4月25日(木)① それが、お世話係
<TMO-1022>
4月25日(木) 天気…雨
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今日は一日中土砂降りの雨だった。こんな酷い雨の日でも、紬希は気にすることなく傘を差して外へ飛び出していく。
けれど、僕はもう彼女の背中を追う気にはなれなかった。昨日の一件もあって、僕は精神的にもかなり参ってしまっていた。これ以上あいつと一緒にいれば、どんな危険を呼び寄せるか、分かったものではない。
だから僕は、紬希が創設した連合団に入団してからわずか一週間で、サボタージュを決行することにしたのである。
雨の中を飛び出していった紬希を放っておき、一人で家に帰ろうと玄関に向かう。
すると、同じく下駄箱から革靴を取り出そうとしている虎舞と目が合った。
「……はぁ、よりによってストーカー野郎と帰りが一緒になっちゃうなんて、ツイてない」
「悪かったね。僕は帰宅部だからいつもこの時間なんだ」
僕は負けじとそう言い返す。でも、初めて会った時と比べて、僕と彼女の間で交わされる言葉には若干の親しみの色が混じり、僕も彼女の悪口をさらっと聞き流すくらいには打ち解けるようになっていた。
けれど、彼女と学校で顔を合わせるのは、今回が初めてかもしれない。学校の中であるというのに、やはり何故か彼女の制服姿に違和感を覚えてしまう。――多分、最初に会った時の格好が印象的過ぎて、猫耳パーカー姿の虎舞が未だに脳裏に焼き付いてしまっているからだろう。確か彼女は陸上部だったはずだが、部活はやらないのだろうか?
「今日はこの雨だからジムでトレーニングだって。かったるいから抜け出してきてやったわ。いえい」
そう言って親指を立てる虎舞に、思わず僕も「いえい」と親指を立てて返した。活動する部は違えど、入ってわずか一週間でサボるようなやつが自分の他にも居たことに、少し安堵してしまったのだ。
虎舞と共に学校の門を潜りながら、ふと、紬希以外の生徒とこうして帰りを共にするのは、高校生になって今回が初めてであったことに気付く。これまでずっと紬希に振り回されてばかりで、ろくに落ち着いた下校ができなかった。だから、たまにはこうして別の人と歩いて下校するのも悪くない。
「そういえば、トラは見つかったの?」
僕はふと、虎舞の探している飼い猫のことを思い出し、彼女に尋ねてみた。
「それが全っ然ダメ。まるで手掛かり無し。餌にも食い付いて来ないし、草の根かき分けて探しても見つかんないし、もうホントいい加減うんざりしてきた。……マジでさぁ、心配するこっちの身にもなれってのよ」
苛立ちを含んだ口調で、虎舞は答える。同じ言葉を、僕も紬希に言ってやりたかった。
多分、僕たちは今、同じ境遇の中にあるのだろうとふと思った。僕も虎舞も、互いに一人、あるいは一匹の世話を任されていて、同時にその相手に対して酷く手を焼いてしまっている。そして双方共に、もはや堪忍袋の尾が切れる寸前まで追い詰められていた。
(そこまで追い詰められているのなら、もうこのまま放っておけば良いじゃないか)
何処からともなく、そんな心無い言葉が、まるで悪魔がささやくように僕の脳裏に浮かんでくる。
「……でもさぁ、何故か探しちゃうんだよね」
しかしそこへ、僕の考えを見透かしたかのように、虎舞がそう言った。
「あいつのことなんてもう知らない! って何もかも放り出してしまえば楽になれるのにさ。……でも後々になってトラのことを想うと、何だかやけに恋しくなって、やっぱり探さなきゃ、って思い直しちゃう自分がいる。で、気付けばまた公園に行って猫たちに餌をやってる。毎回これの繰り返し。何回も何回も。いい加減学習しろよって心の中で思っていても、また同じことを繰り返す。……私って馬鹿だよね」
最後の言葉は、雨粒が傘を叩く音に紛れて、微かにしか聞こえなかった。
「――でも、そんな馬鹿な私でも分かったことが一つある」
けれど彼女は、今度はよく通るはっきりとした声で、言葉を続けた。
「大切なものは、ほんの一瞬でも目を離した隙に消えちゃうかもしれないってこと。あの時、私があいつのことをもっと面倒見てやれたら、多分こうはならなかった。……だから、やっぱり私が見ててやらなきゃダメなんだ、って思うの」
虎舞の言葉を聞いて、僕はふと、今もこの町の何処かを駆け回っているだろう紬希のことを思った。ひよっとしたら、また今日も何処かで何かしらの馬鹿な無茶をやらかしているかもしれない。困った人を放っておけず、相手を救うためならどんな危険の中へも飛び込み、そのせいで自らが傷を負い、痛みを抱えることになったとしても、何の不平も不満も抱かない少女、紬希恋白――
そんな彼女に対して、僕はおかしい、狂っていると叫び、最終的には突き放してしまった訳なのだけれど。
でも、批判を浴びせる傍ら、心のどこかで、そんな彼女を密かに気にしてしまっている自分が居た。映画やアニメでよく見るヒーローやヒロインを応援する時のように、傷付いても自分の信じる正義を貫こうとするその姿を見ているうち、知らぬ間に僕も感化されてしまったのかもしれない。
おそらく紬希は、僕が居なくなってからも正義という名のもとで慈善活動を続けていくだろう。そしてこれからも、自分の身をかえりみずに、どんな危険の中にも飛び込んでゆくだろう。
彼女は不死身だ。だから、ちょっとやそっと痛い目に遭ったからといって、死ぬことはないのかもしれない。
――でも、もしその頼るべき不死身の能力に限界があったとしたら、どうなる? もし突然能力が使えなくなってしまったら、どうなる? 考えただけでも恐ろしかった。
だから、後先考えずに突っ走ってゆく彼女を早まらせないためにも、監視役が必要なのだと思う。
「……うん、きっとあいつのことを見てやれるのも、僕しかいないんだよな……」
「……は? 何か言った?」
「いや、何でもない」
紬希の我がままにとことん付き合ってやろうなんて気はさらさら無かった。けれど、それでもせめてあいつを近くで見守っていてやらないと、無茶を重ねていくうちに、本当にいつか彼女の命も本当に尽きてしまうかもしれない。だから僕が付いて居てやらないと。……例え、どれだけ彼女が傷付き、流れる血を見ることになったとしても……
明日からもまた僕は、自分の信じる道を迷うことなく突き進む彼女の背中を必死で追いかけることになるのだろう。もううんざりだとか言っておきながら、また同じことを繰り返そうとしている馬鹿が、虎舞の他に、ここにももう一人居た。
降る雨の勢いは、まだまだ収まるところを知らない。僕らは白く霞んだ重い空気の中を、二人並んで静かに歩き続けた。




