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教室に着くや否や、僕を中心に人だかりが出来ていた。
それも、僕から少し距離を取って遠巻きに観察されている。
あまりいい心地がしない。
そのまま着席すると、星野明日葉がやってきた。
「よっ、うなきゅう。なんや転校生が天華院花芽を連れて駆け落ちしようとしたってもっぱらの噂になっとるようやで」
昨日の校門での騒動をばっちり見られていた、ということらしい。
「おはよう、星野さん」
「なんやうっすいリアクションやなあ。あっ、もしかしてうなきゅうって呼ばれんの嫌やった?」
「いや、うなきゅうでいいよ。あんまり驚いていないのは、予想してたからね」
一年前の事件のとき、同じように腫れ物扱いされたことがある。そのときと比べれば、随分と可愛いほうだ。
「ほほう……うなきゅうは見かけによらずなかなか肝座ってんねんな」
「見かけによらずって……」
「そりゃこんなひょろっとしとったら弱そうに見えるで」
背中をばしりと叩かれた。
星野さんこそモデルのような細身なのに体育系なのか?
「みんな噂の転校生を測り兼ねてるんやな。やから、うなきゅうがおもろい奴ってわかったら、すぐに人気者や」
「前の学校でもそんなに友だちいなかったし、それはないと思うけど」
「そんな謙遜せんでも~。みんな気になっとるってすぐにわかるで」
星野さんは顔を上げて教室中を見渡す。
すると、クラスメイトたちが僕の方へ恐る恐る近づいてきた。
「ほらほら、みんなうなきゅうはそんな危険生物ちゃうで。せいぜいもやしやな」
「動物ですらない!?」
小動物の栗以下ってことか。
「動物になろう思たら、もうちょいがっちりせなな。今ならうちでも勝てそうや」
と言ってはいるが、星野さんの腕は僕より細いし、肌は真っ白で全く強そうには見えない。
「あ、今弱そうとか思たやろ?うち、腕相撲は強いんやで。やる?」
星野さんはまるで獲物を見つけた猛禽類のようだった。
その雰囲気に僕は少し怯み、
「い、いや、遠慮しておこうかな」
「そ、遠慮せんでいつでも勝負挑んでくれてええからな」
星野さんと喋っているうちに、僕に興味を持ったクラスメイトたちに囲われていた。
「よっしゃ、始めるで~。うなきゅうのインタビュータ~イム!!今日は出血大サービスや。何でもうなきゅうに聞いてええよ」
「えっ、そんな話聞いてないんだけど………」
「まあまあ、許可ならうちが出したるから。血みどろになるまで語り明かそうや」
「そんなサービスは行ってない!」
星野さんは、僕に向けてばちりとウィンク。
僕が馴染めるように星野さんなりに気を使ってくれたのだろうが、全然安心できない。
身構えていると、クラスメイトの方も緊張気味に質問をしてきた。
「あの、唸木君ってどんな映画見るの?」
内心胸をなでおろした。普通の質問だ。
僕のことが気になっていた、というのはどうやら本当のようだ。
僕が質問に答えると、矢継ぎ早に次の質問が来て、話が途切れない。
質問の内容は僕自身についてのとりとめもない質問ばかりだ。
僕を取り囲む輪の中に栗はいない。栗は教室に着くなり、自分の席に座ってしまった。
朝から様子がおかしかったので、クラスメイトと会話しつつも栗の様子をちらちらと確認していると、星野さんに気づかれた。
「ほほう、うなきゅう君何か気になることでも?もしかして……天華院さん?」
星野さんはにまりと笑う。
クラスメイトたちの眼が一斉にギラリと光ったように感じた。
「やっぱり、それが聞きたいんだよね」
「みんなも気になっとるよなあ。ずばり、天華院さんとの関係は?!」
マイクに見立てた握り拳を僕の口元に押し付け、迫ってきた。
圧がすごい。星野さん、やっぱり体育系だ。
「えっ、ええと………」
僕は若干身じろぎながら、答えに詰まる。
「さあさあ吐いてもええんちゃう?どうせあんな派手に目立ってたら、何かしら噂されるし正直に言った方が楽やないか?」
そう言われても、僕だって花芽とどういう関係なのか説明できる気がしない。
未来で結婚しているなんて言ったって信じてもらえるわけないし。
困ってる僕を見かねたのか、星野さんは腕を退いた。
「ほんまに言いたくないんやったらええんやけど……」
「いいえ、その質問にはあたしが答えるわ!!」
教室の扉が派手に開けられて、凛とした声が響き渡った。
花芽がちょうど登校してきたのだ。
花芽は我が物顔でクラスメイトたちを押しのけながら僕の方へやって来る。
「おはよう、優」
まるで周囲に誰もいないかのように甘い声を出して、僕に体重を預けてきた。
「おはよう、すごく間の悪いときに来てくれたね」
僕は花芽を押しのけると、「頼むから大人しくしてくれ」というメッセージを困り顔で最大限表現した。
しかし、花芽は僕のメッセージを最大限曲解したようで、
「うん、わかったわ。優は朝からクラスでいびられていたのね!」
「違う!!」
昨日よりも花芽の距離感が近い。
たしかに嫌な気はしなくなったが、平穏な学校生活のためには四六時中ベタベタされるのは困る。
「ほうほう、まあお二人さんの関係は大体わかっとるけど一応聞いとこか」
クラスメイトたちは花芽が怖かったのか僕の机から四散して、また遠巻きに僕らを見ていた。
だが、星野さんだけは全く臆することもなく、僕の正面に居座り続けている。
「そうね、昨日はぼかしちゃったし、改めて言っておくわ。あたしと優は実はふう―――」
次の言葉を予想した僕は、花芽の口を大慌てで塞いだ。
「ふう?」
花芽はもごもごと口を動かすが、僕は構わず誤魔化す。
「ふ、ふ~うるくからの仲なんだよ。両親が知り合いでね。いわゆる幼馴染ってやつ」
苦し紛れでかなり無理がある。しかし、流石に夫婦なんて言われたら、どう誤魔化せばいいのか想像もつかない。
このまま強引に嘘を通しきるしかないだろう。
「へ~」
薄い反応。やはり星野さんは食い下がってはくれないか。
「そうそう、昔からよく会ってたから妙に距離が近くてさ。やっぱり傍から見るとびっくりしちゃうよね」
「なんや天華院さんも喋りたそうだけど」
まずい。花芽は話を合わす気はないだろう。
絶対に喋らせるわけにはいかない。
「むごごご」
花芽はしつこく口を動かし続ける。僕も手の力を緩めなかった。
お互い粘り続けるが勝負は決する。
「いたあっ!!」
花芽が僕の掌にガブリと嚙みついたのだ。
「ふふん、あたしに盾突くから天罰が下ったのよ。ざまあみなさい」
「ただ噛みついただけだろ」
僕の掌にはしっかり歯形が残っていた。
「感謝なさい!立派なキスマークが付いたのだから」
「世のカップルは思い切り嚙みつきあったりしない」
どうやら昨日の僕は浮かれておかしくなっていたらしい。
こんな傲慢で狂暴な相手に心を開いてしまったとは。
どうせ聞いてはくれないだろうが、学校では距離を取るように後で話をしよう。
星野さんは僕らのやり取りに爆笑していた。
「ほんま自分らおもろいな。見とって飽きんわ」
「あたしは大真面目よ」
「僕もだ!!」
別に人気者になりたいだとか思っているわけじゃない。
ただ、近づきがたい奴だとは思われたくはない。
平穏安全な学校生活を送りたいのだ。
「二人の関係はただの友だち、ってことにしとくわ。今のとこはな」
星野さんは僕らの肩をばしばし叩いた。
やっぱり友だちというのは、信じてもらえていないようだ。
この後も、こんな調子が続いた。
花芽はずっと僕にベタベタしてくるし、星野さんは僕らのことを面白がってちょっかいをかけ続けた。
ただ、星野さんに関しては、少しありがたかった。
おそらく花芽と二人だったら他のクラスメイトには避けられていたであろう。星野さんがいることで一人、二人と話に混ざってくれることが何度かあったのだ。
それから、やはり心配なのは栗だった。
昨日はやっけになって花芽を僕を近づけないようにしようとしていたのに、今日はむしろ僕のことを避けているようだ。僕は僕で二人がずっと近くにいたので、栗に話しかける時間がなかった。
そんなこんなで昼休みになると、今まで自分の席で静かにしていた栗が急に席を発った。
栗はいつも弁当だから、学食に行くというのはまずない。例え学食に行ったのだとしても、今日の異変と関係がないというわけではないだろう。
しかし、僕はすぐに追いかけることはできなかった。
「優、いっしょに食べましょう!せっかく学生時間に戻ったのだから、お互いのおかずを食べさせあいっことかして至福の一時を過ごしたいわ」
「うなきゅうと天華院さん、うちも混ぜてや。なんや楽しそうやな」
両隣を二人に挟まれたからだ。
ため息をついて、スマホを開いた。栗のこと抜きにしても昼くらいは落ち着いたひとときを過ごしたい。
スマホに栗からメッセージが届いていた。
『大事な話があります。昼休み、誰にも見つからないように秘密の部屋まで一人で来てください』
僕が顔を上げると、
「はい優、うちのシェフが腕によりをかけた伊勢海老よ。あーん」
やたら大きい海老を箸で掴んで、僕の口に無理やり押しつけてきた。
「うなきゅう、ロシアンルーレットたこ焼きの当たりあげるわ」
アツアツのたこ焼きが僕の頬に押し付けられる。
色々と言いたいが、今はそんな場合ではない。嫌な予感がする。
「ごめん、トイレ!」
僕は箸を押し返すと、教室を飛び出した。
栗の元へ急ぐ。何度か振り返ったが花芽も流石にトイレまでは付いてこようとしなかったようだ。
秘密の部屋というのは、旧校舎の空き教室。
旧校舎自体いくつかの部屋が部活で使われるだけでそもそもほとんど使われないのだが、栗が秘密の部屋と呼ぶ場所は栗専用の部屋となっているらしい。
一人になりたいときによくいると言っていた。
入学する前に何度も話は聞かされていたし、昨日場所も教えてもらった。
僕は、秘密の部屋へまっすぐ向かった。