5月13日(月)③ 初対面ヒステリー
<TMO-1081>
「あ、あの、無理をして話さなくても大丈夫です。僕らはもうお暇します。先程は失礼なことを訊ねてしまい申し訳ありませんでした」
僕はそう謝罪して椅子から立ち上がった。由菜子さんに思い出したくもない過去を蘇らせてしまったのは僕らの責任だ。今は一刻も早くここから立ち退いた方が良い。
けれども由奈子さんは首を横に振り、「待ってください」と僕らを引き止めた。
「いいえ、逆に聞いて欲しいんです……今までずっとこのことを誰にも話せずにいて、ずっと私一人で重荷を抱えてきました。……でも、あなた方なら分かってくれるような気がするの」
そう言われて逃げようにも逃げられなくなり、どうしようと困ってしまっていた、その時だった。
「……ねぇママ、あいつらもう出て行った――」
リビングに通じる扉の磨りガラスにぼんやりと人影が映り、扉が開いて、細々とした声と共に一人の青年が姿を見せた。
――そして僕らと目が合った途端、彼の声は最後の疑問符を付けることなく途切れる。
見開かれた青年の目には、僕らと同じ茶色の瞳が宿っていた。――けれど、本来ならその目の周りに生えているはずの睫毛が無く、その上にあるはずの眉毛も欠いており、さらにその上にあるはずの頭髪さえも無く、奇麗なスキンヘッド……
今回依頼を受けた際、新島先生から忠告を受けていた通り、僕らの前に姿を見せた彼――天登の顔には、本当に一本の毛も生えていなかった。
対面した天登と僕らとの間に一瞬、冷たい沈黙が流れた。
その間、僕は天登の手元に青いノートが抱えられているのを見た。彼は僕らと目を合わせた途端、ヒュウと喉を鳴らせて呼吸を止め、顔を真っ赤に紅潮させて持っていたノートを床に投げ出し、バタン! と乱暴に扉を閉めた。バタバタと荒々しい足音が廊下の奥に遠退いてゆく。
「蒼太! 待ちなさい!」
由菜子さんが慌てて立ち上がり、彼の後を追ってリビングを後にする。すると、リビングを出て行った由菜子さんを追いかけようと紬希が立ち上がったので、それを見た僕は慌てて彼女の手を掴んで引き止めた。
「おい止めとけよ。僕らが行っても無駄に変な刺激を与えるだけだ」
「駄目、あの子に一度会ってみたいの。離して」
紬希は僕の話に耳も貸さず、掴まれた手を振り払って廊下を駆けてゆく。
「おい待てよ! ……ったく」
僕は思い通りに動いてくれない彼女に舌打ちし、必死に後を追いかけた。
階段を上り二階へ行くと、廊下の突き当たりにある扉の前に由菜子さんが立っていた。どうやら天登はあの部屋に逃げ込んだようだ。
「蒼太、この子たちは先生の代わりにプリントを届けにきただけなの。落ち着いて、大丈夫よ」
由菜子さんが必死にそう言い聞かせているが、扉の向こうからは錯乱した天登の叫び声が跳ね返ってくる。
「大丈夫なわけないよっ! どどっ、どうしてあいつらを家の中に入れたんだよ! どうして追い返さなかったんだよ! ママのバカぁ!」
僕らが部屋の前までやって来ると、由菜子さんは溜め息を吐いて僕らの方を振り返る。
「見苦しくてごめんなさいね。知らない人に顔を見られるといつもああなるの。気にしなくていいわ」
そう言って苦し紛れに微笑む由菜子さん。しかし、そこへ紬希が部屋の扉前に歩み寄り、扉の奥に居る天登へ向かって声を投げた。
「天登君、突然お邪魔してしまってごめんなさい。私たちはあなたとお話がしたいの。だから、部屋から出てきてくれないかしら?」
「だだ、誰だよお前っ! 二度と合わない奴の名前なんか聞きたくないよっ‼︎」
紬希は天登と会話を試みようとするも、僕の予想通り、ますますヒステリックになった叫び声が扉の向こうから跳ね返ってくるだけだった。
「あなたが取り乱している理由は分かっているわ。でも、私たちは別にあなたの見た目なんか全然気にしてない。だから会って話を――」
「うっ、うるさいうるさいうるさいっ! とと、とっとと出てけよおぉぉっ‼︎」
「おい、いい加減にしろ紬希。余計に怖がってるじゃないか」
僕がそう止めに入ると、粘っていた紬希もようやく折れて説得を諦めたようだった。
「……すみません、やっぱり僕らはもう帰ります。色々とご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
僕は由菜子さんにそう謝罪して、天登の部屋を離れた。由菜子さんは落胆するように肩を落として、「……分かりました。またいつでもいらしてください」と弱々しい声で答えた。




