6月2日(日)⑬ 追跡者(裏)
――さて、ここで一旦時は戻り、ウチコワシとの戦いが終わって、凪咲一行がチヨベのトラクターに載せられ行ってしまった後のこと。
ウチコワシVS凪咲たち放課後秘密連合団の戦いが繰り広げられた田の周りには、村人たちが野次馬のように集い、壮絶な戦いを前に、周りはまるで闘技場のリングのように白熱した盛り上がりを見せていた。
しかし戦いも終わって、田の周りに集まっていた村人たちも各々散って自分の仕事場所へと戻っていく。
最後にその場に残っていたのは、気絶して地面に伏したままのウチコワシと、その様子を近くで眺めている二人の村人のみだった。
「おい見ろよ。ウチコワシのやつ、まだ目ぇ回してやがるぜ。相当キツい一発を食らって完全にまいっちまったみたいだな」
「あぁ、俺も退治されるところを間近で見ていたが、本当に凄かったぜ。突然現れた余所者の女の子が、こいつの頭目掛けて渾身の一発を叩き込みやがったんだ。ありゃ誰も真似できないぜ。あの余所者の子、只者じゃねぇな」
倒れたまま起き上がらないウチコワシを横目に、二人の村人は顔を見合わせて互いに頷き合っていた。村人の一人が言う「余所者の女の子」とは、田を荒らすこの傍迷惑なウチコワシを、たった拳一発でノックアウトさせてしまった虎舞のことだった。
「あんなに身軽で力のあるやつを見たのは、チヨベんとこの娘さん以来だよ。あの子も腕は凄かったもんなぁ」
「あぁそうだな。……でも知ってたか? チヨベんとこの娘さん、つい最近行方をくらませちまったらしいぜ」
「居なくなった? それまたどうして?」
「それがな、噂によりゃ、可哀想なことにあの子は――」
村人の一人がそこまで言いかけた時――
「……ねぇ、そこの君たち……ちょっと一つ尋ねてもいいかい?」
彼らの背後で、唐突に誰かの呼びかける声がした。その声はボソボソと覇気がなく、はっきりとは聞き取れないほどに声量も小さかった。
村人二人が振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。細身ではあるが筋肉質なその青年は、なぜか全身真っ黒で、まるで細い影が立って歩いているように見えた。
しかし、よく見るとそれは影ではなく、彼はタイツのようにぴっちりと肌に密着する黒スーツを全身にまとっていたのである。
そして彼の背中には、用途不明の雨合羽のような透明のビニールマントが垂らされていた。
これだけ説明しただけでも、その外見は十分に滑稽で変質的と言えるのだが、そこへ極めつけと言わんばかりに、腰に回した細いベルトには、針のように鋭い切先を持つレイピアが吊り下げられていた。
まるで西洋の三銃士や怪傑ゾロがふるいそうな剣を腰に下げたその青年は、残念ながら、先に述べたような英雄を想起させるには、あまりに格好が異質過ぎていた。村人二人も、彼の姿を一目見た途端に眉を歪めてしまうほどである。
「何だぁ、あんたは?」
「新しい余所者か? ……にしては妙にヘンテコな格好してるな」
訝しげな表情で黒ずくめの青年を見る村人たち。その青年の両眼は、長く伸びた天然パーマの黒髪に隠れて見えず、彼がどこに視点を合わせているのかすらも分からない。
「……あ、ごめんね、そうだよね。ボクみたいな虫ケラが君たちに声をかけること自体、凄く失礼なことだとは思うし、そんなことはボクも分かってるんだ。だけど、ボクにはどうしてもやらなきゃいけない任務があって、それで仕方なくこうして嫌々君たちに話しかけているだけなんだ。……本当ならこんな情報収集なんて雑用やりたくないし、それにボクは他人と話すのが反吐が出るほど嫌いだから断ろうとも思ったよ。でも上司が怖いから断れないし、いやそもそも僕に拒否権なんてある訳ないし――」
その青年は、一度口を開いた途端、まるで心の中に溜まった汚泥を吐き出すようにネガティブな言い訳や愚痴を次から次へとこぼしてゆく。
「大体さぁ、何で奴らはボクみたいな虫ケラに仕事を押し付けようとしてくるんだよ? ボクがそう易々と成果を出せるなんて思ってんの? ふざけんなよ、こんなボクに何ができるっていうんだよ? 何にもできないただのクズだよ。カスだよ、ゴミだよ。捨てられるのを待つだけのただのゴミだよ。ゴミ箱の中で大人しくしていた方がまだマシだよ。……でもさぁ、やれと言われたからにはやらなきゃいけないし、成果を出さないとまた上司に怒られるしさぁ……あぁもう最悪、あぁもうウザイウザイウザイウザイウザイウザイ、もう死ねよ死ねよ死ねよ死ねよ死ねよ死ねよ死ねよ死ねよ死ねよ死ねよ死ねよっ――」
青年は小言をだだ漏らしにしたまま天然パーマをガシガシと両手で搔きむしり、その場で膝を突いて小さく縮こまる。
「お、おい……こいつ何ブツブツ話してんだ?」
「な、なぁあんた……大丈夫か?」
村人二人は、他人に話し掛けただけで情緒不安定に陥った青年を訝しげな眼で見つめながら、おずおずと尋ねる。
すると青年は、まるで鞭打たれたようにガバッと顔を上げて、村人二人の方を向く。
「あは……あははっ……そうだそうだ、ごめん忘れてたよ。ここに倒れているこのデカい鳥なんだけどさぁ………誰がやったの?」
すると、それまで情緒不安定だった青年は。次の瞬間ケロッと呆けたような態度に変わり、村人の一人にそう尋ねた。
「あ、あぁ……このウチコワシなら、ついさっきまでここに居た余所者連中が倒していったぜ」
村人の一人がそう告げると、天パの青年はカクッと首を曲げて「その余所者ってどんなやつだった?」と即座に尋ね返す。
「確か三人組で、一人が男の子で、あとの二人は女の子だったな。三人とも耳もなけりゃ尻尾も角も生えちゃいねぇし、見たことのない恰好をしていたが、あいつらの持つ力は半端じゃなかったぜ。特に女の子の二人が凄くてな。一人は手から糸みたいなもんを出して鎌を振り回すし、もう一人は怪力でウチコワシをねじ伏せやがるし、もう軽い見世物だったぜ。なぁ?」
「あぁ、あんな戦い、そう何度もお目にかかれるものじゃねぇぜ」
つい先ほどまで繰り広げられていた激闘を思い返しながら、村人の二人は興奮気味にそう語った。
「耳もないし尻尾もない……ってことはボクらと同じく向こうの世界から来た人間……いや能力者かもしれないな。……けどまぁいいや、どっちにしろ、きっとそいつらがボクの探しているものを持ってるはず……あはっ、やっとだよ、やっと見つけたよ。これでボクもやっと上司の御期待に添えるよ。そうとなれば、ボクはもうお役御免だよね? もう帰れるよね? 帰っていいよねそうだよね? ねぇそうだよね?」
「いや、俺らに聞かれても困るんだが……」
必死にそう訴える青年に詰め寄られて、村人二人は困った顔をして彼を押し留める。
「……あぁ、でもダメだ……あの鳥は奴らにやられたんだ……ってことは奴らはまだ生きてる。生きてる、生きてる……はは、ってことは、また探さなきゃいけないじゃないか……」
青年はふと口元を緩め、ニヤリと不気味な笑みを浮かべて――
「――――いっそのこと、みんな死んじゃえば良かったのに……」
黒々として光を失った虚ろな底なしの瞳が、跳ねた髪の隙間から覗いた。
「ひっ……」
村人二人は、青年から放たれる禍々しい負のオーラに戦慄した。
青年は村人の方に歩み寄ると、二人の横に倒れて目を回しているウチコワシに近付く。
「……お前さえ強ければ――」
次の瞬間、彼は腰に下げたレイピアを振り抜く。ひゅっと空を切る音がして、ウチコワシの首が飛んだ。
「お前さえ強ければお前さえ強ければ、お前がやつらを倒してそれで終わりだったのに……なのにどうしてボクの手間を増やすんだよ。どうして? どうして殺せなかったの? ねぇどうして? どうしてなの? ねぇ? 答えろよってんだよクソがっ!!」
文句を吐きながら、青年の持ったレイピアは何度も振り下ろされ、恐ろしい速さで全長八メートルを超える化け物の頭から脚の先まで刃を通した。そのあまりの切れ味の良さに、青年が再びレイピアを腰に戻すまで、切れた部分はまだ繋がったままだった。
カチン――ドサドサドサッ!
そして、息を切らした青年がその刃を腰に収めた途端、ウチコワシの体はバラバラに分解し、輪切りにされた肉塊となって地面に崩れ落ちた。
村人二人は顔を真っ青にして戦慄する。ブルブルと打ち震えている彼らを見て、青年はハッと我に帰り、窪んだ頰に付いている返り血を拭った。
「……あぁ、ははは、ごめんね。ボクみたいな虫ケラが君たちを怖がらせるなんて、卑怯も良いところだよね……それで、その余所者たちはそれから何処へいったのかな?」
そう問われて、村人の一人が震えながら轍のできた道の向こうを指差し、「……よ、余所者なら、ち、チヨベんとこに居候させてもらうって……言ってたぜ」と答えた。
「チヨベの家? チヨベの家って、何処? ………ふふっ、まぁいいや。今すぐにでも尋ねてあげたいところだけど、今日はもう遅いし、それにロクな装備も身に付けてないし、今日は出直した方がいいよね? ……うん、それがいいよ、それがいい……ふふふっ、ふくくくくっ……」
青年はまるで自分にそう言い聞かせるように口元を引きつらせながらブツブツ独り小言をつぶやき、くるりと身を翻す。
すると、彼の背中に垂れていた透明のマントが突然強張り始め、マント表面に何本もの細い脈の筋が模様のように浮き出始める。
硬直したマントは左右に開き、瞬く間に巨大な二枚の羽となって、小刻みに羽ばたかせながら青年は空へと舞い上がった。
「君たち、色々と教えてくれてありがとう。また来るよ。……あ、でも別に歓迎とかしなくていいからね。こんな低俗な虫ケラのボクにそんなの必要ないし、されたとしてもウザいだけだし、仕事の邪魔だし――」
青年は背中の羽をバタつかせ、まるで風に吹かれた落ち葉のように棚田の向こうへと飛び去っていった。
彼は飛び去ってゆく間も、相変わらず何かブツブツと小言を口元でささやき続けていたが、忙しない羽音にかき消され、その場に残された村人二人の耳には全く届いていなかった。




