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 旧校舎というだけあって、古びていた。

 壁や天井は色が落ち、ところどころに傷があった。

 昼間とは思えない程静かで、おどろおどろしい雰囲気があった。


 目的の教室の前まで辿り着くと、僕は一度立ち止まって呼吸を整えた。

 今日の栗はかなり様子が変だった。 何の話かは全く検討がつかないが、きっととても大事な話なのだろう。


 僕は覚悟を決めると、秘密の部屋の引き戸を開けた。


 「先輩、待ってましたよ」


 教室中のカーテンは閉まっており、薄暗かった。

 普段使う教室と違い、机や椅子がほとんど撤去されているからだだっ広く感じる。

 そんな中で栗は後ろに手を組んでぽつりと立っていた。


 「うん、それで話って?」


 この暗さでは、俯く栗の表情は伺えない。ただ、楽しい話ではないのは確かだろう。


 「もう少し栗の方まで来てください」


 栗は微動だにせず僕を呼ぶ。

 普通は、栗の方からも寄ってくるなり、椅子に座るよう促すなりするはずだ。

 おかしいとは思ったのだが、様子が変なのは朝からだ。素直に栗の方へ近づいた。


 いつものように何の警戒もせず真っ直ぐ。

 気の知れた友だちだから当たり前なのだが、なぜか僕の頭には正体のわからない不安感がよぎっていた。


 そうして、いつもの距離。手を伸ばせば届くくらいの距離になったところで、栗はぼそりと告げた。


 「先輩、死んでください」


 この瞬間、僕は反射的に身を退いていた。妙な不安感が体を動かしたのだ。


 栗は素早く腕を突き出した。

 握られていたのは鈍く光る刃物―――動かなければ腹に突き刺さっていた。


 「包丁!?―――」


 栗は「ちっ」、と舌打ちをすると、そのまま包丁を振りかざす。


 やばい―――避けようとするが足が縺れ、尻餅を着く。


 「栗、どういうことだ!?」


 いつもの冗談交じりに足を踏みつけたりしてくるのとは明らかに違う。

 栗の様子からは本気で僕を殺そうとしているのがわかる。


 今目の前にいる栗は、俺の知っている栗ではなかった。


 「さっき言った通りです。先輩は死なないといけないんです」


 栗は包丁を構え、僕に狙いをつける。


 「っ!―――」


 肩下にジリジリと痛みが走り、血が流れ出てきた。

 二振り目を避けきれずにかすっていたのだ。


 刺されれば痛みはこの比ではない―――その気づきが、ぼんやりと現れつつあった恐怖を強固に現実と結び付けた。


 この体勢では満足に避けることなんてできない。

 それどころか、震えが止まらなくて体を動かすことさえできない。


 栗は瞬き一つしなかった。


 殺される?栗に?どうして?

 何一つわからないまま、しかし理不尽にも非情にも、僕にはただ死が迫る。


 「さあ今度はもう外しません」


 包丁が僕目掛けて振り下ろされ―――僕は死を覚悟した。


 しかし次の瞬間、包丁は栗の手を離れ、あらぬ方向へ飛んでいく。


 次に眼前で脚が振りぬかれたことに気づき、そして、振り下ろす栗の腕が蹴りつけられたのだと理解が追いつく。


 脚?背後に現れた第三者のものだ。

 それが一体誰なのかは、声ですぐにわかった。


 「ふう、ぎりぎり間に合った。天華院花芽が助けに来てあげたわよ!!」


 栗は歯を噛みしめ、苦々しい声を出す。


 「やはり勘だけは良いですね」


 花芽は僕の前に立ち、栗と向かい合う。

 その背中は決して大きくはないのに、頼もしく見えた。


 「あんたもあたしと同じように来たってわけ?」

 「どうして、栗の邪魔をするんですか?」

 「やっぱり……未来のりっちゃんなのね」


 緊迫した空気が漂うが、僕には話の内容も状況もさっぱりだ。

 二人は僕そっちのけで会話を続ける。


 「栗にはわかりません。どうしてわざわざ先輩を守ろうとするんですか?」

 「思い直したのよ。………色々と考えてね」

 「そうですか……」


 栗の語気がふっと弱まる。

 花芽の背中越しでは顔が見えないが、ずっと感じていた殺気も薄まっていた。


 「だから、りっちゃんにも考え直してほしいわ。お願い……」

 「………」


 花芽の懇願に、栗は黙る。何かで悩んでいるらしいことは僕にもわかった。

 

 しばらくの沈黙で僕は少しだけ落ち着きを取り戻した。

 体の震えが収まったし、頭も少しは回るようになった。そうすると、残った恐怖より何が起こってるのか知りたい気持ちが上回るようになってきた。


 重苦しい空気の中、口を切るのは躊躇われる。

 何度か心の中で復唱し、声がきちんと出ることを確認してから、


 「あ、あのさ……僕にも説明してくれないかな?何もわからないんだけど」

 「優、あんたには後で説明してあげるわ。今は待って。きっと大丈夫だから」


 振り向く花芽は僕の手を握り、微笑みかけた。

 その顔は、初めて出会ったときの笑みに含まれた陰りに重なる。


 花芽を知ったことで、少し表情の意味がわかるようになった。

 あのときも今も僕を安心させようとして、強がっていたんだ。

 だって、彼女の手は震えているのだから。


 「わかった」


 何かしないとという衝動は心の底に隠しておき、僕は彼女を信じることにした。

 彼女は僕のことを何でも知っているのだから、きっと正しいはずだ。

 それに、今の僕じゃきっと何もできない。


 「……それは必要ないです。栗が全て説明します」


 栗の声色は凪いでいて、だが奥に芯のあるようだった。

 つまり、栗は何かを決心したのだ。


 「今の栗は十年後の栗です。天華院花芽と同様に未来の意識を現在の意識に上書きすることで過去へやってきました」


 栗は静かに語り始めた。僕らは遮ることだって出来るはずだが、その判断の間もなく話は続く。


 「目的は唸木優の殺害。優先輩、栗はあなたをこの世から消し去るためにやって来ました」


 さっき襲われたので薄々わかってはいたが、改めて聞くとにわかには信じがたい。


 「どうして?」


 僕は殺されかけたことも忘れて、話に聞き入っていた。


 「それは―――」

 「言ってはダメ!!」


 突如、花芽が叫んだ。しかし、栗はやめることなく続ける。


 「優先輩、あなたが世界を滅ぼすからです」

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