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パッチング・レコーズ  作者: トモクマ
第6章 熱き血潮に賭けてみよ!
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5月10日(金)⑧ 化けの皮、剥がれる

 吐瀉物の中から転がり出てきたのは、一本の小さな医療用注射器だった。注射針が亀蛇の腹の中で刺さらないよう、針先にはカバーが付けられ、管の中は薬品らしき液体で満たされている。


 その飴色に光る薬品を、僕は以前にも一度見たことがあった。初めて亀蛇と対峙した時、彼が口の中から取り出して見せ付けてきた、あの麻薬まがいの危険薬物だった。


 亀蛇は全身を透過させ身を隠す力を持つが、彼の身に付けた物まで全て透明になるわけではない。相手に自分の存在を気付かせないためにも、衣服を含め何一つ持ち物を身に付けることができなかった彼は、口の中に入れ自分の腹の中に収めることで、必要最低限の携帯を可能にしていたのだろう。


「そ、そのヤクは俺のだっ! よこせっ!」


 亀蛇は咄嗟に転がった注射器へ手を伸ばそうとした。が、その前に長雨が足で蹴って注射器をさらに手の届かない遠くへ転がしていた。


「お前がウニカと張り合える程の力を持っていること自体が妙に釈然としなかったんだ。普通のお前なら、あいつを吹っ飛ばせるほどの馬鹿力を発揮できるはずがない。……だが、薬物を使って能力のリミッターを外し、力を暴走させていたというのなら、話は別だ。所詮お前は、薬によって得た偽りの力で相手をねじ伏せ、勝利に酔いしれて高笑いをしているだけに過ぎなかったのさ」


 長雨は魔法弾の装填された黄金銃ウニカをゆっくりと持ち上げ、その銃口を咳き込んでいる亀蛇の眉間に合わせた。彼の口からだらりと力無く垂れ下がった長い舌の表面にはどす黒い血管が走り、表面には幾つもの赤い斑点が浮き出ていた。それは紛れもなく薬物注射の痕で、全身を覆う硬い鱗は注射針を通さないから、唯一針の通る舌に繰り返し打つしか方法が無かったのだろう。


「……ちっ、何とでも言いやがれ。……偽りの力だから何だってんだ? 好き勝手やることの何が悪いってんだ⁉︎ ……これまでずっと、他人の目を気にしてこそこそ隠れて生き続けていた俺にだって、少しはハメを外す権利くらいあるはずだろうがよ」


 そこまで言ったところで、亀蛇は再び激しく嘔吐した。……と言っても、もう腹の中から出すものなど何も残っておらず、ただ粘付いた胃液だけをよだれのように垂らすだけだったのだが。


「げほっ、げえっ……畜生……テメェらもよぉ、考えてもみろよ。こんな全身鱗だらけの奴が普通に街を出歩けると思うか? 周りから化け物呼ばわりされて、石を投げ付けられるのがオチさ。小さな子どもなんかが見りゃ、一生モノのトラウマを植え付けちまうだろ。俺だってそんなことはさせたくねぇ。……だから、姿を消すこの力を使って『化け物』の俺自身を、世間の目から隠し続けていたんだ。誰にもこの姿を見せないように、存在しない幽霊をずっと演じ続けていたって訳さ。ちっ……まったく、今考えてみりゃ、お人好しにも程があるぜ」


 掠れた声を絞り出し、苦しみながらも言葉を紡いでゆく亀蛇。


 彼の訴える言葉を聞いて、僕は呆然とした。ついさっきまで散々他人のことを小馬鹿にし、己の持つ力を誇示して高笑いしていた下劣な男の吐く言葉とはとても思えないような台詞だった。まるで人が変わってしまったかのようだ。


「……まったく地獄みたいな毎日だったぜ。俺以外の奴らはみんな自分の見た目なんか気にせずのうのうと姿をさらして街を歩いていやがるのに、俺はそれができねぇんだ。俺だって普通に街を歩きたいし、周りの仲間と楽しくお喋りできたらって何度願ったことか分からねぇさ。

 ……だけど、外っ面にこの硬い鱗があるってだけで、その願いは永遠に叶わねぇんだ。俺は一生誰とも触れ合えずに孤独なまま。………おかしいだろ? あんな呑気に笑っている奴らのために、俺はずっと幽霊のままで生きていかなきゃならねぇのか? テメェらが今の俺の醜い姿を受け入れてくれさえすりゃ、俺だって喜んで輪に入ることができたってのによぉ……」


 亀蛇の声は、いつの間にか涙声に変わっていた。ついさっきまで激戦を繰り広げていた相手が、今ではまるで泣き上戸のように感情を吐露し、肩を震わせて泣いている。


「だから……だから、悪いのはテメェらの方なんだ! 俺の中身を見ずに外見だけで『化け物』呼ばわりしやがって! 俺だって……俺だってこんな格好してても中身はフツーの人間だってのによ! 何でみんな分かってくれねぇんだよ⁉︎ 何でだよ⁉︎ 答えてみろよっ‼︎」


 亀蛇の悲痛な叫び声が倉庫内に響く。


 ここで僕は、ふと気付いた。


 ――今、僕らの目の前に居るのは、人間を捨てた情の無い無慈悲な怪物でもなければ、凶悪な殺人鬼でもない。本当の彼は、僕らと同じく、至って普通の気弱で他人想いな男だったのだ。


 目玉までもが鱗で覆われ、人間の面影一つ残すことすら許されなかった彼は、本来の彼が持つ優しい性格ゆえに、常に周囲の目を気遣って、自らの姿を隠し続けてきたのだろう。ずっと一人で生きてきて、日々襲い来る孤独にどれほどさいなまれたことか、僕には想像もできない。


 そんな日々に耐えられなくなった彼はある時、ほんの些細な出来心から、()()()に手を出してしまった。偽りの強さでもいい。僅かな間だけでもいいから、弱い自分を捨てて、周囲の束縛から解放されたい。他人の目を気にせず、自分の思うように生きてみたい。そんな一縷いちるの望みを胸に抱いて――


 しかし、たった一本の注射によって、彼の純粋な望みは、無慈悲に、そして惨たらしく捻じ曲げられてしまった。覚醒した力を前に、それまであった彼の人格は崩壊し、人間への恨み、怒り、そして狂気と暴力だけを残した本物の「化け物」へと彼を変貌させてしまったのだ。


「あぁ……もう戻りたくねぇよ。あんな何の不便も無く生きてる奴らの為に身を縮めて震えてた頃の俺になんか、戻りたくねぇんだよぉ……」


 薬の効果が切れてしまった今、ようやく彼は、本来の内なる自分の姿を取り戻していた。硬い殻に閉じ込められ、その内側にずっと封印され続けていた彼の優しい人間としての感情が、点ほどしかない小さな瞳から、一筋の涙となって流れ落ちていく。


 ……本来持っていた優しさを、意図せず醜い暴力へと変えてしまった悲しき化け物――


 きっと彼は、今の時代に誕生してしまった哀れな「フランケンシュタインの怪物」なのかもしれないと、ふと僕はそう思った。


 ――すると、亀蛇に銃を向けていた長雨が、涙を流す彼に向かって、静かに口を開いた。


「……言い残したい言葉は、それだけか?」


(――えっ?)


 カチリと音がして、長雨が亀蛇に突き付けた拳銃ウニカの撃鉄を起こしていた。その様子を見て、僕は思わず声を上げる。


「ま、待ってくれ! 長雨だって今聞いただろう? 彼は悪くなんてなかった。ただあの薬で惑わされていただけだったんだ。そんな奴を殺しまでしなくても――」


「甘いよ、凪咲君」


 長雨は僕の言葉を切り捨てるように冷たく言い放った。


「こいつは薬という首輪を付けられた組織の番犬に成り果てた。ここでこいつを逃しても、主人が手綱を握る限り、番犬は何度でも俺たちに襲いかかってくる。おまけに、奴らはこいつの他にもたくさんの番犬を飼ってる。今のうちに一匹でも減らしておかないと、後々後悔するのは俺たちの方だ」


「でも本当の彼は、自分の姿を周りに晒すまいとこれまでずっと必死に――」


「凪咲君、君は人間だからそう思うのかも知れないけれど、これまで幾度と戦ってきた能力者のことは俺たちが一番よく知ってる。いいか、自分の力に酔った能力者は、もう既にそこで人間の心を失ってる。ただ闘争を好み、血に飢える獣と化した人成らざる者に、同情なんて必要無い。手加減せず、徹底的に叩きのめすだけだ。それが能力者(俺たち)の世界の掟なんだ」


 その言葉は、以前月歩さんが稽古の時に紬希に教えていた言葉と寸分も違わなかった。敵対する能力者に対して情けをかけることは許されない――この鉄則は、同じ能力者として幾度も修羅場をくぐり抜けてきた月歩さんと長雨だからこそ持ち得ることのできた、揺るぎない信念なのかもしれない。


 しかしその信念は、突き付けられる僕らにとって、あまりに残酷過ぎる仕打ちのように思えてならなかった。


 ――どうしてそこまでしなければならない? 僕らは殺し屋でもなければ、冷酷な殺人鬼でもない。……そう、僕たちはチームであり、「放課後秘密連合団」の一員だ。このチームの設立者であり、団長である紬希が掲げていたスローガンは、困った人を救うことであって、殺すことじゃない。


 僕はぐっと拳を握り、意を決して長雨の構えていた銃の射線上に飛び込んだ。そして狙いを定める彼の邪魔をするように両腕を広げ、亀蛇の前に立ち塞がる。


「……そこを退くんだ、凪咲君」


「駄目だ! こんなの……こんなの間違ってる。紬希は、こんなことをするために連合団を作ったわけじゃない!」


 紬希に強引に誘われて嫌々連合団のメンバーになった僕が、どうしてこんなことを言うのか、自分でもよく分からなかった。


 ただ、こんな悲劇的な結末を、紬希は絶対に望まない。そんな確固たる確信だけが、僕の体を突き動かしていた。


「連合団の規範を逸脱するような行為は、僕が絶対に許さない!」


「凪咲君! そこを退くんだっ!」


 長雨は強引に僕の肩を掴んで押し退け、ウニカの銃口を亀蛇の口中へ強引にねじ込み、早口で呪文を唱えた。


「『アリアインサート――ザ・デトックス』!」


「やめろっ‼︎」


 長雨は僕の言葉に耳を貸すこともなく、その引き金を引いた。

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