カミキと侠花
夜。
歌舞伎町のネオンから少し外れたさびれたビルの屋上は、町を一望できる隠れた名スポットである。
そのビルに負けず劣らずのさびれた男が一人。
薄汚れた麻の和服を身にまとい、足に履いた草履を擦りながらビルのフェンスも何も無いビルの端へ向かった。
その男は15階はあるそのビルから落ちるか落ちないかといったスレスレのところで立ち止まりゆっくりと12月の歌舞伎町を見渡すと満足気な表情を浮かべた。
それは長年生きてきた老人のような落ち着いた笑顔にも、おもちゃを手に入れた子どもの無邪気な笑顔にも見えた。
そのまま彼は穏やかに大きく飛び上がり、空にあぐらをかくようにビルから落ちていった。
――――――――――――――――――――
それから少し時は過ぎ、ある日の午後3時。
大きな交差点にまたがる歩道橋の下に制服を着た2人の女子高校生がいた。
どちらも髪は長いのだが、受ける印象は大きく違う。
片や黒く綺麗な髪を無造作にまとめた眼鏡の大人しい女子、片や少しパーマがかかって茶色に染まった髪をなびかせるギャル――いや、不良と言ったところだ。
「――じゃあね、侠花ちゃん。また明日」
眼鏡の方の女子がそう言って不良に手を振る。
「おう。栞」
侠花と呼ばれたその不良も手を振りながらニカっと豪快に笑う。
彼女の名は一之瀬 侠花。
先程から不良不良と言っているが、やはり不良であり、そしてただの不良ではない。
東京一の地位を誇るレディース (女性のみで構成される暴走族)のリーダーであり、毎夜街を走り回っているかなり突き抜けている不良だ。
しかし、彼女の内面は決して悪くは無い。
多少荒々しいところはあるが人情家で、人に寄り添って辛いことを豪快に吹っ飛ばすような気持ちの良い性格なので友だちも多い。
その証拠が先ほどの眼鏡の女子、早良 栞である。
品行方正な栞と不良の侠花。
真反対の2人だが、高校のクラスで隣の席になったことで仲良くなり、今や学校で一番の親友である。
栞は侠花の暴走族のことを知っていて、だ。
これは侠花の性格が惹きよせた友だち、と言えるだろう。
しかし、そんな侠花も栞に隠していることがある。
それが――
「――お疲れ様です、お嬢!」
栞と別れて歩道橋を渡り終えた侠花に、大柄の黒スーツの男が2人、頭を下げた。
侠花はそれを見てあからさまに顔を曇らせ、冷たく言った。
「…外では話しかけないでって言ってるよね」
「ですが、今日は近いうちに雨が降りますので、傘を持っていけと組長が…」
侠花がいくら不機嫌な態度をとっても彼らの口調は変わらない。
侠花に話した方とは別の男が侠花の傘を丁寧に差し出す。
侠花が愛用している落ち着いた赤色の傘だ。
それを見て侠花の顔はさらに曇った。
「――じゃあ、アイツが直接来いよ…!」
侠花はスーツの男から傘を取り上げるようにして受け取ると差さずに歩きだした。
侠花は極道の娘なのだ。
彼女の父親は東京の小さな組、「一ノ瀬組」の組長「一ノ瀬 蓮」。
侠花が生まれたときまだ下っ端だった彼は、父親としてあまり侠花の傍にいてやれなかった。
組の中での地位が上がり、彼が真剣に侠花と向き合えるようになった、向き合おうとしたのは侠花の面倒をずっと見てきた侠花の母親が病に倒れた後だった。
しかしそのときの侠花は既に12歳。
今まで12年間もろくに会話もしたことのない男が急に父親として現れても母親の代わりになどなるはずもなかった。
それからの父親としての歩み寄りも先ほどの傘の様に拒絶し続け早5年。
侠花は未だ極道としての蓮しか知らない。
侠花の自宅までは歩いて15分程度だ。
雨が降り出したが、侠花は傘を差さなかった。