6月3日(月)① 八十八の手間を味わう
??? 天気…晴れ 異世界2日目
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この日、僕らは朝早くからチヨベのトラクターがエンジンを吹かす音に叩き起こされた。
「おいこらぁ~~~っ! いつまで寝てやがる! とっとと顔洗って出て来んかぁ~~~っ!!」
そして外から聞こえてくるチヨベの怒号に急き立てられ、僕は寝室のある二階から転げるようにして階段を降り、慌てて準備を始めた。
「ちょっと、まだ五時前じゃない……いくら何でも早過ぎるっつーの」
ぶつぶつ文句を言いながら、虎舞も二階から降りて来る。
田んぼでの作業をする際に必要な衣服や道具等は、すべてオリザが準備してくれていた。泥の中でも歩ける底の薄い足袋や、一見サイズが大きく見えるもんぺの様なぶかぶかのズボン、それに汗拭き用の手拭いと、平らな円錐形の編み笠(きちんと猫耳が通せるよう頭上二か所に穴が開いていたのだが、僕と紬希には不要な穴だった)、そしてオリザさんは、水筒用の竹筒とお弁当の入った風呂敷を僕らに持たせてくれた。
「それだけあればなんとかなるさ。水なら風車のところに行けば幾らでも湧いてるから、好きなだけ汲んで飲むといいよ。陽に焼かれないよう気を付けるんだよ」
「行ってらっしゃい、頑張ってきてね」とオリザさんに見送られ、僕と虎舞はいかにも一昔前の農夫みたいな恰好となって外へ出た。
すると驚いたことに、外で待っていたチヨベのトラクターの荷台には、もうすっかり準備を整え終えた紬希がちょこんと座って待機していた。
「おはよう二人とも。遅かったね」
「いや、紬希とチヨベさんが早過ぎるんだよ……てか、何でそんなやる気満々なのさ?」
「だって、田を踏み荒らされて困っているチヨベさんを助けるのは、私たち連合団の任務でもあるから」
紬希は真っ直ぐな瞳を僕らに向け、フンスと鼻を鳴らしてそう答えた。チヨベから一方的に押し付けられたはずの田仕事は、いつの間にか団長である紬希の独断決定により、連合団の任務の一環として組み込まれてしまっていたのだった。
なるほど、連合団の任務ともなれば、紬希も張り切ってしまうはずである。……けれど、そもそもチヨベの田を踏み荒らしたのは僕らの仕業であって、これはある意味自業自得な結果でもあるのだけれど……
「おいコラ! 何ボーッと突っ立ってんだ! 早く荷台に乗りやがれ!」
「もう、うっさいわね……言われなくても乗るわよ!」
朝早くに叩き起こされて機嫌が悪いのか、虎舞が鬱陶しそうに怒鳴り返して荷台に飛び乗った。この異世界に来てからというもの、ここのところずっと虎舞が不機嫌そうにしていて、僕は少し心配だった。自分たちの元居た世界に戻れなくて、彼女も内心不安を抱え、悶々とした気持ちに苛まれているのかもしれない。
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僕らを乗せたトラクターは、棚田の間に設けられた轍の道を進んでいく。相変わらず棚田の丘一帯には強い風が吹いていて、所々に建てられた風車は勢い良く回転し、時折水の張られた田の水面が風にあおられ、鳥肌を立てるようにサッと細かなしわを寄せた。
「――はぁ? 私たちが踏み荒らした部分だけを直せば良かったんじゃないの?」
荷台に乗っていた虎舞が唐突に眉をしかめ、トラクターを運転するチヨベに向かって声を投げた。
「あぁ? 俺がいつテメェらが踏み荒らした所だけ植え直せって言ったんだ? あの辺りはまだ苗を植え終えてねぇ田がまだまだたくさん残ってんだ。だから今日はテメェらにもしっかり働いてもらうから覚悟しとけ!」
どうやらチヨベは、僕らが落ちてきた田だけでなく、他の田植え作業も全て押し付けるつもりでいるらしい。僕ら三人であれだけの広い田一面に苗を植えるだけでも相当骨が折れそうな作業だというのに、他の田植えの手伝いまでやらされるとなれば、流石に身体がもたない。さてどうしたものか……
――そうして、チヨベの運転するトラクターは、昨日僕らが落ちてきた田までやって来た。
しかしそこには、もう既に何人ものイナリの村人たちが集まっていて、僕らの到着を待っていた。話を聞くところによると、どうやら僕らが田植えをすると聞いて、わざわざ加勢に駆けつけてくれたらしい。
「昨日俺らの田を荒らしたウチコワシを退治してくれたからな。そのお礼と言っちゃアレだが、俺たちにも是非手伝わせてくれよ」
昨日会った山羊耳の男を含め、ウチコワシとの戦いを見ていた村人たちが、皆声を揃えてそう願い出てきてくれた。僕ら三人だけでこの巨大な面積の田に苗を植え直すのは一苦労だと思っていたから、これは嬉しい助っ人だった。
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「ほらしっかり腰を入れて踏ん張らんか! そんな弱腰じゃ、少し歩いただけでへたばっちまうぞ!」
チヨベの怒号が飛ぶ中、僕らは炎天下の中、村人たちと一緒に田植えを始めた。村人二人が田の左右から紐を伸ばし、その紐の結び目を目安に、全員が横一列になって一斉に苗を植え込んでゆく。足元はぬかるみ、照りつける陽にジリジリと背中を焼かれ、曲げた腰は数分も経たないうちに悲鳴を上げ始める。
けれども村人たちは、腰の痛みなどものともせずに、慣れた手付きで次々と手元の苗を千切っては植え、千切っては植えてゆく。その迅速な動きは見事なもので、初めて田植えを体験する僕たちは瞬く間に置いて行かれてしまった。
「おいそこっ! 遅れを取るな! 周りと息をピッタリ合わせてテンポ良く植えんかぁ!」
そして、遅れる僕らの尻を叩くように、トラクターに乗ったチヨベから怒号が飛んで来る。
「うっさいわね、そう言うアンタもこっち来て手伝ったらどうなのよ!」
虎舞がチヨベを指差してそう言い返す。
「うるせぇ! 俺は田植え作業全体を仕切る大事な仕事をやってんだ。とっとと早く終わらせたいなら、俺の言うことに従え!」
「何よ偉そうに……」と文句を垂れながらも苗を植え込んでゆく虎舞。すると、彼女の左隣に居た村人の一人が笑いながら優しくこう言った。
「チヨベは昔っからああいう荒い気質なのさ。慣れるんだな嬢ちゃん。ほら、手を止めてると置いてくぞ」
「分かってるわよ、もう!」
すると虎舞の右隣に居たもう一人の叔父さんが、彼女の手元を見てこう言った。
「やれやれ、元気があるのはいいことだが、手に力が入って苗を深く埋め過ぎちゃいかんよ。もっとこう優しく、土の表面に軽く置くような感じで植えてごらん」
「こ、こうかしら?」
「そうそう、そんな感じ。なかなか覚えのいい娘っ子じゃないか」
そう言って叔父さんは笑う。
バッシャーン!
すると、僕の隣で大きな水音が上がり、辺りに泥が飛び散った。苗を植えていた紬希が、身体のバランスを崩して倒れてしまったのだ。
「あ〜あぁ、せっかく植えた苗が尻に敷かれちまったねぇ」
「なぁに、また植え直せばいい話さ。苗ならまだまだあるでな!」
泥まみれになった紬希の周りで、村人たちは口々にそう言って笑う。
「ちょ、ヤバっ! 足袋が抜けて――きゃあっ!」
バッシャーン!
一方で虎舞も、田から足を抜こうとして足袋が脱げてしまい、壮大にひっくり転んでしまう。
「みんな元気が良いのぉ。俺たちも見習わんといかんな!」
また周りからドッと笑いが溢れた。
――それから、僕たちは村人たちから苗の植え方を手取り足取り教えてもらい、今日の午前中だけで、僕は二回、虎舞は三回、紬希は五回も転んで泥まみれになってしまうのだった。




