6月4日(火)⑧ 気まぐれ転送石
「……て、転送石?」
またも聞き慣れない言葉がイナリの口から飛び出し、僕は首をかしげる。
「転送石というのは、この世界でも滅多に手に入らない希少な鉱石でな。三千年生きてきた妾も、転送石を見たのは数えるほどしかない」
サラッと凄いことを口にしながら、顎に手を当てて興味津々に石を見つめるイナリ。
「転送石には奇妙な性質があっての。一見普通の石ころにも見えるのじゃが、こうしている間にもこの石は内部にエネルギーを蓄え続けていて、ある一定の間隔で限界点を迎えては、それまで蓄えたエネルギーを一気に放出する特性があるのじゃ。」
「エネルギーを放出?」
「うむ。その現象を『蛍昇泉』と言ってな。石から噴き出した高密度のエネルギーは、その世界の空間を一時的に歪ませてしまうだけの力を持つ。つまりお主らは、その時にできた空間の歪みにはまって、元居た世界から、妾たちの居るこの世界へ飛ばされてしまったのじゃ――それほどまでに強力な力を、この転送石は秘めているのじゃよ」
蛍昇泉……一定間隔を置いて蒸気を吹き上げる間欠泉みたいなものだろうか? つまりは、僕らがこの世界へ転送されてしまったのも、この転送石が引き起こす蛍昇泉が原因だったという訳だ。
「……ってことは、この石が次に蛍昇泉を引き起こすタイミングで、私たちがその中に飛び込めば、元の世界に戻れるってこと?」
虎舞が思い付いたようにそう意見すると、「その通りじゃ」とイナリが頷く。
「蛍昇泉の起こるタイミングを正確に計るのは難しいが、この石は大体数日置きに間隔を空けてエネルギーを放出しておる。お主らがこの世界に飛ばされてきて大分日が経つというのなら、もうそろそろ起きても良い頃なのなのじゃがな……」
イナリはそう言って、未だに何の反応も示さない転送石をじっと睨み付けていた。
僕は、次にこの転送石が蛍昇泉を起こすタイミングを予想するため、石がエネルギーを放出した瞬間――つまりあの蛍の飛び交うような緑色の光の渦を自分が目撃した日について、頭の中で整理してみた。
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〇5月25日(土)
突然現れた刺客、灯々島芳火と近所の公園で戦う。彼女が逃げる際、あの石の力を使うところを自分と紬希が目撃。
↓(4日後)
〇5月29日(水)
再び同じ公園で光の渦が発生するところを黒猫チッピが目撃。渦の中からは瀕死の重傷を負った虎舞の愛猫トラが現れる。
↓(4日後)
〇6月2日(日)
連合団秘密基地にかくまっていたトラが、猫の姿から獣人ミヤナの姿へ変身。変身した際にミヤナの所持品の中から転送石を発見。突如として発生した蛍昇泉に巻き込まれ、この異世界へと飛ばされる。
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以上を踏まえると、大体四日置きの間隔で蛍昇泉は起こると仮定できる。となれば、次に転送石が蛍昇泉を引き起こすのは六月六日であると予測が付くけれど、あくまで自然現象なのだから、そこまで正確さを求めることはできないはずだ。
それに、この世界の時間の流れが、僕らのいた世界の時間の流れとは異なっている可能性も有り得る。この世界での一日が、実は僕らの世界では何年も経過している――みたいなSF的設定が組み込まれているのではないか?
そう疑っていたのだが、実際イナリに尋ねてみると「時間の流れのことなら、気にする必要なしじゃ」とあっさり答えが返ってきた。
「お前たちも千里神境を見ておっただろう? あの鏡は別世界の『今』を映し出す鏡なのじゃ。お主らの居た世界と、妾たちの居るこの世界は互いに並行して時が進んでおる。だから日付や時間も、お主らが転移してきた時からそのまま継続して考えればよい」
そう言われて僕は胸を撫で下ろす。これでもし僕たちが元の世界に戻れたとして、家族含め僕らの知り合い全員がしわくちゃの老人になっていたなんてオチは、冗談であっても笑えないと思ったからだ。
しかし、浦島効果を回避して安堵する僕らに向かって、イナリはさらに言葉を続ける。
「……ただし、この世界ではお前たちの暮らす世界とは異なる点が一つある。それは、この世界では時間と共に季節が移り替わるのではなく、春ノ地方/夏ノ地方/秋ノ地方/冬ノ地方というように、季節がその場所や地域で決まっておる点じゃ。
夏ノ地方は毎日暑い日が続く乾燥地帯になっておるし、冬ノ地方では毎日雪が降る寒冷地帯になっておる。ちなみに、イナリ村のある場所は『春ノ地方』になる。気候も穏やかで作物も良く育つから、大抵の者は気候が安定している春ノ地方か秋ノ地方に定住しておるのじゃ」
イナリからの説明によれば、どうやらこの世界では「季節」という言葉の概念が異なっているらしい。でも、場所によって気候が変動するのは、南極やハワイみたいに、僕らの世界でも当たり前に起きていることだから、大して気にする必要もなさそうだ。
「おいクソババァ! いつまで俺を尻に敷いてやがるんだ。いい加減に降りやがれ」
すると、それまでずっと四つん這いになってイナリの椅子替わりになっていたチヨベが、痺れを切らしたように叫びを上げる。
「ほほぅ? こんなに軽い妾をもう支えられなくなったというのか? 情けない奴じゃのう。もう少しそこで耐えておれ。さっき二回も妾を下敷きにした罰じゃ」
「うるせぇ! あれはワザとやった訳じゃねぇだろうが! ――だぁあああぁっ‼ もう我慢ならねぇっ!」
とうとう我慢の限界に達してしまったチヨベが勢い良く起き上がると、途端にイナリはひょいと飛び上がって石畳の上に華麗に着地し、両手を広げてみせた。
そのしぐさは、まるで揺れているブランコから飛び降りて遊んでいる子どものようで、そんなことをしているイナリが、とても三千年の時を生きた長老になど見えるはずもなかった。……いや、見ろという方が逆に馬鹿げているだろう。




