6月4日(火)① イナリ村長のもとへ
??? 天気…晴れ 異世界3日目
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次の日、僕らは再びチヨベのトラクターが引く荷台に乗って、轍のある農道を進んでいた。
相変わらずチヨベの運転は乱暴で、時折タイヤが石を引っかけては荷台が大きく揺れ、その度に肘やお尻をぶつけて、気付けば身体中が痣だらけになっていた。
「ちくしょう、何で俺があのクソババァのところへ案内しなきゃならねぇんだよ……」
トラクターを運転しながら、チヨベはさっきからずっとぶつくさ文句を垂らしてばかりいる。
昨日オリザさんから、チヨベが本業だった鍛冶仕事をやめてしまった理由を聞かされ、これまで僕の中で意地悪爺さんのように映っていたチヨベのイメージも少し変化していた。それは他の皆も同じようで、それまで彼に対して刺々しい態度を取ってばかりいた虎舞も、今日はいくらか丸くなったように見えた。
これで、チヨベが再び鍛冶に対する自信を取り戻し、鍛冶職人として本業復帰すれば、彼も少しは丸くなって、双方の間にある壁も崩れてくれるのかもしれないな、なんてうっすらと希望を抱きながら、僕は荷台に揺られていた。
「……あの、イナリ村長って、どんな方なんですか?」
僕は、昨日虎舞がオリザさんに尋ねたことと同じ質問をチヨベにも投げてみた。オリザとチヨベで、村長に対する態度が違っていたから、チヨベの意見も聞いてみたいと思ったからだ。
「あぁ? あのババァ、三千年も生きている割に口だけは達者でよ。俺がやることにいちいち口出しちゃあ、ああだこうだ文句ばっか言いやがるんだ。あんまりうるせぇから追い払おうとしてもすぐに戻って来やがるし、ちょこまか動き回って手が付けられねぇ」
チヨベの口から語られる村長に関する話は、僕らの考える老人像とはかなり違っていた。三千年も生きているかどうかは定かではないが、しかしそれだけ長寿ともなれば、もう大分足腰も弱り、立ち上がるだけでもやっとというような御老体を想像する。
けれどもチヨベの話を聞く限り、その村長はまるで子どものように元気で多弁な老人であるらしい。一体どんな人物なのだろう? オリザとチヨベの証言を足し合わせても、村長の人物像が全く見えてこない。
「とにかく、あのババァは油断ならねぇ。お前らも気を付けるこったな」
チヨベは僕らに向かって、警告するようにそう言った。
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あれこれ考え事をしているうちに、いつの間にか周囲の景色は田畑の広がる農道から、木々の乱立する林道へと移り変わっていた。
山奥へ続く狭い林道をさらに進んで行くと、やがて道の隅にぽつりと小さな赤い門が立っているのが見えてきた。
しかし近くで見てみると、それは門というより小さな鳥居のようだった。木製で赤く塗られており、山の麓にひっそりと隠れるようにして佇んでいる。
「さ、ここがババァの住む家の玄関前だ。こっからは歩くぞ。とっとと降りろ」
そう言って、チヨベは鳥居の横にトラクターを止めた。
その赤い鳥居は、山の頂上に向かって延びる坂道の上に立っていて、暗い森の中で浮かんで見えるくらい鮮やかな赤で塗られていた。左右の柱には、ここにもまた何が書かれているのか分からないお札がたくさん張られていて気味が悪い。鳥居の奥には同じような赤い鳥居が等間隔にいくつも立ち並び、坂道に沿って真っ赤な回廊を形作っていた。ずっと見ていると、思わず奥へと引き込まれてしまいそうだ。
「こんなところに住んでるの? まるで何処かの神社の千本鳥居みたいじゃない」
虎舞が延々と続く鳥居の回廊を覗き込み、怪訝そうに眉をひそめる。
「……もしかして僕ら、本当に神様に会いに行くのかもしれないよ」
「もし本当に神様なら、きっと私たちの住んでいた世界のこともしっているはずだから、聞いてみればいい」
そう言って、紬希はトラクターの荷台から一本の太刀を取り出し、腰に巻いた。
この太刀は、昨日オリザから護身用に持って行くように言われた妖刀「春夏」だった。当時まだ鍛冶仕事に精を出していた時のチヨベが刀匠となり、イナリ村長と共に妖力を込めて作り上げた妖刀二振りのうちの一本である。
「俺のこさえた太刀を乱暴に扱って刃こぼれでもさせたら、ただじゃおかねぇからな」
太刀を携える紬希に向かって、チヨベがそう釘を刺す。でも、元々は振り回して使う武器なんだから、乱暴に扱われて当然じゃないかとも思うのだけれど……
「……じゃあ、行こうか」
僕らは気乗りしないまま最初の鳥居を潜り、赤の回廊の奥へと進んでいった。
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鳥居の回廊は何処までも奥へと続いていて、もういくつ同じ鳥居を潜り抜けたか分からない。もう結構歩いたはずなのに、それでもまだ出口が見えない。
「この回廊一体どうなってんのよ……もうかれこれ一時間くらい歩いてるのに、いくら歩いても出口すら見えないじゃないの」
「うん……まるで、同じところを何度も回ってるみたいな気がする……」
僕は不思議に思い、周囲を見渡してみる。千本鳥居の外には何処までも暗い森が広がっていて、暖かい陽光が一筋も差し込まないせいで、辺りは酷く寒い。この鳥居回廊から一歩でも外に出れば、途端に深淵の森に迷い込んでしまいそうな怖さがあった。
「っかしいなぁ……いつもなら歩きでも十分や十五分そこらで着いていたはずなんだけどな」
チヨベも不思議な顔をして、頭をかきながらそう言葉を漏らす。
「はぁ? じゃあ何で私たち今、こんな長々と歩き続けてるのよ?」
「……まさか、無限回廊とか?」
怖くなった僕がふと思い付いてその言葉をつぶやいた時だった。
………シャラーン
「! ……みんな、今の聞いた?」
「ええ、聞いた」
「鈴の音? 一体どこから――」
………シャララーン……
僕は周囲を見渡し、音の出所を探す。しかし僕らの他に人影はなく、気配すらも感じられない。見えているのは、延々と続く出口の見えない無限の回廊だけだ。
シュッ!
視線の隅を何か小さな影が横切った。しかしあまりに素早く、その影の正体は分からない。
「! 今何かが後ろを通った!」
「ごめん、素早くて見えなかった」
「ちくしょう! 何がどうなってやがるんだ!」
僕らは取り乱し、互いに目を凝らして鈴の音を耳で追い、小さな影を目で追った。音と影は右へ左へ、上へ下へ、定まることを知らず、僕らは姿の無い何かにひたすら翻弄されていた。
シャララーン……シャラララーン……
そうしているうちに、鈴の音もだんだんと近付いてくるように大きくなってゆく。音は鳥居と共鳴して空気を震わせ、僕の鼓膜を震わせ、三半規管を揺さぶる。視界がぐるぐる回り、目眩を覚え、ふらつき、よろめき、危うく意識を飛ばしそうになったところで、僕はふと足を止める。
静寂が戻ってくる。耳に聞こえてくるのは、自分の荒い息遣いだけ。
「…………あれ? みんなは?」
そして、何時の間にか僕の側にいた仲間たちは皆消え失せ、なぜか僕一人だけが、無限回廊の中にぽつりと取り残されていた。




