなんて思うな」


あまりにも自分の日常とかけ離れた世界で、母もそんな世界に身を置いていたのだと万理は改めて知るのだった。

そして紗希の鋭く強い眼光にかつての主である江島を思い出していた。

江島も大奥を取り仕切る時にはこんな強い目をしていた。


まるで旦那様がここに居て私を叱ってくれているようだ。

万理はそんな不思議な感覚を感じていた。


「紗希さん、わかりました。私はもう少し堂々としていてもいいんですね」


さっきまでとは違う万理の目を見て紗希は微笑む。


「ああ。もっとどっしり構えていろ。あんたはいずれこの大奥を取り仕切る立場になるんだろ。だったら堂々とする事だ」


「そのような立場になれるかはわかりません。ですが、なれるように努力しているつもりです。紗希さん、これからも私が迷った時は今みたいにに叱ってくれますか?」


「何だ? 叱られるのが好きなのか」


「そうかも知れません」


「変わった嗜好だな」


そう言って互いに見つめ合い笑う二人。

万理は少しだけ自分が強くなったと実感するのだった。


⭐︎⭐︎⭐︎


紗希にはもう一つ、桜と敵対する赤薔薇の情報も入っていた。


「なるほとな。桜を敵討ちと狙う剣客か。だがな、御庭番として仕事をする以上、これもある程度承知の上でやっているはず。相手を説得するなり、場合によっては戦って打ち破るなり出来なければ役目は務まらねえ」


「紗希はどうするつもりじゃ」


月光院の問いに紗希は即答する。


「私は黙ってことの成り行きを見ているだけです。それで桜が討ち取られる事があれば、それは桜の実力がなかっただけの事。無論、そんな事になるような鍛え方はしていませんが、すでに私の手を離れた以上、一人前の剣客としてあらゆる事態に対処出来て当然です」


月光院はその言葉を聞いて、紗希は桜を信じているんだなと思った。

いくら自分の手を離れたとは言え、師として長年一緒にいた弟子が討たれたらと考えると平静でいられるとは思えない。

紗希と桜の間には他人が入る余地のないほど信頼関係が深く築かれている。

まるで本当の母子か姉妹のように。


「紗希と桜は本当に良い関係なのじゃな。羨ましい限りじゃ」


月光院は幼くして亡くなった息子、七代将軍家継の事を思い出していた。

あの子がいま生きていたら、どんな姿になっていたろう。

どんな将軍となり政策を打ち立てていただろうか。


〔そんな事、考えても仕方のない事じゃな〕


家継を失い、江島を失った月光院は心の拠り所をなくして孤独であった。

無論、御台所として付く女中は大勢いるしお年寄りたちも信頼している。

だが、本当に大切なものは失ってしまった。


そこまで考えて首を横に振る。

今は万理を守り、これ以上犠牲者が出ないようにするのが先決だと自分に言い聞かせるのだった。

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