5月10日(金)⑥ リングトリック
小悪魔と透明人間、双方による壮絶な取っ組み合いがすぐ近くで繰り広げられる中、それまで気を失っていた長雨がようやく目を覚ました。僕は目覚めた彼に、ウニカが亀蛇と闘うべく本来の悪魔の姿に戻ってしまったことを話して聞かせる。
「……あぁ、あいつ、また俺を置いて一人でやり合ってんのか。……まぁいいさ、あいつの好きにさせるよ」
けれども彼は、まるで「いつものことだ」とでも言わんばかりに慌てる様子もなくそう答えた。
「前にも言ったと思うが、あいつは自身に掛けられている呪いのせいで、あれでも自分が本来持つ力の半分も出せちゃいない。俺から搾り取った少量の精気を魔力に変えて、一時的に身体強化させているだけに過ぎないのさ。あいつは口癖のようにいつも『本気になった我の力はこんなものではないのだぞ!』って胸張って自慢してたけど、俺はまだあいつが真の力を出したところを見たことがないんだよね」
長雨はそう僕に語って聞かせた。あれだけの力を持ってして、彼女はまだ全力の半分にも満たない力しか出せていないという。もしウニカに掛かった呪いが解けて、全ての力を解放してしまえば、一体彼女はどんな姿になるのか――考えただけでも恐ろしかった。
僕らの前で、二者による戦闘は依然として続いている。闘いは更に激しさを増すばかりで、双方共に目にも止まらぬ速さで動き回り、有効な一撃を喰らわせるべく互いに隙を窺っている。その俊敏な動きは、体力の衰えを全く感じさせない。
やがて、ウニカの細くて長い尻尾が鞭のように飛び、駆け回る亀蛇の片足を捕らえた。彼女は尻尾を大蛇のように動かし、そのまま空中高く持ち上げると、スナップを効かせてハンマーのように思い切り地面に叩き付けた。地面にめり込んだ亀蛇を中心にして、コンクリの床に放射状の亀裂が広がる。
「……けっ、やってくれたな」
しかし、地面にめり込んだ亀蛇はまだ意識を保っていた。あれだけの打撃を受けても、奴はまだ倒れないというのか?
――あり得ないと目を疑ったのも束の間、亀蛇は耳元まで裂けた大きな口を開いて、そこから目にも止まらぬ速さで長い舌を伸ばし、まるで上空を飛ぶ羽虫を捕まえるように、飛んでいたウニカの片足を絡め取った。
「ぐっ! しまっ――」
ウニカは抵抗するも間に合わない。亀蛇は油断した隙を狙い、豪快な舌さばきで彼女を振り回し、まるで打楽器のように積まれたコンテナに何度も何度も小さな体を叩き付けた。
「さっきのお返しだクソ悪魔! 思い知ったか⁉︎ 今の俺は昔の俺とは違うんだよ! ひひひっ、体の奥から底無しの力が際限無く湧き上がってきやがる。たまんねぇ! これで終わりにしてやらぁ!」
亀蛇は興奮するあまり咆哮を上げて、コンテナにめり込んだまま目を回してしまっているウニカに向かって飛び掛かろうとした。
――が、その時、奴の背後から投げ縄の如く飛んできた一本の白い糸が、拳を振り下ろそうとする亀蛇の腕に絡み付いた。
その糸の元を辿ると、ついさっき六発もの銃弾を身に受けたはずの紬希が、血塗れの半身を起こし、手先から伸ばした糸を必死に手繰り寄せて、亀蛇の動きを封じようとその場で踏み止まっていた。
「畜生あの女っ……! ウゼェんだよ! いつもいつも俺にしつこく纏わり付いてくるんじゃねぇっ‼︎」
亀蛇は沸き上がる怒りの感情に任せて、腕に絡んだ糸を掴み、強引に引き寄せようとした。
パキンッ!
刹那、乾いた金属音がして、それまでぴんと張っていた糸は、いとも簡単に緩む。
「いてっ!」
何処からか、小さな丸いボールのようなものが飛んできて亀蛇の頭部にヒットし、ころんと音を立てて足元に転がる。
一体何が頭に当たったのかと、亀蛇は地面に視線を落とす。
「? 何だこりゃ?」
彼の目には一瞬、それが林檎のように映った。
しかし、よく見るとその表面は金属製で、緑色をした丸い球体だった。
――そう、ついさっき器吹がこの商品を紹介する際に売り文句にしていた言葉を借りるなら、決して摘み取ってはならない禁断の果実が、引き寄せた糸の先に括り付けられていたのだ。
「――っ‼︎」
亀蛇はぎょっとして息を呑み、咄嗟に紬希の方へ視線を投げる。
亀蛇が力任せに引っ張ったと同時に、糸から手を離していた紬希。彼女の口元には、器吹から寄贈された品である手投げ弾のピンが咥えられていた。
「……弾けるような水々しさ、あなたも一口どう?」
――刹那、カッと閃光が上がり、耳をつんざく破裂音が倉庫内に轟いた。
 




