4月6日(土) 入学式
<TMO-1003>
4月6日(土) 天気…晴れ
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入学式の日がやってきた。僕は神妙な面持ちで、自宅を後にする。
通学路では、僕と同じく新品ピカピカの学生服を着た新入生たちが、大名行列になって高校までの長い道のりを歩いていた。頭上を過ぎてゆく桜の木が、風に吹かれて雪のように花びらを散らしている。
僕らの入学する公立美斗世第一高等学校は、一学年十五クラスもある大人数で編成されたマンモス校で、美斗世市に住む約半数の少年少女たちがここへ集う。次から次へと流れてゆく生徒たちの群れは、まるで化け物のような校舎の中に、瞬く間に飲み込まれていった。
玄関前に集う人込みを掻き分けながら、ホワイトボードに貼り出されたクラスの振り分け表を見て、自分の名前を探す。僕は一年B組に配属されていることが分かり、B組のある教室まで重い足を運んだ。
教室の入り口前に立ち、一度深呼吸をしてから、引き戸をガラリと開ける。
重い空気が立ち込める教室の中、何処を向いても、そこには知らない顔ばかりが並んでいた。当然、中学の時からの顔見知りがここに居るはずもない。
僕は誰に声をかけられることもなく自分の席に着いた。周りのクラスメイトたちも僕と心境を同じくしているようで、誰もが口を固く閉ざし、新しいクラスの仲間一人一人に警戒と好奇の目を走らせている。
そんなピリピリと張り詰めた雰囲気を破るようにして教室の扉が開き、新しい先生が入ってきた。
若い男性の先生で、彼は壇上に立つとチョークを握り、新島文人という名前をさらさらと黒板に書いた。担当教科は僕の苦手な数学だった。字は綺麗だし、パッと見た感じ人が良さそうに見えるけれど、咳払いがおっさん臭いところは減点対象だった。
先生が自己紹介を終えて、そのまま必然的にクラスの生徒一人一人が自己紹介をする流れになる。けれど正直言って、何十人も集う中で名前と顔を並べられても、すぐに覚えられるものではない。それに、どのクラスメイトの自己紹介も、好きなスポーツとか趣味とか好きな教科とか、ありふれたものばかりで一つも頭に入って来なかった。(そう言いながら、僕自身も極々普通の自己紹介しかできなかったのだけれど……)
自己紹介のバトンが繋がれていく中、僕はこれからの高校生活を共にするクラスメイトたちをぼんやりと流し目で観察していた。
そしてふと、教室の後ろの席に、一人だけとても垢抜けた可愛いらしい女の子が座っていることに気付く。
肩にかかる位の長さで切り揃えられた艶やかな黒髪、白々とした肌に、ほんのり紅の乗った頬。丸々とした大きな琥珀色の瞳の奥には、淡い光が水面のように揺れていた。
誰もが思わず目を向けてしまうくらい美麗な出で立ちをしたその子は、自己紹介する生徒たちに目もくれず、ただ真っすぐな視線を黒板に向けたまま正しい姿勢で着席している。その姿は清楚で真面目で、まるで誰もが追い求める理想のヒロイン像を完璧に体現しているような外見だった。
でも正直、男女間での恋愛に疎かった僕は、初め彼女を見つけた時も、「あんな可愛い子が自分のクラスに居るなんてラッキーだな」程度にしか思わなかった。見た感じ大人しそうな子だから、彼女の自己紹介ではきっと、趣味は読書だとか、中学時代は茶道をやってましたとか、そんなありふれたことを口にするのだろう。そう思っていた。
――まさかあの子が、これまでずっと凡庸にだらだらと続いていた自己紹介の雰囲気を一瞬にしてぶち壊すなんて、その時までは考えもしなかった。
その女の子に自己紹介のバトンが渡されると、彼女はすっと椅子から立ち上がり、幻想的な光を帯びた視線で教室内を一望してから、仄かに赤く染まった唇を開く。
「初めまして、紬希恋白といいます」
ここまでは良かった。
「――私、今まで普通の人間の友達を持ったことがありません。だから、多分あなた方とはクラスメイト以上の関係にはなれないと思います。……でも、普通の人間には決して持てない特別な力を持っている方――俗に言う超能力を持っている方、誰でも構いません。遠慮なく私に声をかけてください。友達になります。……以上です」
教室に居る全員の視線が、一斉にその女の子に注がれた。
それなのに彼女は動揺する素振りすら見せずに、最後まで淡々と自己紹介を言い切り、糸が切れた操り人形のようにストンと着席する。
「……何よあの子、不思議ちゃんキャラ気取ってるの?」
「なんか……気味悪いよね」
「でもよ、意外と可愛くねぇか?」
「『クラスメイト以上の関係』って、まさか恋人とか? 俺、立候補しちゃおっかな〜」
教室内が瞬く間にざわつき始める。突然の告白のような自己紹介にドン引きする奴もいれば、逆に興味を持ち始める奴も出てくる。
僕はどちらかと言われれば前者だった。中学の時にも、このような場であえて突拍子もない発言を繰り出して、周囲の注目を引かせようとしていた奴らを見たことがある。けれどそいつらは大抵、自分のことを周りにアピールしたいだけの、ただの軽薄な目立ちたがり屋だった。
でも彼女は、そんな奴らとは全く違っていた。その言葉は決してふざけて言っている訳ではなく、真剣で真っすぐな彼女の視線からは、そう言わねばならない何らかの強い意思が伝わってくる。
どうしてクラスメイトたちの前であんなことを口にしたのか、その意図は不明だが、クラスの全員から変な目で見られることも厭わずに、終始凛とした態度を突き通していた彼女に対して、僕は何かただならぬ気配を感じていた。