5月5日(日)⑤ ガンスリンガーと小悪魔
<TMO-1051>
僕はすぐさま、紬希が倒れている拝殿前に駆け付ける。
彼女は、崩れ落ちた瓦礫の上に磔にされたように大の字になって埋まっていた。僕は彼女の耳元で、何度も名前を呼び続けた。けれど、紬希は目を開いてくれない。
不死身の力を宿したその体も、今度ばかりは流石に負担が大き過ぎたのか、負った傷が再生してゆく気配もない。
「……なぁ、頼むから、起きてくれよ。また以前みたいにヒーローの真似事とか、ボランティア染みた街の巡回とかするんだろ? お前のどんな馬鹿げたお遊びでも付き合ってやるから……だから、頼むから目を開けてくれよ」
気付けば僕の口からそんな言葉が、あふれる涙と共にこぼれていた。
これまで、自分勝手な紬希に散々振り回されて、時にはそのあまりの身勝手さに怒りを覚えることすらあったけれど、今ならもう何もかも許してしまえるような気がする。
思い返してみれば、紬希は僕が高校に入って初めてできた友人だった。いや、小さい頃から一緒に遊べる子が居なかった僕にとっては、人生で最初の友達と呼べたのかもしれない。
そんな彼女といつも一緒だったというのに、守ってやれなかった。
「畜生……」
目からあふれる涙が止まらず、押し寄せてくる感傷にぐっと拳を握りしめた。
――と、その時、唐突に僕の背後から、軽々しく言い争う男女の声が聞こえてきた。
「だーかーらっ! 撃ち終わった後に我をクルクル指で回すのは止めろと言っておるではないかっ!」
「うるさいな。未だに回す癖が抜けないんだ。慣れてくれ」
「無理だっ! マスターが癖を直せば済む話だろっ⁉︎ あの変な癖のおかげで我は毎回目を回しておるのだぞ!」
「だから直らないものは直らない! いい加減に文句言うのをやめないと、銃の状態に戻してバラバラに分解してやるぞ」
その声は、ついさっき僕らを窮地から救ってくれた青年のものだった。
振り返ると、学ラン姿の青年と、いつの間に現れたのか、美しい金髪を伸ばした幼い少女が彼の隣に立っていて、二人は他愛もない口喧嘩を始めていた。
僕は二人の容姿を見比べてみたのだが、金髪の幼女の方は、明らかに人間ではないことが見て取れた。
というのも、その少女は本来人間が持ち得るはずのない部位を持っていたからである。金髪の頭からは螺旋模様の刻まれた二本の太い角が筍のように伸びていて、身に着けている丈の短い黒のワンピースの裾からは、つるりとした黒光りする細い尻尾が蛇のようにのたくっていた。
「――あ、そうだった。君たち、怪我は無い? ……って聞こうと思ったけど、どうやら愚問だったみたいだね」
青年が僕の前まで来てそう問い掛けようとし、全身血まみれで倒れている紬希を見て、言葉を訂正した。僕は怪訝に思いながらも、二人に向かって問いかける。
「……あなたたちは?」
「俺の名前は長雨纏。美斗世市の隣町、冥華町普越学園の一年。……で、こいつは俺の所持品」
そう言って、青年が親指を立てて隣に居る金髪幼女を指し示すと、彼女は牙を剥いて青年の立てた指に噛み付いた。
「おい、離せ」
「ヤダ」
まるで子どもの喧嘩を見ているようだった。実際片方は子どもなのだが、青年の方は先ほどまでの冷静沈着な態度が嘘のように消えてしまっている。
少女はしつこく青年の指に食い付いていたが、力任せの拳骨をお見舞いされて、ようや噛んでいた指を離した。
「ほら、お前も自己紹介しろよ」
「言われなくても分かっておるわ! ……ふん、哀れな人間よ、平伏して聞くがいい! 我の名はウニカ・メテオラ! この通り、体はちんちくりんだが、これでも魔界最強の魔王、イヴリス・メテオラの血を引く最上級悪魔であるぞ!」
少女は腰に両手を当て、まな板の胸を大きく逸らしながら威張るように言った。その小さな口から何が飛び出すかと思えば、中二病染みたセリフをぽんぽん吐き出してくる彼女を前に、僕は困惑し、何も言い返せずその場で固まってしまう。そんな僕の様子を見た少女は、ケラケラと笑う。
「おやぁ? 魔王の娘を前にして、怖くて声も出せんというのか? ふん、貴様も所詮はただの貧弱なにんげ――うにゃっ!」
すると、隣に立っていた長雨が金髪少女の頭に二度目の拳を落とした。
「嘘つけ、『元』最上級悪魔だろ。数年前に魔界を逃げ出してから、今じゃお前は最下位の小悪魔同然で、挙げ句の果てにはお尋ね者扱いされてるじゃないか」
「なっ!……よっ、よよ余計な事を言うでないっ! せっかく我が自己紹介してるというのに、ぶち壊しではないかっ!」
少女が顔を真っ赤にしてぷんぷん怒り散らすが、長雨は軽くあしらうようにして言い返す。
「本当のことを言ったまでだ。実際、魔界から下ろされた時に魔王の娘としての権利は全て剥奪されたんだろ?」
「ぐぬぬぅっ……違うもん! 最下位なんかじゃないもん! 我は魔界最強の悪魔なんだぞっ!」
最後には涙目になる彼女を前に、長雨は一歩も引くことなく、また二人の言い争いが始まった。
不死身のクラスメイトから始まり、コスプレ好きな超高速未来人、カメレオン姿の透明人間、その次には金髪幼女の悪魔ときた。もう何でも有りになってしまったこの世界の中で、唯一普通の人間である僕だけが、何だか弱々しくてちっぽけな存在に思えてくる。
「……あ、あの、お取り込み中すみません……助けてください。……友達が、死にそうなんです」
実際、そんなちっぽけな僕が今やれることと言ったら、誰かに助けを求めることくらいしかなかった。例え相手が悪魔であったとしても構わない。縋れるものなら何でもいい。とにかく、誰かに瀕死の紬希を救って欲しかった。
ウニカと名乗る金髪の少女は、僕の懇願する声を聞くと、怪訝そうに眉をしかめてこちらへ近付き、僕の傍で血塗れになって倒れている紬希を見る。
「ほぅ、これは手酷くやられておるわ………」
少女は暫くの間まじまじと紬希を見つめて、やがて何かを察したようにピクリと片方の眉を持ち上げて答えた。
「……なんと、此奴も能力者なのか。驚いたな。……ふむふむ、他には類を見ない、なかなか面白い力を持っているようだ」
少女は感心してそう言うものの、やがて紬希への関心を失ったようにくるりと踵を返して、首を横に振った。
「別に、我の救いの手を差し伸べる必要も無い。此奴自身の力で、どうにかできる程度の損傷だからな」
僕は驚いた。どうにかできる程度? 見るだけでも、体の数十箇所の骨が折れ、内臓もぐちゃぐちゃになっている悲惨な状態だ。ここまで手酷くやられて無事であるはずがない。こんな酷い状態を、どうにかできる程度で片付けられるなんて……
あまりに軽々しく扱われたことに怒りを隠せず、思わず反論しようとした――その時だった。
それまで動かなかった紬希の体が、ぴくっと痙攣して、血まみれの胸の奥からめりめりと肋骨の動く音が聞こえた。捻れた首、わき腹辺りにできた大きな切り傷、はみ出た内臓、折れた骨の突き出た腕や脚――負ってしまった怪我という怪我の全てに、体から蟲のように湧き出てきた白い糸がシュルシュルと絡み付き、生々しい傷跡を瞬く間に紡いでゆく。
「……そんな、ウソだろ……」
紬希の負った傷が塞がってゆく光景を前に、僕は唖然としたまま立ちすくむ。
――紬希はまだ、死んでいなかったのだ。
感極まった僕は思わず、かの有名なモノクロ映画のとある台詞を、大声で叫んでしまいそうになった。
「生きてる…… 生きてる!」




