村田半兵衛の謎
再び滝川ゆきに会うため、大奥から吉原へと向かう桜。
前回と違い、一度顔を合わせていて互いの素性も知っている事と、あやめたちの玉屋が仲介役に入ってくれたので、桜はゆきに用事がある際には玉屋かあやめに言えばすぐにゆきに伝えて会える手配ができるよう体制が整えられていた。
吉原の一角にある裏茶屋で桜とゆきは再開した。
「村田半兵衛?」
「ええ。薩摩山くぐり衆の頭領はそう名乗っていたという事ですが、ご存知ありませんか?」
ゆきは頬に手を当ててしばらく考えていたが、歩き巫女時代にも山くぐり衆の中にも聞き覚えのない名前であった。
「私の知り得る中にその名前はありませんね。もしかしたら偽名が仮の名で本名は違うのかも知れません。背丈が六尺〔百八十センチ〕もある人物など、そうはいませんから、もし知り合いならすぐに見当が付きますし」
「そうですか。手掛かりが掴めたと思って居たのですが」
「しかしその半兵衛という人物がこの二年足らずで山くぐり衆を統率したのなら、只者でない事だけはわかります。忍びを統率するなど並の者には出来ることではありませんから」
そう言いながらもゆきは心当たりを必死に思い出していた。
六尺もの長身の人物。。
かすかな記憶の中、頭にモヤがかかったようにその人物のシルエットが浮かんで来た。
「いや、待って。頭の片隅に思い浮かんできた。でも誰なのか思い出せない。それにその人はそんな身長がある人じゃなかったような。。」
ゆきは顔に手を当ててもどかしい表情を浮かべた。
「ゆきさん、無理に思い出さなくてもいいですよ。時間はありますし、仮にゆきさんが知らない人物でもこちらは何とかなりますから」
「せっかく情報を持って来てくれたのにお役に立てずに申し訳ありません。何とか思い出してみますから」
桜はそれから大奥で万理が再び襲われた事についてゆきに謝罪した。
「先日は万理が大奥で再び狙われる事になってしまいましたが、何とか無事に助けることが出来ました。何度も危ない目に遭わせてしまい申し訳ございません」
「いえ、桜姫や月光院様たちにご迷惑をおかけしているのはこちらなのですから。私事に皆さんを巻き込んでしまい本当に申し訳なく思っています。いつも万理を守って頂きありがとうございます」
ゆきに頭を下げられて桜は少し困った表情を浮かべた。
「ゆきさん、頭をお上げ下さい。万理は私たちの大切な仲間ですし、何より月光院様にとってもいなくてはならない存在ですから。守るのは使命だと思ってます」
「そんな風に言って頂いて万理も喜んでいると思います。これまであの容姿で色んなところで陰口を叩かれて友達もいなかったので」
「私も紀州にいた頃は師匠の紗希さん以外に友人と呼べる人はいなかったんです。泉凪や源心たちは江戸に来てからの仲間です。だから私はこの街が好きなんです。命をかけても守りたい。そう思えるんです」
桜の言葉にゆきは相槌をうつ。
「また何かわかりましたらご報告に参ります。ゆきさんも気をつけて下さい」
「私は自分の身を守れる程度の剣術は身につけていますので。桜姫もどうかお気をつけて」
桜が吉原を立ち去った後、ゆきはしばらく一人で考えていた。
「村田半兵衛はおそらく偽名。六尺もの身長に山くぐりを束ねる統率力を持つ人物なんてそうはいないはずなのに。。おそらく顔を見ればわかるとは思うけど、思い出せない」
⭐︎⭐︎⭐︎
ゆきを訪ねてから数日後、桜は久しぶりに源心の店に左近と手伝いに来ていた。
ひょんな事から昔、源心が桜が料理が出来るのかという話題をから実際に蕎麦作りをした時の事を思い出していた。
「ああ、そんな事があったね」
左近も思い出して思わず笑みが溢れた。
二年前のこと。
「桜は料理出来るのか?作っているのを見た事がないんだが」
「桜に料理が出来るわけないじゃない」
左近がそう言うと桜が少しだけ反論する。
「こう見えても私だって紀州にいた頃は少しばかり自炊していたんだよ。おにぎりとかお蕎麦くらいなら作れるよ」
「じゃあ、お蕎麦を作ってもらおうかな。断っておくが、お店の出来た蕎麦とつゆを使うのはなしだからな。自分で一から作る事」
「任せて!」
こうして蕎麦打ちから始まり、小麦粉をこねて均等に切り茹でるという一連の流れと、出汁をとって蕎麦つゆ作りに悪戦苦闘する桜。
すったもんたの末に半刻後〔一時間後〕、出来上がったお蕎麦を源心が試食する事となった。
「。。桜、この蕎麦。いや蕎麦色をした太さ不揃いのうどんみたいなものは。。」
「ちょっとばかり切り方がいびつになっただけよ。味は間違いないと思うから食べてみて」
源心は冷や汗が出て来た。
隠密の合間の仮の姿とはいえ、蕎麦屋の店主として蕎麦を作っている源心である。
蕎麦がこれだけ不揃いな状態で出て来た時点で味の想像がついてしまう。
恐る恐るひと口食べてみたが、粉っぽい蕎麦に色がついているだけで味のないつゆ。
「どう?美味しい?」
「。。不味い」
源心のいかにも不味そうな顔に桜は不満げだ。
「一生懸命作ったのに」
「やる気と実力は違うものだって事ね。桜は刃物の扱いは上手なんだけどね」
左近の皮肉に桜はぶすっと不貞腐れた。
「やっぱり桜に料理は無理だ。江戸城では料理人が作ってくれるから良かったな」
「。。良くない。私の作ったお蕎麦、そんなに不味かった?」
「これがうまいと言うやつは舌がどうかしてる」
源心がそこまで言い終えないうちに桜の強烈な蹴りがお尻にヒットした。
「痛え!」
「そこまで言うか!」
「一般のお客さんとしての意見を言ったまでだって」
源心が蹴られたお尻をさすりながらそう言う。
「ま、桜の料理の腕前がわかっただけで良しとしよう」
左近の言葉にも不満げな桜であった。
「あれ、二年くらい前だったよね。まったく源心が失礼な事を言うから」
「ちょっと待て。失礼な事は何も言ってないぞ。本音を言っただけだ。桜、いっぺん自分で作った蕎麦を食べてみろよ」
そう言った源心のお尻を蹴る動作を桜がしたので慌てて逃げる源心。
「まあまあ、二人とも昔の事なんだから」
左近がなだめて桜は椅子に座ったが、ぷいと拗ねた表情を浮かべていた。
「昔話はここまでにして。桜、村田半兵衛の件は結局何もわからずだったの?」
左近の問いに桜が答える。
「うん。ゆきさんが言うには村田半兵衛というのは偽名だろうって」
「あやめさんの情報では配下の者たちはみんな半兵衛様と呼んでいたと言っていた。配下にもその名前で呼ばせているという事になるわね。その上能面までして顔を隠している。謎の多い人物のようね」
「何か裏で大きな人物が手を引いているのかも知れないな。その半兵衛という人物が今回の一連の事件の鍵を握っている事だけは確かだ。だけど、赤薔薇はどうしてその情報を教えてくれたんだ」
源心の疑問に桜も答える事が出来なかった。
「私を敵討ちとして狙っているのに、彼女からは迷いが感じられた。もしかしたら仲間になれるかも知れないって思うのは甘いのかな」
「油断は禁物だけど、希望は持った方がいいわ」
赤薔薇の正体が赤松茉衣である事は桜は周知である。
あの団子屋に行けばたぶん会える可能性もある。
だが、桜は茉衣と出来れば戦いたくなかった。
今は会うべきではない。
時間をかけて対話できれば、そう考えていた。




