6月3日(月)③ 消えてしまった娘の行方
<TMO-1177>
夕方になり、朝から合わせて三つの田で田植えを手伝わされた僕らは、疲弊しきった体を荷台に横たえ、チヨベの運転するトラクターに引かれて村へと戻っていた。
荷台には虎舞も乗り込んでいた。「途中で仕事を投げ出したような怠け者を俺のトラクターに乗せられるか!」とチヨベは散々喚いていたけれど、テコでも荷台から離れようとしない虎舞を前に、とうとうチヨベも折れてしまい、仕方なく彼女の乗車を許可したのだった。
チヨベと虎舞、互いにいがみ合う二人の犬猿の仲をどうにかしたいとは思うのだけれど、どう和解させれば良いのかも分からず、結局打開策を見つけられないままチヨベの家へと戻った。
家の前で、チヨベの妻であるオリザさんが、家の前で僕らの帰りを笑顔で迎えてくれた。
◯
――夜になって、僕らは広間で食卓を囲み、ヨネをたらふく食べて、重労働で空腹なお腹を満たしていた。
食べていてふと気付いたのだが、部屋の横隅に床の間のような小さなスペースがあって、そこに漆塗りの鞘に収められた綺麗な太刀が二本、台に乗せて飾られていた。
うち一本は、以前チヨベが僕らをこの村に初めて連れて来た際、拵屋の店主から預かってきたものだった。
そして、床の間の壁には掛け軸が下げられており、掛け軸には何やら読めない字で書かれたお札が大量に貼り付けられていた。何だか怪しい宗教的な感じが否めなくて、不気味に見えてしまう。
「……お前、今日イナリのババァの所へ行ったのか?」
チラと掛け軸に目をやったチヨベが、渋い顔をしてオリザさんに尋ねた。
「そうさ。うちの娘が無事に戻って来るようにって、呪いをかけてもらったお札を作ってもらって、こうして掛け軸にたくさん貼り付けて持って帰って来たんだよ。こうして掛けておくだけでも、気休めくらいにはなると思ってね」
「ちっ、余計なことしやがって。そんなことしなくても、あいつは絶対に帰って来るってのによ」とチヨベは不満を漏らしてヨネを口に放り込んだ。
――そういえば、確かチヨベが拵屋の店主からあの太刀を受け取った際も、店主は「娘さんのことは残念だ」と話していたのを思い出す。
あの時、僕らはチヨベの娘の身に何が起きたのかを尋ねようとしたけれど、本人からは首を突っ込むなと止められてしまい、以降もずっと聞けないままでいた。
「……娘さんに、何かあったんですか?」
とうとう痺れを切らしたように、二人の前で、紬希が以前と同じ質問を飛ばした。
途端に、チヨベはむっと眉をしかめて声を上げる。
「だから、お前らには関係ねぇって言って――」
「待ちなよあんた、この子たちにも話して聞かせてあげたらどうだい。あの子の噂だって今や村中に広がっているし、隠していたってどうにかなる問題でもないだろう?」
しかしそこへ、オリザさんが夫の肩を持ち、言い聞かせるように優しくそう伝えた。それから彼女は僕らの方に向き直ると、静かに事実を話し始めた。
「……あんたたちも、村の連中から噂を聞いたかも知れないけれど、私たちには少し前まで一人娘が居たのさ。その子は特別な力を持った子で、村長のイナリ様にもその秘めた才能を評価されて、このイナリの村の『村守人』を任されていた。人の話は聞かないけれど、おてんばで活発で、どんな人に対しても優しく接してくれてね。愛情に溢れた子だったよ。……でも、そんなあの子が突然、二ヶ月ほど前に失踪してしまったのさ。家を出て『冬ノ地方』に行ったきり、戻って来なくなっちまったんだよ」
オリザさんは僕たちにそう告白した。ちなみに「冬ノ地方」というのは、このイナリの村から少し離れた、年中雪に覆われ凍てつく風の吹き荒れる白銀の山岳地帯であるらしい。
「うちの夫であるチヨベを含めた有志が捜索隊を結成して『冬ノ地方』に赴き、あの子の行方を調べてもらったんだけれどね……散々調べて、見つかったのはあの子がいつも腰に下げていた太刀と、血に濡れた雪と、そして……うぅっ」
そこまで言ったところで、オリザさんは言葉を詰まらせ、手を口に当てて嗚咽を吐いた。
すると、それまで黙り込んでいたチヨベが、目も当てられないと言うように溜め息をつき、ようやく口を開いた。
「――腕だ。片腕が見つかったんだ」
僕らは押し黙った。部屋に重い沈黙が流れた。
「……大分時間が経っちゃいたが、雪に埋れていたおかげで、腐らずに残っていたんだろうよ。見た目は綺麗なもんだったぜ。肩のところでスッパリ斬り落とされてやがった。……ちきしょう……誰かが、誰かが俺らの娘を手にかけて、あいつから片腕を根こそぎ奪っていきやがったんだ! 誰だか知らねぇが、俺の娘にひでぇことしやがって! 絶対に探し出してぶっ殺してやる‼︎」
チヨベは怒りに任せて座卓を叩き、その勢いで酒の入った容器がひっくり返った。こぼれた酒が卓上から流れ落ち、床を濡らしてゆく。
「あぁ、可哀想な子……辛かっただろうね……痛かっただろうね……ううっ……」
オリザさんもその場に崩折れたまま、言葉を詰まらせ涙を流していた。
――二人の話を聞いていた僕らは、唖然として言葉も出せなかった。……もちろん、チヨベの娘が失踪して冬ノ地方に姿を消し、後にそこで彼女の所持していた太刀と片腕だけが見つかったと言う事実にも十分驚いていたし、その事実を両親が語るには、あまりにショッキングな話題だったかもしれない。
しかし、僕たちはそれとはまた別の、それまで分からなかった謎が、意外な形で繋がったことに驚愕していた。
そう、なぜなら僕らはこの異世界に来る以前、元居た僕らの世界で、片腕を無くした猫――もとい、《《片腕を無くした猫耳の女性と、偶然にも出会ってしまっていたのだから》》。
正確には、彼女と入れ替わるようにして僕らがこの世界に転送されてきたから、まだ彼女と面識を持てているわけではない。
でも、片腕を失っていた時点で、もうあの猫耳の女性がチヨベ夫婦の娘であることは、もう疑いようのない事実として確立した。
「……あの子の片腕が見つかったって事実が村に広まってからというもの、村の人たちはみんな口を揃えて、あんたの娘っ子は死んだって言うんだよ。酷いもんだよねぇ……って、どうしたんだい? 三人とも目を丸くしちゃって」
驚愕のあまり言葉を失った僕らを見て不思議そうに首を傾げるオリザさん。この事実をどう彼らに伝えるべきか、僕は一瞬悩んだ。下手に伝えれば誤解が生じかねないと思ったからだ。ここは慎重に言葉を選んで答えなければいけない。
――と、そう思っていた矢先、横に座っていた紬希が、唐突に二人に向かって言葉を放った。
「お二人の娘さんを、私たちは知っています。お名前は、ミヤナさんと言いますよね?」
「馬鹿っ、紬希お前――」
慌てて止めようとするも遅かった。そう打ち明けられて、次に驚いたのはチヨベとオリザさんの方だった。
「……アンタ、どうしてアタシたちの娘の名前を知ってるんだい?」
オリザさんが目を見開いて紬希にそう尋ねた――その時だった。
隣に座っていたチヨベが突然立ち上がり、その勢いで食卓がひっくり返った。ガチャンと食器の散らかる音が響く中、チヨベは床の間に飾られていた太刀の一振りを引っ掴むと、目にも止まらぬ速さで刃を抜き、紬希の首元へその刃先を突き立てたのである。チヨベの目は真っ赤に血走っていて、鼻息は荒く、その表情は完全に冷静さを欠いていた。
「……お前、どうして俺の娘の名前を知ってやがるんだ? あいつは生きてるのか? 誰がやったんだ⁉︎ まさかお前らがやったのか⁉︎ もしそうなら、今ここでお前の首を叩き落としてやるっ!」
チヨベは怒りに我を忘れ、紬希に向かって怒鳴り散らした。しかし、紬希は首筋に刃を当てがわれながらも怯えることなく、口を結んだまま碧い瞳を真っ直ぐ彼に向けている。
僕はふと、チヨベの握っている太刀に目を向ける。その太刀の刃は、なぜか真ん中からポッキリと真っ二つに折れてしまっていた。チヨベの左手に握っていた鞘の中から、折れたもう一方の刃がするりと抜け落ちて、畳の上に転がる。
まさに一触即発、誰かが一言でも言葉を口にすれば、この部屋中が血で染まってもおかしくないような張り詰めた空気の中、突然とどろいた一声が、緊迫した沈黙を切り裂いた。
「やめなさいアンタっ‼︎」
二人の間にオリザさんが割って入り、太刀を握っていたチヨベの右腕を押さえ付け、彼の頬を打った。パァン、と乾いた音が部屋中に響き渡る。
「子どもに向かって太刀を向けるなんて、アンタ気でも狂っちまったのかい⁉︎ 少しは頭を冷やしなさいよ!」
そう言って、オリザは夫の手から太刀を奪い取る。
「この子たちはね、アタシたちの娘の行方を知っているんだ。あの子を救えるかも知れないんだよ。なのにアンタは、娘の手がかりになるこの子たちを手にかけるつもりだったのかい?」
そう言い諭され、チヨベは打たれた頬をさすりながら、「お、俺はただ……」とブツブツ小言を吐いてうつむいた。
「……それで、アタシたちの娘は……ミヤナは無事なのかい?」
チヨベを叱った後、オリザさんは慎重な面持ちで僕らの方に向き直り、尋ねてくる。
「無事です。私たち連合団で保護しています」
紬希の言葉を聞いて、オリザさんは「あぁ……」と感嘆の声を上げてその場に座り込んだ。
「良かった、あの子は無事だったんだね……ずっと戻って来ないもんだから、アタシてっきり――」
そう言って肩を落とす彼女を見て、僕らもひとまず安堵する。
「で、ミヤナは今、何処に居るんだい? アンタたちなら知ってるはずだろう?」
「それは……」
僕らは答えあぐねる。――でも、もうここまで来たら、真実を全て二人に打ち明けるしかないだろう。ミヤナは今、こことは違う別の世界に居ること。そして、別の世界からこちらの世界へ迷い込んできたのが、僕たちであるということ。
僕らは覚悟を決め、二人にこれまでの経緯を語り始めた。




