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 栗は扉を開く。

 満天の夜空をバックに人影が二つ。

 一人は男で、もう一人は目元を隠されているがわかる―――今度こそ花芽だ。


 手足を拘束されたままぐったりと座り込んで、喉元にナイフを突きつけられてる。

 他に人影はなかった。


 「おいおい、ガキじゃねえか。興味本位で来る場所じゃねえぞ」


 男は花芽に突き付けたナイフをチラチラと振る。動画と同じ声だ。

 この男こそが花芽を誘拐した犯人だ。


 「花芽を離せ!!」


 花芽がぴくりと動いた。


 「優?どうしてっ!?」

 「変な気は起こすんじゃねえぞ」


 喉元の皮膚をナイフがなぞると、花芽は首をのけぞらせて静止する。


 「っ……」


 ようやく花芽を見つけ、すぐ近くまで来た。

 だというのに、僕は何も出来ない。

 少しでも動こうものなら、目の前の男が喉を搔っ切ってしまう。

 そして栗も同じはずで―――


 「何してるんですか?さっさと制圧して、花芽ちゃんを助けますよ」

 「その前に殺されるぞ!?」

 「いいえ、栗たちの前では絶対に殺しません」


 栗は喋りながら距離を詰める。

 その間、ナイフが喉を切り裂くことはなかった。


 「何だ!?何なんだお前は!?」


 男は栗へ向けて滅茶苦茶にナイフを振り回す。

 花芽は男から解放されて屋上の床に崩れ落ちた。


 「花芽!!」


 僕は花芽の元へ駆けた。花芽は無気力にじっとしたままだ。

 花芽の目隠しを外す。


 「大丈夫か?」


 花芽は顔を逸らし、生気のない声でぼそりと言葉を漏らした。


 「……やめて」


 あまりに弱弱しい姿だった。

 僕の知ってる花芽とはまるで別人で、手足の拘束を外してもだらんと気の抜けたままだ。


 栗と男の方から鈍い音がした。

 男の持っていたナイフが落ちたのだ。

 互いに素手での戦闘となる。

 男はまだパニックを引きずっているようで、半ばやけくそのような大振りの動きをしている。


 「栗が抑えているうちに早く逃げてください!!」


 冷静に対処する栗の方が優勢に見えるが、様子がおかしい。

 だんだんと左脚を中心に動きが鈍くなっていってる。


 男も気づき、攻撃をやめて二歩下がった。

 栗は踏み込んで間合いを詰めようとする。

 だが、左脚があがらずバランスが崩れた。

 その隙を突き、男は栗の鳩尾に拳を叩きこむ。


 「くっ!―――早く…行って!」


 栗はその場で膝をつき、男の注目が僕らの方を向いた。

 僕は花芽の手を引っ張り上げようとした。


 「逃げよう」


 だが、花芽は脱力したまま立ち上がらない。


 「あなたはここに来ちゃいけなかった。去りなさい。まだ間に合うかもしれない」

 「そんな場合じゃないだろ!?このままだと君の命が危ないんだぞ!!」


 花芽は僕の手を振り払う。

 そして、顔を背けたまま半ば独り言のように呟いた。


 「あたしにはもう資格がないのよ。きっとここが最期の場所なの」

 「何だよそれ―――」


 花芽の顔を手で挟んで引き寄せる。

 虚ろな花芽の瞳に向けて叫んだ。


 「ふざけるな!!君に散々振り回されたのに、最後はほっとけなんてできるわけないだろ!」


 花芽の表情に色は戻らず、僕の言葉を聴いているか定かではなかった。

 だけど、そんなこと関係ない。僕は言葉を続けた。


 「運命とか資格とか使命とか、どうでもいいんだ。僕は君と話がしたかった。だから、来た。それで、君はどうなんだ?今僕の目の前にいる天華院花芽はどうしたいんだ!?」

 「………あたし、は―――」


 不意に頬に触れる手の感触がぼやけた。


 「えっ?……何?これ?」


 僕の目には、花芽の姿が靄がかかっているように映っていた。

 少しずつ靄は濃くなっており、そのうち景色に吸い込まれてしまう。

 あの人が消えた一年前の光景と全く同じだ。


 「体がおかしいの。周りが全部ぼやけて―――」


 花芽が消えつつある。

 自身でも実感したようで、得体の知れない恐怖に震えが止まらなくなっている。


 「どういうことだ?」


 誘拐犯がすぐ近くまで迫って来ていた。

 だが、今はそれより花芽のことだ。


 「気をしっかりもて!僕の目をしっかり見るんだ!」


 対処法なんてわからない。もう手遅れなのかもしれない。

 だけど、このまま何もしないわけにはいかない。


 「邪魔だ!!」


 男に顔を蹴りつけられた。

 硬いフロアに上半身をぶつけ、衝撃が骨を伝って鈍い痛みとなる。

 体が動かない。誘拐犯は花芽に迫ろうとしていた。

 その眼は血走っており、顔は引きつっていた。男には花芽しか見えていない。


 「やめろ!花芽から離れろ!!」


 栗の仄めかしていたことがようやく繋がった。

 仲間はいない。そして、逃走経路もない。

 つまりこの男は、端から逃げることなんて考えていなかったのだ。目的を達成するためなら、他のことはどうだっていい。自らのことでさえ些事だ。


 「父親の前で無惨に死ぬところを見せつけるつもりだったが、消えちまうなら計画変更だ。俺の手で殺さねえと、何の意味もねえからなあ!!」


 男は花芽の腕を掴むとずるずると引っ張っていく。

 向かう先はビルの端だ。防護柵はない。突き落とすつもりなのは明らかだった。


 「花芽!!」


 僕は立ち上がるので精一杯で、とても間に合わなかった。

 だから、花芽が抵抗するしかない。


 しかし、花芽はぐったりとうな垂れ、抵抗していない。

 何でもいい。何でもいいから、言葉を届かせないと。


 「僕を幸せにしたいんだろ?このままだと君を目の前で失う。それで僕は幸せか?」


 一歩、また一歩と端に近づいていく。

 死が、消滅が、少しずつ迫る。


 「いいや、全然幸せじゃない。君にかき回されるだけかき回されて、ほんと後味悪いよ」


 男がビルの端までたどり着いた。

 でも、諦めない。僕は花芽を助けたい。ただ、それだけだ。


 「だから、ちゃんと責任取ってくれよ。花芽、僕と結婚しよう!!」


 花芽がぴくりと反応した。

 まるで止まっていた生命が脈動を再開するように、それが皮切りとなり、花芽の全身に力が入っていく。


 「最悪の告白よ」


 花芽は片方の手で地面を抑え、身をよじって男から逃れようとする。

 男は何度か花芽を引っ張るが、動きそうにないことがわかると、腕を離し、今度は両手で首を掴んだ。


 「ううっ……」


 花芽はもがくが次第に力が入らなくなり、そのまま持ち上げられた。


 「後で友だちも同じ場所へ送ってやるよ」


 男は花芽の体をビルの外へと―――

 背後からナイフが飛び、男を刺す。

 男はふらりと傾き、首を離して倒れた。

 花芽は真っすぐ落ちる。


 「後は頼みました、先輩!!」


 栗がナイフを投げたのだ。僕は瞬時に悟り、走り出した。

 花芽が落ちる。体は既にビルからはみ出していた。

 間に合え!間に合ってくれ!


 「花芽!!」


 頭から滑り込み、手を伸ばした。その先の花芽の腕を―――掴んだ。

 花芽の体重に引っ張られる。

 細い腕を砕くくらいの力で握った。数秒と持ちそうにない。

 だが、少しでも力を抜いてしまえば、花芽は真っ逆さまだ。


 「優?………っ!―――」


 花芽に意識が戻った。

 花芽はすぐに状況を把握し、空いている方の手でビルのへりを掴む。


 しかし、それでぎりぎり平衡が取れるバランスだ。どちらかが離せば、均衡は崩れる。


 「優、離しなさい。体の感覚がだいぶ薄れてきてる。どのみち助からないわ」


 花芽の体が透明になりかかっている。僕が腕を掴めているのが奇跡だった。


 「いや、助ける。だから、君も諦めないでよ」

 「あたしはあなたを殺した。あなたにしたことはただの償いに過ぎないのよ」

 「僕の知ってる君は過去の天華院花芽でも、未来の天華院花芽でもない。傲慢で身勝手で、僕を好き放題振り回して―――だけど、僕のことをいつも一番に考えてくれて、助けてくれる、それが君だ」


 僕一人の力では絶対に花芽は助けられない。それどころか、限界が近い。集中を切らせば、終わりだ。


 「それから僕も未来の唸木優じゃないし、君と出会って過去の唸木優から変わったんだ。僕らの関係は夫婦じゃないし、殺し合ってもない。だけど、全く無関係なんかじゃない」


 今出来ることが言葉を伝えるだけなのは情けないと自分でも感じる。

 でも、それが僕だ。


 「僕らの関係は君といっしょに逃げたあの日からの数日間、それだけだ。その数日間で僕は君を好きになった。君が困ってるなら助けたいと思うようになった。だから、僕は今から君を引っ張り上げる」


 どうすればいいかはわかっていた。花芽を助けられるのは僕じゃない。花芽自身だ。


 「もう一度訊くよ。今僕の目の前にいる天華院花芽は、今ここにいる唸木優とどうなりたい?どうしたいんだ?」


 僕は残った力を全て使って、花芽を引っ張り上げる。

 できることは全てやった。伝えたいことは全て言った。

 僕にはもうこれ以上どうしようもない。

 後は、全て花芽が決めることだ。


 「あたしは―――」


 ぼやけていた手首の温度がはっきりと伝わってきた。


 「優といっしょにいたい。優を幸せにしたい」


 体の靄はすっと消え、輪郭がくっきりとわかるようになった。

 花芽は足を壁のくぼみに引っかける。


 「優と結婚したいわ!!」


 その叫びを掛け声に一気に体を持ち上げ、フロアに片脚を乗せた。

 そして、そのまま全身をフロアに引っ張り上げると、ごろんと寝返りを打って、仰向けに寝そべった。

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