5月7日(火) 強制避難
5月7日(火) 天気…雨
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学校が終わってから、僕はいつものように玄関で待ち構えていた紬希に捕まって、裏山にある森の中の古井戸へ半ば強制的に連行させられた。
個人的に、あんな暗くてジメジメした所にそう何度も行きたくなかったので、今日は断ろうかとも思った。けれども僕の意見が紬希に聞き入れてもらえるはずもなく、彼女は有無を言わさず僕を連れて裏山に入った。
それに、付いて行くのは良いものの、いざ井戸の底へ下りるとなると大変で、まず紬希が先に下りて、それから次に僕が紬希の垂らした糸を伝って降りなければならなかった。
昨日長雨が降りる時やっていたように、糸を腰や腕に幾重にも巻き付け、ヘリボーンで降下する兵士のように素早く下まで降りようと考える僕。
しかし、下りる姿を想像するのは簡単でも、実行するとなると話は別。おまけに細過ぎる糸を上手く扱えるはずもなく、四苦八苦した挙句足を滑らせて落下し、気付けば下で待機していた紬希の腕の中にすっぽりと治ってしまっていたのだった。
「……あの……なんか、ごめんなさい」
「凪咲くんは軽いから平気。どうして謝るの?」
そう言って、落ちてきた僕をお姫様抱っこしたまま真顔で首を傾げる紬希。彼女は何も感じていないのだろうけれど、女の子にお姫様抱っこされる男の気持ちにもなってほしい。僕は込み上げる恥ずかしさに耐えられなくなり、「いいから早く降ろしてくれよ!」と両脚をバタつかせて叫んだ。
毎回ここを訪ねる度にこのような降り方をしなければならないのかと思うと気が気でない。今日月歩さんに会ったら、いち早く井戸に縄梯子を降ろしてもらうよう頼み込まなくては……
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井戸の底に広がる洞窟には、長雨・ウニカのコンビと、そしてもう一人の姿があった。
その人物は、数日前に僕らが助け出した長雨の幼馴染み、氷室歌乃だった。
彼女もきっと月歩さんに一瞬のうちに連れて来られたのだろう。超高速世界を体感した彼女は酔って顔を青くし、その場に座り込んでしまっていた。
「本当なら俺が迎えに行ってやりたかったけど、時雨組の奴らに狙われていて迂闊に外に出られないのもあって、仕方なくウサギの手を借りた。手荒に連れて来たのは悪かったと思ってるけど、氷室の身に何か起こる前に安全なこの場所に避難させておきたかったからね」
座り込んでいる氷室の背中をさすりながら、長雨は少し申し訳なさそうにそう言った。
僕や紬希、月歩さんのことは既に長雨の方から味方であると話して聞かせてあるようで、氷室は酔いから醒めて意識をはっきりさせると、僕らに対して、以前危ないところを助けてもらったお礼と、勝手に逃げ出してしまったことを謝罪してくれた。
「あ、あの……あの時は、勝手に逃げ出してしまってごめんなさい。……私、あの時ちょうど学校から一人で下校していて、背後から迫って来た車に気付かず、突然後部座席に引き込まれて誘拐されてしまったんです。当時私は野蛮な人たちに殺されるのではないかと思って錯乱していました。それで、あなた方が助けてくださった時も、混乱して倉庫から逃げてしまって……あの後、纏君からあなた方のことを伺いました。危険を冒してまで私を助けてくれたのに、お礼も無しに逃げてしまうなんて……とても失礼だったと思うし、情けないですよね。ごめんなさい」
そう言って、自分の失態を顧みて項垂れてしまい、溜め息を吐く氷室。けれども紬希は、そんな気を落とす彼女に対して毅然とした態度で答える。
「お礼なんて要らない。困った人を助けるのが、私たち連合団の仕事。当然のことをしたまでよ」
「……ユナイターズ? って、何ですか?」
首を傾げてそう尋ねてくる氷室に対し、僕が横から「彼女が結成した、学校非公認で活動してる部活動の名前。やっていることはボランティアみたいなもので、大したことじゃないんだ。メンバーは僕を含めて四人しか居ないけど」と答えた。
すると氷室は「へぇ……他人の為に活動する部活を作るなんて、素敵です!」と目を輝かせていた。別に素敵と言えるほどのことはしていないと思うけど……と、僕は思わず謙遜してしまう。
「ここに居れば安全だけれど、やっぱり洞窟ってこともあって、見てくれがどうもイマイチよねぇ。居心地も悪いし……」
広い洞窟を見回しながら、月歩さんがそう言った。
「なら、居心地の良い部屋に改良すればいい。そして、ここを新しい連合団の秘密基地にするの」
紬希がそう提案すると、月歩さんはふふっと笑い、「私も恋白ちゃんと同じことを考えていたところよ」と答えた。
「なら、いっそ盛大にここをリフォームしちゃいましょうか! この薄暗いじめっとした洞窟を、見違えるような空間にしてみせてやるわ」
そう言って意気込む月歩さん。彼女はそれから僕らの方を振り返って「貴方たちにも手伝ってもらうから、よろしくね」と言った。月歩さんはどうやら僕ら全員を巻き込んでこの洞窟を大改装するつもりでいるらしい。
「やれやれ……匿われたのは良いけれど、逆に余計な面倒事に巻き込まれてしまったような気がするな……」
溜め息をついてそう呟く長雨に、僕も全く同感だった。
でも、この洞窟を改装するって、一体何をするつもりなのだろう?




