6月2日(日)⑫ チヨベの家
僕らを乗せたトラクターは轍の道を進み、やがて集落から少し離れた丘の麓にまでやって来た。
そこには大きな藁ぶき屋根の家が一軒建っており、障子の並ぶ長い縁側の前にはよく手入れされた庭があった。庭の花壇には、色とりどりの花が咲き乱れている。
「おい! 帰ったぞっ!」
家の玄関前にトラクターを止めると、チヨベは大声で怒鳴った。
すると、縁側の奥にあった障子戸が開き、一人の女性が姿を現す。
「うるさいねぇ。そんな大声出さなくても、あんたの乗ってるそのポンコツ車の音で帰って来たことが嫌でも分かるってのに」
そう言って呆れながら溜め息を吐く三十路と思しき女性は、茶髪のショートヘアに、和服の上から白いエプロンを結ぶという格好が良く似合っていた。ほっそりと痩せた体型ではあるものの、発せられる声はしっかり据わっていて、チヨベの乱暴な勢いに気圧されることも無く毅然とした態度でそう言い返していた。そしてもちろん、彼女の頭上にもチヨベと同じく例の猫耳が生え、鼻の左右からはそれぞれ三本ずつ猫髭がチロリと伸びていた。
「……おや、荷台に乗ってるのはお客さんかい? 珍しいね、人嫌いなあんたがお客を連れて来るなんて、一体どういう風の吹き回しだい?」
出てきた女性はトラクターの荷台に乗った僕らと目が合うと、ピクリと猫耳を動かし、興味深い目でこちらを見つめながら、鼻の左右に伸びた猫髭をそっと指で撫でた。
「こいつらは客なんかじゃねぇ。俺のヨネを滅茶苦茶にしやがった卑劣な悪党共だよ。ったく、田を弁償させようと思ったら村の奴らにこいつらの世話を無理やり押し付けられちまってよ。冗談じゃねぇよまったく!」
チヨベは不貞腐れた顔で文句を垂れ、プイとそっぽを向いてしまう。
「まぁ、まだ可愛い子どもに向かって悪党だなんて言うもんじゃないよ。あんたたちもよく来てくれたね。長旅でさぞ疲れたろう? ゆっくりしていきな。……って、よく見たらあんたたち、揃いも揃って泥まみれじゃないか。うちの風呂でしっかり汚れを落としていくといいよ」
チヨベと違い、その女性は他所者である僕たちに対しても、まるでこの村の一員であるかのように温厚に接してくれた。
「あ、ありがとうございます。えと……」
僕はそうお礼を言おうとして、言葉を詰まらせる。僕はまだ彼女の名前を聞いていなかった。
「アタシの名前はオリザ。そこに居るうるさいオヤジの妻さ。よろしくね」
そう言って「さて……ということは、今日の夕飯は三人分追加で用意しないといけないね。腕が鳴るよ」と彼女は上機嫌になって腕まくりし、家の奥へと姿を消した。
一方のチヨベは、自分の妻から「うるさいオヤジ」と言われたことが気に食わなかったのか、膨れっ面をしたまま「おい、いつまでそこに乗ってんだ、とっとと降りやがれ」と溜まった鬱憤を吐き出すように怒鳴って、トラクターの荷台から僕らを追い払った。
◯
その夜、僕らはチヨベの家でお風呂を貸してもらうだけでなく、衣服も繕ってもらい、さらには夕飯までご馳走してもらった。
八畳間の真ん中に置かれた卓袱台のように見える楕円形のテーブルの上に、ほかほか湯気を立てる料理の入った器がいくつも並んだ。魚の煮付けに青菜のおひたしに、何かの肉を焼いて串に刺したもの、そして均等に切られたみずみずしい果物等々……
でも、その中でも特に目を引いたのは、大きなお椀にこんもりと寄せられた艶のある白い米――ではなく、それはヨネと呼ばれていたあの穀物を炊いたものだった。
その見た目は、僕らの知る米とほとんど瓜二つだったが、粒の大きさが普通の米の倍以上はあり、大豆の粒ほどに大きかった。そのせいで、箸ですくい上げても数粒程度しか持ち上がらない。口に含むと、ほんのりとした甘味とジューシーな旨味が口の中で一粒噛むごとに弾け、気付けば病み付きになってしまうほどに美味しかった。
「あたしたちの住むイナリの村では、地下から汲み上げた綺麗な水を使ってヨネを育てているんだ。だから、そんじょそこらで育てたものよりも実入りが良くて、炊いてみればこの通り、ふっくらして艶やかで美味い飯が出来上がるのさ」
オリザさんは僕らにそう説明してくれた。ここでは、ヨネを炊いたものも米と同じく「飯」と呼んでいるらしい。イナリの村の中心で見た駅舎の時計塔が、僕らの世界ので使われているものと全く同じ文字盤で、読み方も一緒だったところから、この異世界にはある程度僕らの世界と共通する概念も存在しているようだ。
――それに今更になってよくよく考えてみれば、ここは異世界であるというのに、チヨベを含めた異世界人は皆誰もが僕らと同じ日本語を喋っているのである。その点はどうして言語が一致してしまっているのか謎だったけれど、分からないことをいちいち考えていても仕方がない。
僕は思考する事を止めて、目の前の料理を黙々と口に運んだ。
今日はとにかく色々な事件がいっぺんに起こり過ぎた。そのせいで僕らは心身共に疲れていたし、疲れた分お腹も減っていた。だから紬希と虎舞も、食事中は一言も喋らなかった。
そうして夢中になって食べている様子を、オリザが側でまじまじと見つめながら、「中々良い食いっぷりを見せてくれる子たちじゃないか、ねぇあんた」と、にこにこしながらチヨベの方を見て言った。
「けっ、一人前なのは食い意地だけってか? 乞食野郎め」
チヨベはそう言ってこちらに目も合わせないまま、彼の大きな手に似合わぬお猪口のような器に何度も酒を注いでは一気にあおっていた。
すると、紬希がオリザさんに向かって空っぽになったお椀をすっと差し出す。
「オリザさん……御代わり、お願いできますか?」
そうお願いする紬希の口元には、豆粒ほどの大きさがあるヨネの粒がくっ付いていた。いくらなんでもそれだけ粒が大きければ普通気付くだろうと思ったのだが、オリザさんはそんな紬希の顔を見てにこりと笑い、お椀を受け取った。
「もちろん良いよ。あんたたち、明日はウチの夫の田仕事を手伝うんだろう? 力仕事になるだろうから、今日はみんな遠慮せずに食べて、早めに休むんだよ」
「ああそうとも! 明日はお前たちが踏み荒らしたヨネを全部元通りにしてもらうからな。ビシバシこき使ってやるから覚悟しとけ!」
酔って顔を赤くしたチヨベが割り込むようにして声を上げる。別に故意で踏み荒らしたわけではなかったのだが、それでも僕らがしてしまったことだから、きちんと弁償はしなければならないだろう。
明日は一体どんな重労働が待ち受けているのか、不安ではあったものの、目の前に並ぶ御馳走を前に悩んでいても仕方ないと思い直し、僕らはひたすら料理を口に運び続けていた。




