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「ほら、大丈夫だったでしょ」
「一瞬死を覚悟したよ」
結果として、僕も花芽も無事だった。
心臓が鳴りやまない。恐怖体験を何度も味わったからだ。
吊り橋効果とかいうのだろう。僕を上からのぞき込む花芽の顔がいつもより美しく見える。
上から覗き込む?
「えっ……」
着地数秒後に、自分の状態をきちんと認識した。
僕は横になった体勢で、花芽の両腕に抱きかかえられていた。
つまりは、お姫様抱っこをされていたのだ。
「ちょっと!突然暴れ出さないでよ。危ないじゃない!」
「普通は逆なんだよ!」
花芽に放してもらい、僕は自分の脚で立つと、飛び出してきた窓の方を確認した。
「豪快に割ったわね」
「それより、栗は!?」
旧校舎に人影はなかった。
もしかしたらすぐ近くにいるかもしれない。
「あたしたちの勝ちよ。あの子は追いかけて来ないわ」
花芽はいつも通り自信たっぷりに答える。
「栗のことは想定外なんだろ。君が言うなら正しいんだろうけど………」
「確証ならあるわ。見なさい」
花芽に促され初めて周囲の様子を確認した。
向かいの新校舎の窓にはかなりの生徒が張り付いており、僕らに好奇の視線を向けていた。
「わかったでしょ。これだけ人の目があれば、何もできないわ。栗は目立ちたくないの」
「そうか……助かったんだよな…」
張りつめていた緊張から解放され、力が抜けた。
自然と地面に座り込みそうになるのを手をついて防ぐと不恰好な姿勢になった。
「なあ……ギャラリー増えてないか?まあたしかにこんなヤバい場面見ちゃったら、気になるんだろうけどさ」
栗はいないし、今僕らは落ち着いている、だというのに何が気になるのか。
まだ興奮気味だった僕の頭ではわからなかった。
「当然ね。天華院花芽は校内で知らぬ者はいない程の有名人よ。そのあたしと噂の転校生が旧校舎の窓をぶち破って飛び出してきたのだから」
「あっ………」
自分で盛大な勘違いをしていたことにようやく気付いた。傍観者にとって、ヤバいのは栗ではなく僕らなのだ。
「今の状況マズいよな」
「現在平凡な高校生な唸木優と天華院花芽にとっては、マズいわね」
「うん、そう…だよね…」
自分たちの会話の可笑しさに気づき、自然と笑みが漏れてしまう。
「どうして笑っているのかしら?」
「だって、さっき生死の駆け引きをした僕らが悪目立ちしてることなんて気にしてるんだよ。なんか現実に戻ってきた気がして」
未来から来たとか、後輩に殺されるとか、世界を滅ぼすだとか、あまりにも突拍子もないことばかりが起こりすぎて僕の頭は混乱していた。それであって、いかにも転校したての多感な学生らしい反応ができたことにほっとしたのだ。
「そう。普通でいいのよ。あなたの学生生活は普通であるべきだわ」
「どっちみちこの状況は普通じゃないけどね。それで、これからどうする?」
間違いなく、窓を割って飛び出したことは咎められる。
まさか命からがら逃げ出してきた、なんて弁明がまかり通る訳もない。
「そうねえ………お弁当残ってたわね。早く食べないと昼休みが終わってしまうわ」
「いや、僕はまだ色々と受け止めきれてないよ。僕のことと、栗のこともだし、窓を割ったこともだよ。このまま教室に戻っても、どうにもならないよね?」
「そうだ、あなたの手当もしないとね。血は止まっているようだけど、保健室に行きましょうか。割れたガラスで切ったということにしておけば、変に思われないはずよ」
「だから!もっと根本的に考えることが色々とさ―――」
「じゃあ、授業は受けないのかしら?」
「たしかに……普通に受けたいけど……」
僕はこの先のこと色々想像して、不安で溜まらないのだけれど、花芽は一切不安げな表情を浮かべていなかった。
「堂々としていればいいのよ。だってあたしたちは何も悪いことをしていないのだから」
「たしかにそうだけどさ……僕は花芽みたいに割り切れないよ」
「大丈夫よ。この天華院花芽がついてるのだから」
花芽は僕の手を握る。
「優は何も心配しなくていいわ」
手から体温が伝わって、頭に渦巻いていた悪い不安をじんわりと溶かしていった。
「不思議だ。状況は最悪なのに、君が言ったことは全部本当になる気がしてくる」
「当たり前よ。なんていったってあなたの妻なのだから!」
そう宣言する彼女の姿は輝いて見えた。いっしょにいると無敵のような気分になってくる。
「それじゃ、戻るわよ」
「うん、戻ろう」
僕と花芽は好奇の視線を気にも留めず堂々と保健室へ向かって、教室へ戻った。