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 花芽が父親に連れ戻された次の朝。僕は一人で登校していた。


 習慣というのは恐ろしいもので、どれだけ心が荒れていたとしても日常生活はつつがなく送れてしまう。

 昨日エレベーターで打ちひしがれていたとき、他の住民がエレベーターに乗り込んだのをきっかけに自室に戻った。

 ほとんど放心状態だったが、このままエレベーターに居続けても邪魔な上に変な目で見られるということをぼんやりと思ったのだ。


 「おはよっ、うなきゅう。背骨曲がっとる。シャキッとせなモテんでー」


 登校の途中、星野さんと遭遇し、背中をバシバシと叩かれた。


 「うん……おはよう」


 少し安心した。栗をずっと警戒していたのだ。

 もちろん人目の多い道を選び、常に誰かの目がある状況を保ち続けてはいたが、それでも

危険はある。

 傍に人がいるのが一番安全だ。栗が襲ってくることは絶対にないだろう。


 「ん?なんやしおしおしとんな。やっぱ愛しの天華院さんに会えんと寂しいん?」

 「………」


 そう、僕がリスクを冒してまで学校に行こうとするのは、花芽に会えるかもしれないからだ。

 花芽の父親は元々花芽の行動範囲を学校と家に限定していた。色々と事件を起こしたが、学校も監視下においているなら登校させる可能性は十分にありえる。


 「おっ、図星?そんなら早よ学校行かなあかんな」

 「……そうだね」

 「よっしゃ、じゃあ走っていこか」

 「えっ、いやわざわざ走らなくても……」


 やっぱり体育会系というのは理解できない。ここで流した汗が青春とでも言いたいのだろうか。


 「うなきゅう今の自分の顔見た?」


 星野さんは僕に手鏡を渡してきた。

 そこに映っていたのは、目の下に大きな隈を作りげっそりとしていた僕の顔だった。

 理由はわかる。ほとんど寝れていないのだから。


 「こんな顔で会ったら天華院さんに幻滅されてまうで。やから、ちょっとでも体あっためて元気なとこ見せなな」

 「余計に疲れるって」

 「よっしゃ競争や。負けたら学食一回おごりな!」

 「えっ……僕は了承してないんだけど!」


 僕の抗議は届かず、星野さんは走り出す。

 慌てて星野さんの後を追った。


 学校に着いたが、結局僕の希望的観測は外れた。花芽が学校に来なかったのだ。

 それから、栗はいた。昨日同様何でもないような素振りで、大人しくしている。


 僕は半ばうわの空で、時間だけがただ過ぎ去っていった。

 星野さんが何度も話しかけてくれたのだが、生返事しか返していない。


 お昼前、スマホへの一通の通知が僕を現実に引き戻した。


 『昼休み、話がしたいです。食堂で待っています。昨日のように襲ったりはしないので安心してください』


 栗からのメッセージだ。

 人の多い食堂をわざわざ選んだということは本当に襲ってくる気はないようだ。

 だけど、狙いがわからない。命を狙っている相手と対話をする意味なんてないと思う。




 昨日の恐怖はまだ抜けきっていない。

 栗と顔を合わせて、平静を保っていられる自信はなかった。

 だけど、僕はすぐに栗と話すと決めた。花芽のことについて何か知っているかもしれない。


            〇


 昼休み、栗は食堂で二人分の席を取って待っていた。

 まるでただの友だちとお昼を食べるかのように、大人しい生徒を装って待っていたのだ。

 僕は、なるべく動揺を態度に出さないように、栗と対面して席に着く。


 「先輩、何をしたんですか?」


 栗はいきなり切り出してきた。


 「まず僕は君の先輩じゃない。君は僕を殺そうとしたんだよ」


 容姿は同じでも、中身は全くの別人だ。僕は目の前にいる相手を危険な敵だと完全に割り切って対話に臨んでいる。


 「今はその話はしていません。花芽ちゃんがどうして学校に来ないかを訊いてるんです」


 栗も花芽のことが気になっているらしい。

 未来を知っているのだから、きっと何か情報を持っているはずだ。どうにかして引き出さないと。


 「自分の命を狙う相手とまともに会話なんてできると思うか?」


 栗は僕の顔をまじまじと見つめる。


 「じゃあどうして先輩こそ栗の呼び出しに応じたんですか?」

 「それは……」

 「花芽ちゃんのことが気になるからですね」


 ピタリと言い当てられてしまった。


 「………」

 「だんまりですか。情けないですね。さっき先輩じゃないと言ってましたが、栗もそう思います。先輩はこんなに情けない人じゃない」


 花芽にも未来の自分と比べられたことを思い出した。まるで失敗作みたいな口ぶりにいら立つ。


 「なんで未来の僕と比べたがるんだよ!極悪人なんだろ!?」

 「そうです。だけど、先輩は本当に凄い人だった。それこそ、世界中に影響を及ぼして滅ぼせるくらいには」


 そのせいで僕は命を狙われるはめになった訳だし、迷惑極まりない。


 「未来の僕の話はどうでもいい。お前は花芽がどうなってるか知ってるんだろ?」

 「その様子だと本当に何も知らないんですね」


 栗はため息をついて、席から立ちあがる。


 「じゃああなたには用はないです。先輩ならもう解決していたのに」


 僕は去ろうとする栗の腕を掴んだ。

 何としてでも今訊いておかないと、手遅れになる。

 未来から来た花芽と栗の中で勝手に物語が進んで、取り残されてしまう。そんな気がしたのだ。


 「待て!解決ってどういうこと?花芽はどうなってる?」


 栗は僕の手を荒々しく振りほどいた。


 「どうして花芽ちゃんにそんなに執着するのかは知りませんけど、今の先輩は縋っているように見えます。本当に落ちるところまで落ちましたね」

 「花芽は僕のことを何でも知ってて、何でもやってのける。その花芽が何もせず頼れば極悪人にならずに済むって言うんだ。言うことを聞くしかないでしょ」

 「あの人、そうやって未来を変えるつもりだったんですね。まったく…愚かな手段です。腹立たしいですが、上手くいってるみたいですね。今の腑抜けた先輩は無害そのものですから」

 「なら、もう僕を殺す必要はないね」


 栗は再び座り直すと、わざとらしくにっこり笑いかけてきた。


 「そうですね。栗はもはやあなたに興味はありません」

 「じゃあ、とっとと未来に返ってこの時代の栗を返してよ」


 僕の要求に栗は顔をしかめる。


 「聞いてないんですか?栗たちは過去の自分を上書きした。その時点でこの時代の栗たちは消滅するし、元の体に戻ることもできないんです」

 「そんな……」


 栗は消えてしまったのだ。未来から来た冷酷な暗殺者によって、体を奪われたのだ。


 「人が消えていいわけがないだろ!栗を返せ!!」


 僕はかっとなり気づけば栗の胸倉を掴んでいた。栗は僕を睨み返すと、


 「栗は全てを捨ててここに来たんですよ!こっちこそ先輩が腑抜けてはい終わり、なんてふざけんなです!!」

 「君の事情なんて知るか!僕はここしばらく訳の分からないことに振り回されっぱなしなんだ!栗との元の平和な毎日を望むのは当たり前だ!!」

 「なんですかそれ。じゃあ、先輩には花芽ちゃんだっていりませんね。本当は言うつもりありませんでしたが、教えてあげます。知りたいんでしょう?」


 花芽という言葉で僕の頭はすっと冷めた。


 「勿体ぶらずに教えろ」


 栗は僕を睨み続けたまま、落ち着いた声で答えた。


 「未来の唸木優を殺害したのは、天華院花芽です」

 「噓だ………」


 口ではそう反応しつつも、納得のいったことがいくつもあった。

 花芽は未来でのことをすごく後悔しているようだったし、未来の話を必要以上に避けていた。

だけど、いくら辻褄があったからって、はいそうですか、とは信じたくない。あの花芽が未来の僕を殺すなんて、到底信じられない。


 「全て真実です。天華院花芽は未来の唸木優を殺した。しかし、彼の計画は止まらず、世界は滅ぼされようとしていた。だからあの女は後悔して、自分が先輩を手にかけない未来にしようとしてるんです。本当に下らない」

 「花芽が……いや、そんなわけない!!」

 「別に信じようと信じまいと事実は事実です。花芽ちゃんは今もずっと未来の優先輩のことを思い続けてる。腑抜けのあなたのことなんてどうでもいいんです」

 「僕は絶対に信じない!だいたい、お前みたいな奴の言うこと信じるほうがおかしい」


 目の前のこの敵が嘘を付いてるに違いない。

 腹いせに僕と花芽を引き裂くために言っているだけの戯言だ。


 「そうですか……」


 栗は俯いた。

 僅かに見える彼女の表情は酷く悲し気で、僕のよく知る栗の面影を感じた。


 「未来では何もかも狂ってんです。栗だってあなたの知る栗からは随分変わってしまったんですから」


 僕は言葉を返せなかった。実感してしまったのだ。

 この目の前の栗が、現在の栗の地続きの先にある未来の栗なんだと。

 だったら花芽だって狂った未来では―――


 その先は考えたくなかった。


 「もう行きますね。さようなら先輩」


 栗は僕を残し、席を発った。僕は追わなかった。

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