5月10日(金)⑦ 身の程を知れ
爆発する直前、僕は咄嗟にコンテナの影に隠れ、辛うじて爆発をやり過ごしていた。
辺りには爆煙が立ち込め、火薬の臭いが鼻を突く。
どうなったのか様子を伺おうと、僕はコンテナの影から顔を出し、白い靄の掛かった先へと視線を向けた。
靄が晴れると、そこにはうつ伏せに倒れた亀蛇の姿があった。こびり付いた紬希の血と、爆発によって鱗が黒く焦げたことで、亀蛇の透明化能力は、その効力を完全に喪失していた。
彼の倒れている周囲の床には、爆発による焦げ跡が放射状に広がっており、先程の爆発の凄まじさを物語っていた。普通の人間なら、まず間違いなく木っ端微塵になって吹き飛んでいたはずだ。
――しかし、亀蛇の体はまだ四肢共に健在で、しかもまだ微かに指先が動いていたのである。
あの男の全身を覆う鱗は、一体どれ程に強靭なのだろう? 至近距離で手投げ弾が炸裂したというのに、その体は木っ端微塵になるどころか、致命傷を与えることすら叶わず、見事に耐え抜いてしまっていたのだ。
やがて亀蛇は意識を取り戻し、ゆっくりと体を起こし始める。
(あいつ、まだ立てるだけの力が残っているのか……)
もうあの男を倒すのは本当に不可能なのではないか? そんな絶望的な予感が脳裏を過ぎる。それほどに彼はしぶとかった。……よくよく考えてみれば、あの男は悪魔ウニカの渾身の打撃にも耐え抜いていたのである。それ程に強靭な鱗を持つ彼に対し、手投げ弾程度の小規模な爆発で効果を期待してしまった僕らが愚かだったのかもしれない。
(くそ、じゃあどうすれば……)
どんな攻撃も通用しない敵を前に、僕は思わず歯噛みしてしまう。
――だがこの時、もはや完全無欠と思われていた亀蛇に、突如として異変が起こった。
亀蛇はふらつきながらも、まだまだ戦えると意思表示をするように構えを取ったが、突然バランスを崩してその場に膝を突き、両目両耳を押さえ付けて声にならない呻きを上げ始めたのである。
どうやらさっきの爆発で、目と耳をやられてしまったらしい。例え強固な鱗に全身を守られ、ありとあらゆる物理攻撃を防御できたとしても、光と音による攻撃は、彼自慢のスキンでも防ぎきれなかったようだ。
相手が悶絶し動きが鈍ったのを見て、ここぞとばかりに長雨がウニカに向かって声をかける。
「ウニカ、今だ! 悪戯した悪い子には、何をしてやるんだった?」
長雨の問い掛けに対して、体勢を立て直したウニカがすかさず反応する。
「言われなくても分かってるぞマスター! そいつの眉間目掛けて、思いっきり『めっ‼︎』を食らわしてやるのだ!」
そう答えたウニカは、黒い翼を広げて宙高く飛び上がり、そのままハヤブサの如く急降下する。そして勢いを付けたまま右脚をくるりと翻すと、亀蛇の禿頭目掛けて、目一杯の力を込めたつま先を振り落とした。
強烈な衝撃が脳天を打ち抜き、亀蛇は弾丸のように吹き飛んで地面の上を何度もバウンドし、積まれたコンテナの壁に激突した。さらにそれだけでは終わらず、コンテナを貫通して反対側まで突き抜け、奥にあったもう一台のコンテナにぶち当たったところで、ようやく止まった。
「――やっぱり、思った通りだ。俺がお前の舌を撃ち抜いた時もそうだったし、さっきの爆発による目潰しや耳鳴りだって、お前の弱点についての立派な証明になる」
長雨は閃いたようにそう言って立ち上がると、ウニカのもとへ向かって歩んでゆく。
そして、恐ろしい容姿をした悪魔少女の前まで来ると、彼女の前に片方の手を差し出してこう言った。
「……よくやったウニカ。後は俺に任せておけ」
するとウニカは、従順な召使いのようにスッと彼の側へ駆け寄り、まるで「お手」をされた飼い犬のように、自分の手を主人の手の上に重ねた。
途端に、それまでウニカに悪魔たり得る威厳を与えていた翼、尻尾、角、ありとあらゆる部位が黒煙となって溶け出し、渦を巻いて瞬く間に長雨の手の中へと吸い込まれてゆく。
僅か数秒のうちに、ウニカの姿は金色のリヴォルバーへと形を変えて、主人の手の中に収まってしまっていた。
「確かに、お前の皮膚は打撃や銃撃を跳ね返す程に強靭だ。――だが、硬いのは外面だけで、内側はそうじゃない」
長雨はそう言って、銃に変身したウニカのシリンダーを開き、一発の銃弾を込めた。それは、先端の弾丸部分が水晶のように透明になった魔法弾だった。
長雨の歩んでいく先、先程のウニカの蹴りによって大穴の穿たれたコンテナの中から、重い図体を引きずって亀蛇が這い出てくる。その構図は、まさに四足歩行で歩くカメレオンそっくりだった。
「ひひっ……く、クソがっ……肝心なとこで切れやがった……打たねぇと……早くアレを打たねぇと……」
飛び出した巨大な目玉をギョロギョロと忙しなく四方に動かし、四つん這いになったまま、亀蛇は僕らの前まで這い寄ってくる。
――そして次の瞬間、彼は耳元まで裂けた口をぱっくりと開き、その場で激しく嘔吐した。
勢いよく地面にぶちまけられてゆく吐瀉物。その肥溜のような悪臭を放つ汚物を、彼はひたすら両腕を伸ばしてかき集めてゆく。
「……ない、ない! ど、何処行きやがった? 何処行きやがったんだ畜生っ!」
どうやら彼は、自分の戻した吐瀉物の中から何かを必死になって探しているようだった。しかしその両手はガタガタと震えておぼつかなく、側から見ればまるで子どもが泥で遊んでいる様子を彷彿とさせた。
(……あいつ、目が見えてないんだ)
そう気づいた途端、僕はむせ返るような吐き気に襲われ、思わず両手で口を覆った。
必死になって自分の吐瀉物を漁る亀蛇。しかし彼の狂った指先は、中に紛れていたあるものを、更に遠くへ弾き飛ばしてしまった。




