5月18日(土)⑦ 植物人間と天才少年
千柳の驚愕した態度に呼応して、僕らの周りを取り囲んでいた怪物たちが動きを止めた。
「何故、あなた方も真玖目を追っているのですか?」
僕は、真玖目との接触や、彼の所属する時雨組との関わり、そして、何故この製薬工場にやって来るまでに至ったのか、その経緯を千柳に伝えた。手短ではあったが、千柳にはしっかりと伝わったようだ。
「……亀蛇透哉とも会われたのですか」
「そうだ。僕たちは二度も亀蛇と戦い、最終的に彼から薬を奪うことに成功した。それで奪った薬の分析をある仲間に依頼して、この場所を突き止めたんだ」
僕の話を聞いて、千柳は嘆息を漏らす。
「確かに、あの人は元からあの薬の常用者でした。その溢れる力を求めるあまり、自らの体を蝕んでしまう副作用があることも顧みず、薬に溺れていってしまった。彼もまた私たちと同様、あの男によって生み出された被害者の一人なのです。……ですが、被害者は私や彼だけではありません。――おそらく、今回の一番の被害者は、きっとあの子……」
「あの子?」
その時、捕らわれた僕たちの前に群がる怪物の間から、ツタに侵食されていない人間の子ども――一人の小さな少年が、ひょこりと顔を出した。
「――ねぇ叔母さん、製造機の不具合直ったよ。……この人たち、だぁれ?」
それは小学校低学年くらいの男の子で、学校の制服らしき半ズボンに半袖シャツ、その上からクリーム色のニットベストを着ていた。栗色の跳ねた髪の下で、あどけない無垢な瞳が、黒縁メガネを通して僕らを見つめている。
彼の姿を見た千柳は慌てて歩廊を降り、少年に駆け寄った。
「駄目よコウちゃん、ちゃんと静かに隠れてなきゃ」
「……だって、機械の修理をしたら褒めてくれるって、叔母さんが言ったんだもん」
少年は、物欲しそうな目付きで千柳を見上げていた。千柳はそんな彼をそっと抱き寄せ、緑色の手を彼の栗色の髪の上に乗せて「困った子ね」と優しく撫でてやる。その様子は、まさに我が子を慰める優しい母親そのもので、先程までの冷酷無慈悲な態度がまるで嘘のように思えた。
「……この子は、凡人ではあり得ないような天才的頭脳を持って生まれてきた子なんです。ロボットのような機械が大好きで、それ故に僅か五歳で最新の機械工学知識を身に付け、七歳の時には、自律型のおもちゃロボットをたった一人で作り上げました」
「……そんな」
僕は思わず声を漏らした。少年は僕らの方に向き直り、ぺこりと頭を下げてお辞儀する。
「初めまして。空越鋼太郎です。よろしくお願いします」
そう律儀に自己紹介する少年。彼の下げたその頭から伸びた栗色の髪や、彼の着るニットベストには、何やら機械油らしき黒い液体がこびり付いていた。それに、彼の小さな両手にはドライバーとスパナが握られている。どうやらついさっきまで、この施設の界隈で装置の不具合を直していたらしい。そんな少年に対して深い母性愛を見せている千柳。しかし、苗字が彼女と同じではないところからみて、千柳はあの少年の母親というわけではなさそうだ。
「ぼ、僕は凪咲尋斗……」
「長雨纏だ。――んで、すぐそこに転がってる銃は俺の所持品のウニカ」
「私は紬希恋白。よろしく、空越君」
「……お姉ちゃん、なんか顔が怖いよ」
空越は紬希を見ると、怖がって千柳の背後に隠れてしまった。紬希の顔は、ついさっき種爆弾を正面から浴びたせいで、顔中傷だらけになってしまっていた。いくら傷が縫合されているからとはいえ、継ぎ接ぎだらけのその顔は、僕でもかなり恐怖を覚える。おまけに、着ている服もボロボロで血まみれ。こんな格好、明らかに子どもに見せられるものではない。
そんなボロボロな紬希の姿を見て、千柳も胸を痛めたのだろうか? 彼女の潤んだ目に、弱々しい悲しみの光が浮かんだ。
「……どうやら、私はあなた方のことを誤解してしまっていたようですね」
千柳が放ったその言葉を合図とするかのように、それまで体を押さえ付けていた太いツタがするすると解けていき、僕たちは解放された。
「敵ではないとも知らずに、酷い目に遭わせてしまい申し訳ありません。どうか御無礼をお許しください」
千柳は赤い花の咲き乱れたその頭を下げ、僕らに謝罪した。
「僕たちを、信じてくれるのか?」
「あなた方は、この施設の冷淡な人たちとは違い、かなり人情味があるように思えました。……それに、この子の前で人を痛め付ける行為などしたくはありませんから」
そう言って、彼女は施設の更に奥を指差す。
「どうぞ、こちらにおいで下さい。私たちがこの施設で何をしていたのか、そして何をされたのか、その全てをお話ししますわ」




