5月1日(水)① もう一人の目撃者
<TMO-1034>
5月1日(水) 天気…晴れ
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僕らの通う美斗世市第一高校では、本番の一ヶ月前となる今の時期から、早くも体育祭の練習が始まる。
そのせいで、放課後になると各競技の選手に選ばれた生徒たちが練習のためにグラウンドや体育館に集うので、放課後もやけに外が騒がしかった。
以前に猫の追跡依頼を受けてからというもの、僕らが帰る際にはいつも虎舞が一緒に付いて来ていた。だから、今日も一緒に帰るのかと思った僕は、紬希と二人で虎舞が教室にやって来るのを待っていた。
ところが、いくら待っても一向にやって来ないので、僕らは虎舞の居るクラスへ脚を運んでみると、教室に彼女の姿は見当たらなかった。
教室に残っていた生徒に尋ねてみたところ、陸上部である虎舞は、クラスで体育祭の目玉である色別対抗リレーの選手に抜擢されてしまったらしく、今日はその説明会があって遅くなっているようだった。
仕方なく僕らは、教室に戻って来ない虎舞を待たずに、二人だけで学校を出ることにした。
玄関を出て、体育祭競技の練習をしている生徒たちの邪魔にならないよう、外回りでグラウンドを抜けて校門をくぐる。
――すると突然、真横から突風が吹いてきて倒れそうになり、僕はバランスを崩してゆらりとよろめいた。
しかし、吹いたと思った突風はすぐに止み、辺りはシンと静まり返る。
ふと横に目をやると、さっきまで隣に居たはずの紬希が、影も形も残さずに消えてしまっていた。
どうしてたった一瞬のうちに、紬希が蒸発するように消えてしまったのか。
――本来このような状況に置かれれば、誰もが驚いて、居なくなってしまった紬希の行方を捜し回っていたことだろう。
けれど、僕は驚かなかった。……というのも、僕にはこの摩訶不思議な現象が起きた原因を容易に推測できてしまったからだ。隣に居たクラスメイトが一瞬のうちに神隠しのごとく消えてしまったというのに、もはや動揺すらしなくなってしまった自分が恐ろしい。最近になって非現実的な出来事に遭遇しすぎてしまったせいか、少々現実離れしたことが起こってもさほど驚かなくなってしまった。
(どうせまたあの人の仕業だろうな……)
――そう思った次の瞬間、ヒュッと耳から耳へと風が抜けて、目の前の光景が学校の校門前から、一瞬にしてあの薄暗い廃倉庫の光景へと切り替わる。僕の隣には、いつの間にかバニーガール姿のグラマラスな女性が立っていて、ふらついて倒れそうな僕の体を後ろから支えていた。
「……あの、心の準備をしたいので、せめて一言断ってから運んでくださいよ、月歩さん」
不意に超高速世界を体感したことによる酔いで頭が回り、気持ちが悪くなる。それに加えて、小兎姫さんの豊満な胸が背中に押し付けられるせいで、めまいは一層酷くなった。
「あらら、ごめんね〜。普通の人が歩く速度で迎えに行くこともできたんだけど、こんな格好で学校前に立ってたら大騒ぎになるでしょう? だから人前では常に目にも止まらぬ速さで動いてなきゃ駄目なの。でも心配しないで。何度も体験するうちに、徐々にこのスピードにも慣れてくるはずだから」
こんな酷い耳鳴りを何度も体験するなんてこっちから願い下げだと思いながら、僕は痛い頭を押さえてその場に座り込む。すると、僕のすぐとなりに、ついさっき神隠しのように消えてしまったはずの紬希が、両脚を抱えてちょこんと座り込んでいた。僕と同じく小兎姫さんに連れて来られたせいで目が回ってしまっているらしく、メトロノームみたいにゆらゆら頭を左右に揺らしながら明後日の方向を見つめている。
「紬希、大丈夫?」
「うん、私は平気。……少し耳鳴りがうるさいだけ」
不死身と謳われる紬希の体も、小兎姫さんの超高速移動にだけはまだ慣れていないらしい。流石にこの「超高速酔い」は、紬希の白い糸でも治せない。
「さてと、今日は二人に話したいことがあってここに連れて来たの。……内容は他でもない、あなたの持つ能力についてのことよ」
唐突な小兎姫さんの言葉に、紬希がぴくりと肩を震わせた。
同時にこの時、僕は彼女の発した言葉にふと疑問を感じた。そういえば、なぜこの人は最初から紬希が能力者であることを知っていたのだ? ……確か初めて会った時も、彼女は紬希を見て「あなたと同じ」と口にしていた。
「――ふふふ……実はねぇ、私も見ていたのよ。二週間ちょっとくらい前、あなたたちがガード下で不良たちに襲われていた時、彼女の能力が発現した瞬間をね」
小兎姫さんからそう言われて、ようやく思い出した。四月十五日――僕らがガード下で不良たちに襲われた時、紬希の負った頬の傷が白い糸で紡がれてゆく一部始終を目撃してしまった、あの日だ。
当時、紬希の能力の発現を目撃していたのは、僕だけだと思っていた。
……けれど、実際はそうではなかった。おそらくあの時からすでに、道端に転がっていた浮浪者たちの中に変装した小兎姫さんも紛れ込んでいて、能力の発現する瞬間を傍から見ていたのだろう。
小兎姫さんは、あの日、紬希が能力を発現させた場に居合わせていた、もう一人の目撃者だったのである。




